36 あいたたた
―――失敗しました。
やっぱりそう都合良く話が進む筈もなく。
第一回目、異世界へ参ろう!作戦は見事な失敗に終わりました。
…何が悪かったんだろう。
隊長が望んだ事とはいえ、絶対安静の怪我人を無理して外へ連れ出した結果、何も起こりませんでした、なんて。
とりあえず、シゼル隊長には再び病院に戻ってもらい、武井先生の説教を拝聴してから、私は自宅へと帰ってきた。
おかえりー、と、普通の挨拶が返ってくる事が少し居たたまれない。
前夜、覚悟を決めて、じいちゃんやばあちゃんに腹を割って話をしたところだったので、正直、気まずいものがある。
でも、そんなもやもやが燻っていたのは私だけで、家に居たばあちゃんは何事もなかったかのように、今日の夕飯は何が食べたい?と聞き、じいちゃんは囲碁に付き合ってくれと碁盤を持ち出してくる。
久しぶりに帰宅した直後もそんな感じだった。特別大騒ぎするでもなく、じいちゃんたちは当たり前のように私を受け入れてくれる。何よりもほっとさせる事だった。
「母さんはまだ帰ってこないの?」
いつも私が異世界から帰ってきた直後、一週間以内には戻ってくるのになぁ。
「今回は随分と遠いところまで行っとるみたいだぞ」
「えー、そうなの?」
「ブラジルと言っておったが」
ここから地球の裏側じゃないか!
商品の仕入に海外を飛び回る仕事らしいけれど、相変わらず忙しい人だ。
「あっ、じいちゃん、待った待った!」
「ふぉふぉ、しょうがないやつじゃなぁ」
ごっそり石を持っていかれるところを慌てて止める。
じいちゃんに習い始めた囲碁はまだ初心者もいいところで、大抵、あっという間に勝負がついてしまう。
ううむ、ハンデをもっともらおうかなぁ…。
「で、シゼル殿の国には行けなかったのか」
無言で頷いた。
同じ時刻に同じ場所。条件はそれだと思って、しばらくあの小道で待ってみたけれど、近くを歩き回っても一時間経っても何も変化はなかった。
まさか、同じ月日じゃないと駄目だなんて事はないと思いたい。
私の世界に来てから、もう一週間が経っている。おそらく作戦通り、シゼル隊長の死亡説が餌に使われていると思うのだけれど、その隊長がこのままあちらの世界に戻れなかったら本末転倒だ。
それこそ好き放題に何を言われるかわかったものじゃない。ウェイ隊長たちがそんな事態は防いでくれていると思うけど。
…それに。
「あのさ…じいちゃん、好き勝手な事ばっかりしてごめんね。でも、シゼル隊長には本当に良くしてもらったんだよ。
だから、ちゃんと無事に送り届けたいんだ」
シゼル隊長はよく気がつく人だ。
隊長を元の世界に戻す話をした時、私があちらの世界に渡る必要はないのではないか、と言ってくれた。
方法があるならば一人で試す、と。
…それで上手くいかなかったらどうする気なんだ、あの人は。
それは無茶です!と怒ったら、すまないと謝られてしまった。
巻き込んだのはこちらなので、謝られるのも違うんだけど。
とにかく、そもそも異世界へ迷い込むきっかけは私にありそうなので、前提として同行する事は納得してもらった。
「でも、その方法がわかんないんだよねぇ…。どうしたらあっちに行けるのかなぁ」
囲碁の手とはまだ別に悩み出してしまった私を眺めていたじいちゃんは、突如、笑い出した。
「カズミはもっと頭を柔らかくして生きたがいいぞ」
へ?
「囲碁も同じじゃ。お前は頭からこの手は使えないと思い込んでおらんか? 盤面は世界と同じくして広い。もっと自由に考えてみたらどうだ」
そう言われて、白と黒が散らばった碁盤に目を落とす。
いや、手詰まりは手詰まりとしか思えないんですが。
「ほれ、前にわしに話しておったろう。何とかという魔法を勉強したと。あれは使えんのか? 便利な術があるんじゃろう?」
「あれは二番目の世界で習得した術だよ? この世界で使えるわけないじゃない」
実際に試してみた。
詠唱しても、魔学の使用許可証である銀貨を光らせる事すらできなかった。
「とにかく物は試しじゃ。ほれ、やってみろ」
何を企んでるんだ、じいちゃん。
うろんな目付きになりつつ、仕方なく、銀貨を胸元から取り出した。
「イル・サ・ヤランカ(証を示せ)」
…。
やっぱり無理じゃないか!
「それはあちらの世界の言葉じゃろう? それじゃ意味が通じんのも当たり前じゃあないか」
は?
「郷に入れば郷に従え。この国の言葉でやればよかろう」
いやいやいやいや!
なんでそうなる!?
…って、え、本気!?
何故だか有無を言わせないじいちゃんの眼光に押されて、仕方なく、詠唱の文言を置き換えて誓印を切った。
正確にこちらの言葉に訳すと、かなり長くなるんだけど。
「其の叡智讃える源の証―――これをもって約と為す―――是と承すれば証を示せ」
…。
―――えええええ! 嘘でしょう!?
「ほらな、わしの言った通りじゃろう」
得意げに言われましても!
納得できません…!
あぁ、でもこれで隊長の世界に戻れるかもしれないんだ。
大雑把な私らしく、細かい事は置いておく事にして、私は素直にその可能性を喜ぶ事にした。
色々な意味で、あいたたた…。