42 査問会 後編
全員の視線が一箇所に集まる。
レバイント公爵と呼ばれた一人の元に。
王様と同じくらいの年代の男の人で、白髪が混じり始めた黒髪の下で険しい表情を浮かべている。
身体の線を強調する衣服から察するに、年齢の割に引き締まった身体をして腕周りもかなり隆々としている。武人の人なんだろうか。
ちなみにこの会場では武器の持ち込みは不可なので帯剣をしている人はいない。
「私が一体、何の査問にかけられるというのかね?」
太い眉の下の切れ上がった眦が吊り上がる。
睨んでる、ものすごく睨んでいるよ、シゼル隊長を!
「ファウマン候の領に軍勢を引き入れようとしたのは、あなただ。レバイント公爵」
辺りは水を打ったように静まり返っている。
後から聞いた話では、レバイント公爵は王様の信任も厚い忠臣で知られ、既に代替わりを終えているとはいえ、かつて国の守護の根幹である王立騎士団の先頭に立つ大将軍の地位にあった。
武人でもあるが、穏やかな人となりでも知られ、とてもテネジアの侵略を叫ぶような過激派にみえない人だったらしい。
査問会の席に集まった貴族たちの顔には、シゼル隊長の名前が出た時の比じゃない激しい驚愕が張り付いている。
「戯言を口にするにも程がありましょう、ルガード子爵」
「戯言を口にしたつもりはありません、閣下」
張り詰めた空気に怒気が混ざる。
それをさらりと受け流しているシゼル隊長は、さっき入ってきたばかりの扉を見た。
「―――ディトス」
ん? 誰?
呼ばれた名に応えて、王立騎士団の制服らしき白の礼装をまとった騎士が一人、中央に進み出てきて、その隣に―――セベイ長官だ!
あの襲撃の夜に別れたきりのセベイ長官は、傍目にも悄然とした様子で肩を落としていた。
…体調でも悪いのかな? 顔色が良くない気がする。
「ダレル・セベイ・ルーチン卿。彼が証人です。私の襲撃計画はあなたの指示だと認めています。
僅かばかりですが、あなたの筆跡とわかる証書も提出済みです」
「…何故、私がそのような事をしなくてはならない? 大将軍の座を退き、領地で隠遁生活を営んで随分となる。
今の生活を壊してまで、私がそのような事に手を染める何の意味があるというのかね?」
どうにも一筋縄ではいかない御仁のようだ。
年季の入った狸の顔で堂々と反論してくる。
でも、この人なんだよね?
テネジアに攻め入りたいと望んでいる強硬派で、シゼル隊長の暗殺を企んだ犯人は。
「それに君こそテネジアと通じた証左が挙がっていると聞いている。自分の罪状を誤魔化す為に私の事を引き合いに持ち出すと言うのなら、随分とあざとい話ではないか」
そうだった。
シゼル隊長にはテネジアの内通者という嫌疑がかかっているんだった。
この査問会って、そもそもシゼル隊長の容疑を見極める為のものだった筈。
でも、そう大上段に言い返されても、シゼル隊長は顔色一つ変えなかった。
「ガネイ伯の自供は全て虚偽です、レバイント公爵」
老公爵の顔から表情が消えた。
「彼は一切、何も自供せず、沈黙を守り抜いています。あなたの名前も含めて、一言も口にしてはいません」
…シゼル隊長が淡々と口にした事実は、レバイント公爵の口を噤ませるほどの何か衝撃を与えたらしい。
「あなたの出方を引き出すための呼び水です。そうして、あなたは召喚に応じた私の襲撃を命じた。
―――私の罪をテネジアに押し付けても、ゼイアスがテネジアに侵攻する事はありません、閣下」
「…」
「何故なら陛下も、そして民も、テネジアとて、戦を望んではいないからです。
あえて他国に刃を向けねばならぬほどゼイアスは逼迫していない。あなたの望みは叶わない」
俯いたレバイント公爵は何も言わなかった。
誰も何も言わない。周囲の貴族たちは自分たちが証人として招かれた事を理解しているのか、黙って事の推移を見守っている。
やがて、老公爵の肩がさざ波めいて震え、聞こえてきたのは低い笑声。
嘲弄混じりの、嫌な笑い方だ。聞いていると、虚ろな響きが耳に反響してくる。
「あなたに伺いたい。どうして今になってテネジアと事を構えようなどと思われたのですか」
その問いに、唐突に笑い声が止んだ。
観念して何もかも白状してくれるんだろうか。それとも、一笑の元、全てを否定されてしまうんだろうか。
そう思って首を傾げたその時、ゆらりとレバイント公爵が席を立った。
―――懐から、短剣と長剣の中間のような長さの剣をつかみ出し、鞘走らせた。
えええ!?
