43 舞台裏の登場人物
都合の悪い事は忘れ去ろうとしていた頭の中で、除隊の二文字が踊っている。
そりゃ自分のワガママを押し通したんだから、報いは受けるべきなんだけど、やっぱりこの世界での居場所となった警吏隊から離れがたい思いでいっぱいで。
オードさんの後ろに隠れるように立ち止まった。
…そ、それに、この姿をあんまり見られたくない…!
普段、私は本当にスカート類を穿かない人なんですよ!
髪も短くて凹凸も無い、二十歳を過ぎても男に間違われる女。
王宮に入る為の変装とはいえ、何故、オードさんみたいに警備兵の姿じゃ駄目だったんでしょう…。
絶対、ウェイ隊長の嫌がらせだと思う。
つまり、私は今、王宮に勤めている侍女の皆さんと同じ淡いベージュのエプロンドレスを身に付けているのだった。
しかもカツラ付き! 女の人で短髪はあり得ないらしい。なので、ボンネットの下で留めた黒髪の付け毛を一つにまとめ、背に垂らしている。
私たちの姿を認めたシゼル隊長が、ウェイ隊長の方を振り返る。眉間をひそめ、明らかに非難のこもった険のある表情になって。
「―――アレクシス殿下」
…は?
アレクシスでんかって誰?
状況を忘れて、ぽかんとしてしまう。
今までに聞き覚えの無い名前だけど、どうやらウェイ隊長の呼び名らしい。
ウェイは姓名でアレクシスが名前なのかな。
「当て付けにわざわざそっちの名前を持ち出すなよ」
嫌な顔をしたウェイ隊長が机の上で頬杖をつく。参列者のいなくなった席で一人寛いでいる。
王様の前だというのに自由な人だなぁ…。
「お前の立場を思い出させたまでだ。関係の無い者まで連れて来るなと何度言えばわかる」
…。
また、ばっさり辻斬りだ。
斬って捨てられて、はい終わり。
踏み込んでくるなと閉ざされた扉が目にみえるようだ。
…今からでも遅くは無い、転移の術で帰ろうか。
自己嫌悪にどっぷり浸るのは趣味じゃないけれど、たまには私だって反省して引き篭もりたい時がある。
「カズミ」
俯いていると、肩にオードさんの手が置かれた。
「大丈夫だ。そういう意味じゃないから」
…え?
そういう意味ってどういう意味…?
「まったく、腹芸を得意とする貴族の割にはいささか思慮が足りない。もう少し言葉を選んでほしいものですね」
―――何故にここで、黒オードさん降臨!?
浮かべられた笑顔がそこはかとなく物騒です、オードさん!
「で、何時になったら本題を始めるつもりだ」
割って入ったのは王様。
呆れた顔をして、私たちを見下ろしている。その隣で無表情のままグラナド公は静かに控えていた。
そういえば、査問会の様子をみるに、やっぱり王様もグラナド公も全部知った上で今までお芝居していたんだよね? そうじゃないと辻褄が合わない。
「突然、査問会を開け、召集をかけろなどと無茶を言いおって。―――レバイントの件に白黒ついたのはいいが。
シゼル、結局、お前は今まで何処にいたのだ?」
シゼル隊長は王様に向き直ると、改めて敬礼を送り、質問に応じた。
「襲撃を受けた際に手傷を負いまして、身をひそめて養生しておりました。
すぐに連絡を入れる事ができず、申し訳ありません」
そうだよ!
