雨のバス停
「雨」をテーマにした共同企画小説です。雨小説で検索をかけると、他の先生の作品もご覧になれます。ぜひ、どうぞ〜
お祖母ちゃんが入院した。
私は、お祖母ちゃんが入院している病院に行くため、バス停でバスを待っている。
元気でいつも動き回っていたお祖母ちゃんが、先月突然体調を崩して入院してしまった。お祖母ちゃんといっても、まだ六十七才。頭も足腰もしっかりしているし、お母さんより口うるさくていつも小言が多い。
私はお祖母ちゃんが嫌い。
離ればなれに暮らしていた時は、あまり会うこともなかったし、何とも思わなかったけど……今はお母さんと私と三人で暮らしているから、時々すごく鬱陶しくなる。
半年前まで、私は都会のマンションに親子三人で暮らしていた。半年前まで、平凡な家庭の普通の中学三年生だった。
けど、突然両親が離婚したから、私はお母さんと一緒に田舎のお母さんの実家にやってきた。小さな片田舎で、周りは田圃や畑ばかりが続き、民家はまばら。市の中心部へ行くのだって、バスで一時間近くかかる。おまけにバスは一時間か二時間に一本しか通っていない。
何でこんな所にきたんだろう? 私はため息をつきながら、どんよりと曇った空を見上げた。ポツンと、雨粒が私のおでこにあたる。とうとう雨が降ってきたみたい。
私は荷物を片手に抱え、傘を広げる。鮮やかな水色地に白い雲が浮かんでいるデザインの傘。この傘は、誕生日にお祖母ちゃんが買ってくれたもの。『雨の日は傘だけでも明るくないとね』とお祖母ちゃんは言っていた。
でも、私はこの派手な傘が嫌い。雨だけど傘は青空ですよって 、自己主張しすぎている。傘だけ浮いているようで嫌。
今日は土曜日なのに、私はお母さんの代わりに市内の病院まで行かなきゃいけない。お母さんは仕事。日曜日にはお母さんが病院に行くから、この頃家でもひとりぼっちの時が多い。田舎の生活は私に合わないし、友達もいない。『柚摩彼氏いないの?』お祖母ちゃんは若者を真似たイントネーションで『彼氏』とか言う。少しでも若者に近づこうとしているみたい。時々ウザイ。
パラパラ……。雨粒が傘を叩いていく。雨が本格的に降り出した。
何気なく、バス停の時刻表に目をやる。バスの到着時刻までまだ十分くらいあった。でも、到着時刻なんてあまりあてにならない。十分二十分遅れることなんてしょっちゅうだ。交通渋滞なんかないのに……田舎はのんびりしているから、少々遅れたって誰も文句を言ったりしない。こんな時、いつもならバス停の横にあるお店屋さんで買い物したりするんだけど……。雑貨を扱っているお店屋さんは、閉まっていた。シャッターの所に『しばらくお休みします』と貼り紙が貼られている。
あのお店のお祖母ちゃんは好き。私のお祖母ちゃんよりずっと年上で、腰が曲がって耳も遠くなっているけど、いつもニコニコしていてとても優しい。あんなお祖母ちゃんだったらいいのに……。
──バス遅いなぁ……。
雨が段々激しくなってきた。
バスはやっぱり定刻に到着しなかった。大粒の雨がザーザー降ってきて、アスファルトを叩きつける。大きな傘を差していても、水しぶきで濡れてくる。辺りは霧がかかったように、白く霞んできた。まだお昼過ぎなのに薄暗い。
そのまましばらく、私は雨に打たれバスを待っていた。やがて、激しく降っていた雨が、少しだけ小降りになってきた。ぼんやりとバスが来る方に目を向けていると、薄暗いもやの向こうから、黒い影がゆっくりとこちらに近づいて来るのが見えた。
「……あれ?」
その黒い影は、バス停横のお店のお祖母ちゃんだった。腰を丸め、いつもの笑顔で私を見つめながら歩いて来る。お祖母ちゃん、どこへ行ってたんだろう? 傘も差さないで……。驚いたことには、さっきまでの激しい雨の中を歩いて来たはずなのに、お祖母ちゃんの着物が全然濡れていなかった。
「お祖母ちゃん、どこに行ってたの?」
私がお祖母ちゃんに聞くと、お祖母ちゃんは「え?」というような顔を私に向ける。
「どこかに行ってたの?」
耳の遠いお祖母ちゃんの耳に顔を近づけて、私は大きな声でもう一度尋ねた。
「あーあ」
お祖母ちゃんはニコリと笑って私を見上げる。
「ちょいと用があってね」
「お祖母ちゃん、濡れちゃうよ」
私は傘をお祖母ちゃんの方へかざす。
「わたしゃ良いんだよ。もうすぐお迎えが来るからね」
「お迎え? またバスでどこかへ行くの?」
「まぁ、そんなとこだね」
お祖母ちゃんはニコニコと嬉しそうに笑う。