最後の悪足掻きですか!?
私と同じく小部屋で待機していたオードさんの腰が浮く。
いつでも外に出られるように、音を立てずに隠し扉の前に移動した。
「お前にはわからないだろうよ。全てを欲しいままにしているお前には」
低い低い声でそう言ったレバイント公爵。
その声に含まれているのは、微かな嫉妬と狂気。―――あぁ、この人は既に越えてはならない一線を突き抜けている。そう思った。
嘲ったレバイント公爵が剣の切っ先をシゼル隊長に向け、しかし、それは全くの逆方向に翻される。
―――え? うそ!
「グラヴィ・ユグム!(重のくびきよ)」
刃がレバイント公爵の喉元を掻き切る手前。
急激に与えられた重力負荷によって重さを増した剣に驚愕したレバイント公爵が思わず取り落とす。
やった! 成功!
目を瞠ったオードさんが私に向かって苦笑した。
私も随分と機転が利くようになりましたよ!
誰か呼んだのか、開かれた扉の奥から白衣の騎士たちが駆けつけてきた。
まだ信じられないものを見る目で地に落ちた剣を凝視していたレバイント公爵は複数の騎士によって取り押さえられる。
「―――レバイント公」
事態を静観していた壇上の王様がそこで初めて口を開いた。
「そして、他の諸君にも宣言しておく。ゼイアスは今後、テネジアを侵略の対象とする事はない」
その言葉は毅然として、誰の反論も許さない、王者の絶対的な命令にも聞こえた。
「第一に、今、テネジアを攻めたとしてゼイアスが得る益は乏しい。戦もそうだが、国を支配するのにも金がかかる。
第二に、ゼイアスがテネジアを併呑する事によって、周辺諸国に警戒を必要以上に与えるのも望ましくない。
ここにいるグラナド公のように、八年前の狂気を繰り返さぬよう、テネジアを徹底的な支配下に置く事を望む者もいるだろうが、あちらもそれ相応に誠意ある態度をみせている以上、逆にゼイアスが非難の的にすげ替えられる。
そして、第三に」
重たげな瞼を一つ瞬いて、王様は机に頬杖をつく。
「面倒だ。わしは敢えて極寒の地に赴いて戦なぞやりたくない」
…は?
今、なんと言いました、この王様…?
ついさっきまで冷厳な王様そのものの顔をしていたゼイアス国王陛下は、あっという間に、気だるげなやる気のないおじさんの顔に変わっていた。
それがテネジアと戦をしたくない最大の理由ですか―――!?
「…陛下」
「莫迦者め。何をそんなに焦った。頭を冷やせ」
親しげな罵倒を浴びせかけられ、思い詰めたような顔をしたレバイント公の頭が項垂れる。
王様の頷きに促され、レバイント公爵は査問会の会場から騎士たちに連行され、退場していった。
「これにて閉会とする。仔細は追ってまた触れを出す。―――ルガード子爵以外の者は退席するように」
グラナド公が締め括る。
目の前の展開に呆気に取られた表情を残しつつ、他の貴族たちは王様にそれぞれ一礼を送ってから、出口へと吸い込まれていった。
残ったのは証言台の前に立つシゼル隊長と、席についたまま立ち去らなかったウェイ隊長とテミラーさん。
そして、壇上の王様とグラナド公。その二人に付き従う護衛兵の人たち。
「お前たちも出てくるがよい」
グラナド公が呼びかけた方向は―――私たちですか!?
オードさんを見れば肩を竦めて頷かれる。
壁にかけられた垂れ幕に隠された扉から会場の方へと移った。
…シゼル隊長に王都に来てしまった事がばれてしまうけれど、もうここまで来たら今更だ。
私たち二人の姿を認めたシゼル隊長が驚きにか眉間に深いシワを寄せた。
頭痛がするとでも言うようなその見慣れた表情。
…あああ、土下座して謝りたくなる小心者の私。
言い訳は活動報告にて…。
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