シゼル隊長はまだ寝てなくちゃならないほどの怪我人なのに。薬、ちゃんと飲んでるのかな。傷の具合は大丈夫なんだろうか。
「こやつの立てる策は奇抜だが、無茶と紙一重でもあるからな。無事であったならば何よりだ。
それにしても、レバイントがこれほどまでお前を目障りに思っていたとは、今一つ腑に落ちないものがあるな。シゼル、お前の方に何か心当たりはあるのか?」
「…推測ではありますが」
「申せ」
シゼル隊長曰く、
―――八年前の当時、レバイント公爵はまだ王立騎士団の首座、大将軍の地位に就いていた。
テネジア侵攻の報が王都に届いた際、勿論、王立騎士団も出兵したが、その初動はやや遅く、後に怠慢と批判が寄せられたという。
近年の間、目立った内乱も他国との戦もなく、騎士団内の士気が低迷しがちであったのは否めない。
追い詰められたテネジア軍の勢いは怒涛の如く、多少の後手も仕方が無いとの声も上がっていたのだが。
なるほど、と、王は頷いた。
「王立騎士団よりも先に援軍として駆けつけたのがお前だったな、シゼル」
その後間もなく、レバイント公爵は大将軍の座を退く事となった。
―――最後に刻まれた、汚点と共に。
それが耐え難かったのではないか、と、シゼル隊長は述べた。
「それにイーラウの警吏隊は有能だと王都でも評判になっているらしいからな。大方、お前の名声でも聞きつけた事が火をつけたんだろう」
まるで他人事のように警吏隊について語るウェイ隊長がそう付け加え、王様は不機嫌そうに口許を歪めた。
「愚かな。あやつ一人の責ではないというに」
怒った口調ながら、何処か複雑な溜息も含まれた声音だった。
…レバイント公爵は王様にとって大事な家臣の一人だったんだろうな。
レバイント公爵も間違えてしまっただけで、全部が全部、悪い人じゃないんだろうと思う。
善悪だけで物事は測れない。時にその境はどれほど曖昧なんだろう。
これからレバイント公爵はこの国の法律で裁かれる事になるんだろうけど、全部を罪と一括りにせず、公爵が抱えた思いもちゃんと受け留めてあげて、判決が下されればいいと思う。
そんな事を考えていた私は、いつの間にか、自分に注目が集まっている事に気がつかなかった。
「で、ここにいるこの娘は何だ?」
…ん?
って、私の事ですね! 女は私しかここにいない筈だし。
顔を上げた私とシゼル隊長の目が合う。
う、思わず後ろめたくて、目を逸らしてしまった。
「カズミは西イーラウ警吏隊所属の隊員です」
「女がか?」
「彼女は優秀ですから」
―――どうしよう。
う、嬉しい…!
たとえその場限りの嘘でも、シゼル隊長にそう言ってもらえると全てが報われる気がする。
「一つ気になる点があるのだが」
王様の後ろで静聴していたグラナド公が口を開いた。
「レバイント公が懐剣を不自然に取り落としただろう。その時、女の声が聞こえた気がしたのだが」
ぎくり。
す、鋭い…。さすが、シゼル隊長の伯父さんと言うべきか。
「気のせいでしょう。私には何も聞こえませんでしたが」
平然とシゼル隊長が否定する。
な、何も知らない振りをしろって事だよね。ひとまず、笑顔! 笑顔をキープしておけば誤魔化せるかな!?
「ふむ、まぁよい。さして追究を必要とする事でもなかろう。何の力が働いたかは知らぬが、よくやったとは言っておく」
王様が面白そうな目付きでこちらを見ている。
いやいやいや! 私は何の関係もありませんよ? ただの歯牙ない警吏隊員ですから!
私はひたすらにこやかな笑顔を続けた。
話はひとまずそこで終わりとなった。
次の執務があるらしい王様とグラナド公御一行が壇上から降りた所で思い出す。
―――そうだ! あの件!
