37 五回目なるか
短いです。
よし、これで準備は整った、と。
こちらに来る時に身につけていた警吏隊の制服に着替えて、あれこれ詰め込んだ鞄を手に自分の部屋から出る。
鞄に入っているのは、あちらの世界でも使えそうな服とか、調味料とかお菓子とか。別に観光気分じゃないんだけど、思いついたのはそれくらいだった。
机の上には、いつもの手紙。
書き出しは決まっている。
―――これはさようならを伝えるためじゃないよ。
じいちゃんとばあちゃんに行ってきます!と大きく手を振って家を出た。
病院でシゼル隊長と合流して、そこから例の裏の小道へと向かう。
隊長の傷は抜糸もまだで、本来、出歩いたりしてはいけない重傷人なので、移動にはタクシーを使った。
前回の第一回目の時もタクシーを使ったんだけど、初めて車に乗ったシゼル隊長の反応は面白かった。
ものすごく驚いていたなぁ。カズミが乗馬を苦手とする理由がわかった、と、真顔で言われて噴き出しそうになった。
武井先生にもちゃんと挨拶をした。
…また失敗して戻ってくる可能性もあるけれど、けじめとして。
厄介事から離れられてちょっとほっとした顔をしていた。先生、頑張れ!と無性に応援したくなる人だ。
「シゼル隊長、身体が辛かったら遠慮なくつかまってくださいね」
タクシーから降りて、あまりきれいとは言えない細い小道へ入っていく。
場所が選べないのが残念だ。
もしかしたら転移の起点は何処でも成功するのかもしれないけど。
やはり世界が異なるせいか、こちらで発動する魔学は思う通りにならず、威力は極端に目減りしていた。できるだけ成功率が高くなる条件を整えておかないと、目も当てられない事態に陥りそうだ。
…う、緊張してきた。
これで駄目だったら…。
いやいや! そんな嫌な事は考えない! 強気で行こう! 強気で!
「じゃあ、始めますね」
「わかった。頼む」
シゼル隊長はほんの一週間ほどでこちらがぎょっとするほど言葉を理解できるようになった。
携帯テレビで学習したって言ってたけど、じいちゃんと釣りの話で普通に盛り上がっていた時には、思わず目を疑ったよ。
「ええと、転移するために私の周りの空間を繋げますので、できるだけ近くに来てください」
「わかった。これでいいか?」
「そうですね…なるべくくっついた方がこちらの負担が少ないので、うーん、どうしようかな」
手でも繋ごうかと考えていると、するりと腰に腕が廻された。
…お?
横にいたシゼル隊長に自然と引き寄せられて、寄り添うようなかたちになる。
「これならいいか」
「え、あ、はい!」
斜め背後に立っている隊長の肩に頭が当たっている。…とてつもなく近い。
うっかり離れ離れにならないように、しっかりとつかまってもらうのは望む所なんだけど、この体勢は…。
そういえば、ゼイアスの人たちってどっちかといえば西洋系の生活スタイルだったような。つまりシゼル隊長だって照れもなく、こういう事を平然とやってしまえるわけで…。
…何だろう、この追い詰められた気分は。
自分から言い出したくせに、やってしまった感が否めない…!
あああああ。
いやいやいや、深く考えるのは止めて、さっさとやろう!
「始めます!」
風の神に捧げる誓印をいつもより丁寧に描く。
「其は風の導―――此れをもって約と為す―――是と承すれば開門せよ!」
高らかに詠じれば、その瞬間、真正面から襲い掛かるかのように強い風が吹き付けてきた。
目を開けていられない。シゼル隊長の腕に力がこもるのがわかる。
―――来る!
そう感じた瞬間、身体から体重が失われたような奇妙な浮遊感に引きずり込まれた。
11/2 誤字修正