番外小話 「警吏隊共同浴室の件」
時系列で言えば、17話の直後あたりです。
私が士官用、つまり、隊長や部隊長格だけが使用を許可される専用の浴室を使うようになったのは、このような経緯があった。
―――私が女だと発覚した直後しばらく。
当然、警吏隊に入隊したばかりの下っ端なので、私は他の隊員たちと混じって、共同の浴室を使っていた。
アインにも説明したけれど、その時には、魔学の幻術でちょっと細工をして。
アインは頭を抱えて「ありえねぇ!」と叫んでいたけど、実際のところはこうだ。
共同浴室にはバスタブなる風呂がなく、基本的に壁に埋め込みのシャワーがついている。
広い部屋の左右の壁に、それぞれ仕切りで分けられたブースが並んでいる感じ。
しかも、この浴室は毎日使えるわけではない。近くに川が流れているとはいえ、水は無限にあるわけではなく。それでも衛生面は重視され、三日に一度の割合で使用を許可されている。
さらにいえば、全裸で歩き回るわけでもない。
薄手の上下を着たまま、シャワーを浴びて、そのブース内で新しい衣服に着替えて外に出る。時には洗濯も兼ねていたりする。
そういう感じ。
だから、私も魔学で誤魔化しやすかった。
何せ幻術系と言えば、精神に作用する高度な術。探査の術以上に繊細な精度が必要とされる。
大雑把を代名詞とする私としては、必要に迫られて習得した初歩の初歩しか使えない。
精々、この浴室ですれ違う人たちに違った印象を与えるレベルだ。
それでも何とかなったのだから、つくづく第二の異世界トラベラー生活で魔学を学んだ事は運命としか思えない。
変な悪運だけは強いなー!
そうして共同浴室を使っていたわけだけど、この世界の一般的な感覚が抜け落ちている私としては、アインの反応は大袈裟だと思ったし、さりげなくシゼル隊長が士官用の浴室を使うように勧めてくれても、問題ないですよ!とあっさり受け流していた。
女性用の浴室に男が混じるのは問題に思えても、男性用の浴室に女が一人混じる事くらい別に問題ないんじゃないか、と。
騒ぎになるのはまずいけど、別に裸を見たくらい、ちょっと見られたくらい、いいかなと思っていたし。
共同浴室で一緒なのは、アインと双子、それにルイ、オードさんとアイヴァンさん、ヨルファ、さらにマグノリアさん。
アインは女だとばれてからは風呂に誘ってこなくなったし、ルイと双子は共同浴室を使っている筈なのだけど、中ですれ違った事が無かった。
オードさんとアイヴァンさんはまだ私を女だと知らないし、出会ったら挨拶を交わすくらいの事はする。
ヨルファとも同じような感じ。極端に何事にも無関心なヨルファも風呂には入るんだ…と、妙に感心してしまった覚えがある。
後は堂に入った姉御ぶりが板についたマグノリアさんだけど、入浴する時間帯が大きく食い違っていて、今まで顔を合わせた事が無かった。
だけど、唯一、マグノリアさんだけが何度も、「共同浴室を使うのはやめなさい!」と私に怒っていた。
「小ザルだとしても、最低限の常識くらいわきまえなさい!」、と。
…後から追々知っていくんだけど、この世界での女性は胸元が大きく開いたものや背中が剥き出しの服とか、極端に丈の短いスカートなど、太腿まで足を見せる事もありえないとされていて―――コウジョリョウゾクに反するだっけ? とにかくそういう事らしい。
女とばれちゃ混乱を招くので、普段は男装しかしない私には関係の無い話だったけれど、事の背景はこの国の仕来りにあった。
まぁ、国どころか世界自体がそもそも違うのだから、私の持っていた常識が通用しなくて当たり前。
数々の経験を通じて、その事も十分、承知していた筈だったんだけど。
つい、軽く考えていたんだよねぇ…。
―――そして、あんな目に遭ってしまった。
うっかりと上官であるマグノリアさんに添い寝を頼んでしまったすぐ後くらいの事。
まだ怪我も癒えていない私は、消毒液や替えの包帯などを用意して、アインと共同浴室に向かっていた。
この時ばかりはさすがのアインも、包帯に遊ばれる私の不器用さを見かねたのか、渋々と風呂上がりに手を貸してくれていた。
階下にある浴室へと向かう途中、そこでマグノリアさんとばったり出会った。
「カズミ」
名を呼ばれて、首を傾げながら返事をする。
…何か、呼びつけられるような用事なんてあったっけな?
「ちょっと来なさい」
あまり機嫌のよろしくなさそうな顔で言われて、内心、心当たりのマイ閻魔帳を大急ぎでめくる。
え、ええと、この前の顔の傷については既に怒られているし、やれと言われた肌のお手入れは何とかさぼっていないし、な、何もないと思うんだけど。
戦々恐々としつつ、アインと別れ、後ろをついて歩く事しばらく。
到着したのは、仕官専用の個室になっている浴室だった。
その存在は知っていたけれど、用向きの無い部屋ばかりが集まる棟にあるので、ここまで来た事すらない。
促されて中に入り、好奇心から辺りを見回した私は、奥の浴室にバスタブがある事を発見して驚いた。
この世界にもバスタブなんてあるんだ!
石で造られた簡素なものだけど、バスタブはバスタブ。
いいなぁ、一度くらいゆっくりと湯に浸かりたいなぁ、なんて、呑気な願望を思い浮かべていた私は、この後に起きる危機をまったく知らず。
「カズミ」
何故か上着の袖を捲り上げたマグノリアさんが、顎で指し示す。
「身体を洗ってあげるから服を脱ぎなさい」
―――は?
言われた事が理解できずに、間抜けな顔をさらしてしまう。
何ですと???
「その怪我じゃ、ろくに身体を洗えないでしょって言ってるの。傷の経過も診るから、ついでよ」
―――ついでと言われましても!
「あの! 自分で身体くらい洗えますから!」
「無理して肩を動かせば傷に障るでしょうが。杜撰な扱いばかりしてると治る傷も治らなくなるわよ」
もっともな事を言われても、冷や汗が止まりません…!
マグノリアさんに私の身体を洗わせる?
身体を洗うって、つまり…この貧相な身体を余すところ無くご覧くださいと言うようなもので。
しかも、あのマグノリアさんに。
この前の寝起きに直面した女装していないマグノリアさんの姿をありありと思い出してしまい―――思考が燃え尽きた。
―――恐ろしい!
誰かこれは夢だと、冗談だと言ってくださいー!!!
まさしく女神のような美貌に、小悪魔めいた笑みを浮かべたマグノリアさんが言う。
「別に肌を見られる事くらいどうって事ないんでしょ? だったら、別に構わないわよね?」
それとこれとは話が違う! と、声を大にして叫びたい!
通りすがりに少しばかり裸を見られるのと、時間をかけて身体を洗われる行為とは、全然! 天と地ほどの差があると思います!
蒼褪める私に、輝かんばかりの笑顔でマグノリアさんが迫る。
無理無理無理!!!
羞恥プレイどころじゃないです! 間違いなく拷問ですよ、それは!
―――お願い、誰か嘘だと言って―――!!!!!
―――最終的に何故か、私はマグノリアさんに共同浴室ではなく、この士官用の浴室を使う事を約束させられた。
私がマグノリアさんの魔の手(!?)にかかったかどうかは―――ノーコメントとさせていただきます…。