「あのっ」
何も考えずに王様に直接声をかけて、護衛兵の方々から思いっ切り冷ややかな視線を向けられた。
…しまった。礼儀とか全部置き忘れてしまっていた。
「よい。娘、何だ?」
王様が鷹揚に応えてくれ、私は遅ればせながら敬礼をしてから、気になっていた事を尋ねた。
「テランの町で、レバイント公爵に雇われていた密偵が捕らえられたと伺いました―――ルイと名乗っていた」
「名前までは知らぬが、そう報告を受けてはいるな」
シゼル隊長をちらりと盗み見る。
…本当は、当事者の隊長に黙ってこんな事を言ってしまうのは駄目なんだけど、この機会を逃すわけにはいかないから。
「その密偵をしていたルイは、私と同じ部隊で警吏隊員として働いていたんです。
あの、人に向かってナイフは投げつけるし、愛想も良くないし、性格も悪いと思うんですけれど―――それでも極刑に処する事はどうにか取り止めていただけませんか。他の刑罰に変えてほしいんです」
ウェイ隊長から、テランの町でルイが捕縛された事を知った。
警吏隊に入隊した後、レバイント公爵に雇われ、密偵を務めていたという。私の魔学が襲撃者に伝わっていた事もそれが原因だ。
テランの町に駆けつける予定だった味方の部隊を撹乱したのも。
密偵や諜報活動を行う間者は、様々な情報を集める事に長け、多くを知りすぎる存在である事から、敵からも時に味方からも疎まれる。
この国でも捕縛された間者の末路は十中八九、処刑だと教えられた。
…そんなのって。
「おかしな事を言う娘だ。自分たちを裏切った相手だろうに、何故庇う?」
「ルイはお菓子をこよなく愛する者同士、同盟を結んだ仲間なんです」
きっぱりとした私の主張に王様は目を見開く。
聞き間違いかと疑う目付きで首を傾げられた。
「甘い事を口にしているのはわかっています。ルイはシゼル隊長を傷つけたし、きっと他にも色々と怖い事をたくさんしてきていると思います。
けれど、それでも、機会を与えてほしいんです。生きて罪を償う道を」
「間者を務める者は己の末路を理解している。しくじった場合、己の死を意味する事くらい承知の上だ。
ルイとかいうその男も命乞いはするまい。長く間者を務めてきた者らしいからな。それがその男の選んだ道だ。言い含めれば、奴が生き方を改めるとでも思っているのなら、それは愚かな考えだ」
王様の言う事はもっともだ。
―――私はルイの考えも望みも何も知らない。
それでも言わずにいられない。
同じお菓子を分け合ったりして、人として関わり合ったのだから。
僅かであっても可能性があるのなら。
「愚かな考えでも、何もしない内から諦められるほど物分りは良くないんです、私。
お願いします! 死なせないで、他の刑罰で罪を償う事を許してください―――」
深く頭を下げた。
自分に出来る事はそんな事くらい、あまりにちっぽけだ。
最初、私はウェイ隊長に頼んだ。でも、それはにべもなく突っ撥ねられた。無駄な事を言うな、と。
無駄かどうかなんて誰がわかるのか。そう食らい付いて必死に頼み込んだら、呆れた顔をした隊長に、そこまで言うなら国王に直談判しろと言われた。
一警吏隊員が、王様と直に会える機会なんて早々ないだろう。
この一度きりのチャンスしか残されていない。
「期待するのは止めておけ。お前が心優しい娘なのはわかったが、下手な同情は身を滅ぼすだけだ」
違うよ、王様。
心優しいなんて、そんな善人の考えで言っているわけじゃないんだ。
これもどうしようもない我儘の一つ。ただ、黙って見過ごすなんて私が堪え切れないから、こうしているだけ。
正直に言えば、ルイをぶん殴ってやりたい気持ちでいっぱいだし。
その時、頭を下げ続ける私の隣に寄り添うように人が立った。
「私からもお願いします」
シゼル隊長…。
「彼女の活躍に免じて慈悲を。監視をつけろというなら、こちらで責任を持ちましょう」
向かい合った王様が鼻を鳴らした。
「つくづく甘い男だな、シゼル。情に絆されるのも程ほどにしておけ。と言っても、お前は聞く耳を持たぬのだろうが」
皮肉の棘が感じられる笑みを閃かせた王様は、そう言って背を向けた。
「好きにしろ。イーラウの自治は認めている。生きているなら、お前の裁量で裁くがいい」
「…御寛恕いただき、ありがとうございます」
慌てて私ももう一度、頭を下げる。
よ、良かったぁ…。
退出する王様たちの後姿が消えるまで見送った後、大きく息をついた。
やっぱり緊張した。国家最高権力者と言葉を交わす機会があるなんて思ってもみなかった。全身の力がどっと抜ける。
「また厄介事を引き受けやがって、お前は」
近づいてきたウェイ隊長が私の前に立つと、容赦なくでこぴんをしてきた。
「い、痛いです! ウェイ隊長!」
「罰だからな、当然だ」
罰って!?