「じゃあ、当分お店は開かないんだね」
うちの近所にはコンビニもない。お祖母ちゃんのお店に行くのが唯一の楽しみだった。
「なに、そのうちお店は開くよ。また遊びにおいで」
お祖母ちゃんが優しく言ってくれて、私は安心した。
「おや、お迎えが来たようだ」
お祖母ちゃんが道の向こうに目を向けた。
「え?」
私はお祖母ちゃんの視線の先を見る。お祖母ちゃんが現れた方向とは反対から、一つの小さな影が見えてきた。しばらくして、白いもやの向こうから男の子が現れた。小学生くらいの男の子が、片手に黒い傘を差している。
「……」
何か違和感がある。男の子が差していた傘は大人用の黒いこうもり傘。最近ではあまり見かけない。それに、男の子の格好がなんとなく古くさく、映画やテレビで見たような昔の子供のようだった。白い半袖のシャツに黒い半ズボン、つぶれた白い学生帽をかぶっていた。髪の毛は帽子の中に隠れていたけど、多分刈り上げか坊主頭のようだった。
「義彦来たか」
お祖母ちゃんは、柔らかい笑顔を男の子に向ける。
「はい、お母さん。随分待っていました」
利発そうな男の子は、ハキハキと答える。……え? お母さん? 私は目を丸くして男の子を見つめた。どう見ても、お祖母ちゃんの子供には見えない。孫、いいえ曾孫か玄孫でもおかしくない。
不思議そうな顔をして二人を見ていた私に、お祖母ちゃんと男の子は黙って会釈した。
「お母さん、行きましょうか?」
男の子はこうもり傘をお祖母ちゃんにかざした。
「ああ、そろそろ行こうかねぇ」
男の子の背丈と同じくらいのお祖母ちゃんは、スッとこうもり傘の中に入り、相合い傘で雨の中を歩いて行く。二人の影が薄い靄の中に消えそうになった時、二人はもう一度私の方を振り向いてお辞儀した。私もつられてお辞儀する。
そうして、二つの小さな影は、靄の中に消えていった。
二人が消えて行くと同時に、白い靄は薄れていき、シトシト降っていた雨も上がった。私は水色の傘をたたみ、空を見上げる。厚い雲の切れ間から少しだけ青空が見えた。
お祖母ちゃんと男の子は、どこへ行ったんだろう? 不思議な気分で突っ立っていると、ようやくバスの姿が見えてきた。
荷物を抱え、バスに乗り込む。バスの窓から、うっすらと日が差してきた。
──折り畳みの傘にすれば良かった。
そう思いつつ、私は大きな傘と荷物を持って席に着く。バスはゆっくりと発車した。
「あっ、あのお店のお祖母ちゃん、ダメだったんだってねぇ」
「そうみたいよ。でも、もうかなりの年だったからねぇ」
私の後の席に座っていた初老の女の人達の声に、私はハッとして振り返る。女の人達は、バス停横のお店の方を見ていた。
──あのお祖母ちゃん、死んじゃったの?……。
「お店はどうなるだろうね」
「次男の息子夫婦が跡を継ぐらしいよ」
「そう。そう言えば、あのお祖母ちゃんにはもう一人息子さんがいたようだね」
「そうそう、子供の頃病気で亡くなったらしいよ。お祖母ちゃん、ずっと気にかけていたみたいだよ」
「可愛がっていたそうだからねぇ」
お祖母ちゃんと男の子……私はもっと二人の話を聞きたかったけど、女の人達の話しはもう別の話題になっていた。
さっき私が見た二人は、幽霊?……。でも、私は全然恐いと感じなかった。子供の頃に亡くなったお祖母ちゃんの息子が、お祖母ちゃんを迎えに来てくれたんだ。ずっとずっと長い間待っていてくれたんだね。
私は、私のお祖母ちゃんのことを思い出し、急にお祖母ちゃんのことが心配になってきた。あの口うるさい嫌なお祖母ちゃん。でも……やっぱり、死んじゃ嫌だ。
私は慌てて携帯を取りだして、病院に電話する。お祖母ちゃんの声が聞きたい。今まで一度も買って行ったことなかったけど、今日はお花を買って行ってあげよう。お祖母ちゃんの大好きな紫陽花。本当は家の庭にもいっぱい咲いているんだけど……。
病院に電話が繋がり、お祖母ちゃんを呼びだしてもらう。
きっと、お祖母ちゃん、家に咲いているのにわざわざ買って行ったら怒るだろうなぁ。でも、やっぱり買って行く。お祖母ちゃんの笑顔が見たいから。
しばらくして、お祖母ちゃんの声が聞こえた。いつもの元気なお祖母ちゃんの声だ。私はホッと安心して笑顔になる。
「もしもし、お祖母ちゃん? あのね──」 完
梅雨入り前に書いていた短編です。今は梅雨真っ直中…。雨は鬱陶しいですが、たまに降る雨はしっとりと落ち着けて好きです。
柚摩の心の変化を書いてみました。ちょっとその時間が短かった気もしますが。(^^;)