「少しは後先の事を考えて行動しろ。シゼルも全てを受け入れようとするな。切り捨てるものは切り捨てろ。それはお前の義務だ」
現実を見据えた辛辣な言葉は、しかし、苦笑と共に吐き出された。
…それを許したウェイ隊長だって、十分に甘い。
―――やっぱり私、こんな人たちが揃っているイーラウ警吏隊が好きだなぁ。
成り行きで入隊した警吏隊だけど、二番隊の面々は一癖も二癖もある人たちがいっぱいだけれど。
シゼル隊長やウェイ隊長が創り上げてきたイーラウ警吏隊はとても居心地が良く感じる。
単純に好きなんだ、皆が。
この人たちは受け入れてくれた、異世界人の私を。
まるで、じいちゃんやばあちゃんみたいに、何でもない事のように。
「カズミ?」
…シゼル隊長。
第四区画にある、ウェイ隊長に連れてこられたあの家に戻ってきた。
ここは、ウェイ隊長が以前、暮らしていた家なんだって。普段は管理人の人が住んでいるらしい。
シゼル隊長と別れたリオットの街からの旅で手にした荷物は僅かだ。
戻った時に、こちらの現金も少しは持っていたけれど、あっという間に使い果たしちゃったしなぁ。
王都なら商店も多いし、働き口はすぐに見つかるだろう。
シゼル隊長と合流してから数日は事後処理でか慌ただしく家を空にしていたウェイ隊長もオードさんも、今朝はまだ王宮に出掛けていない。
テミラーさんは玄関口に控えていた。ウェイ隊長の準備が終わるのを待っているんだろう。
ウェイ隊長の外出時、テミラーさんは必ず同行を願い出る。必要の有無はともかく、テミラーさんはウェイ隊長の副官兼護衛役であるらしい。
時々、出し抜かれて置いてきぼりにされてもいるみたいだけど…。
「何処かに出掛けるのかい?」
玄関前の階段から私服だろう、寛いだ姿のオードさんが降りてきた。
「はい、そろそろ仕事を探さないといけないので」
そう答えると、オードさんの表情が怪訝なものに変わる。
「仕事? 何のために?」
「それは勿論、生活のためですよ!」
衣食住に先立つものはやはり必要でしょう!
オードさんはますます困惑を深めた様子で、私を見た。
「…つまり、カズミはイーラウ警吏隊を辞める気なのかい?」
「え? というか、既にクビになったんですけど、私」
「…は?」
穏やかに全てを受け流すオードさんには珍しい、唖然とした顔。
あれ? オードさんには話していなかったっけ?
「シゼル隊長の命令に反したので除隊処分になったんです」
事情を手短に語れば、オードさんからは大きな溜息が返ってきた。
またあのお坊ちゃん貴族は、と、小声でぼやいている。…お坊ちゃん貴族って誰?
「ちゃんとシゼル隊長に確認したのかい? 本当に除隊になったのか」
諦めが肝心とすっぱり割り切った―――つもりなので、そんな悪足掻きはしていない。
…というのは真っ赤な嘘で、はっきり解雇を言い渡されるのを恐れた私は、王宮で別れて以来、王都の実家に戻っているシゼル隊長の前に姿を見せてはいなかった。
我ながら女々しい…。
イイ大人として、自分の行動の責任くらい取らなきゃいけないんだけどなぁ。
煮え切らない私の態度をみて、おおよそを察したらしいオードさんは、にっこりと笑顔を浮かべた。
…一歩後ずさってしまう。
この鉄壁の笑顔で押し切られると抵抗できないんです!
名前を呼ばれた。背中を柔らかく押すような言葉に聞こえても、それは逆らえない強制を含んでいて。
―――逃れられなかった私は観念して、がっくりと肩を落とした。




