34 ボールペンは偉大
今までに訪れる事になった異世界で言葉が通じなかった事は一度ではない。
なにせ国どころか世界そのものが違うのだ。
むしろ、言葉が通じる状態こそが不思議だった。
しかし―――。
やっぱり非常に困ります!
意志の疎通って大事なんだよ!
というわけで、シゼル隊長とのコミュニケーションは一転して筆談になりました。
あちらの世界で念のため文字を習っておいて本当に良かった。人生、何が幸いするか知れたものじゃない。
『ここは、私の世界です』
持ってきたノートにそう書いて見せれば、何とか通じたらしい。
シゼル隊長は上半身を起こして、一通り自分の状態を確かめると、次に見慣れぬ部屋をしげしげと眺めていた。
病室の窓の外には近隣の住宅街が広がっている。イーラウの街とはだいぶ雰囲気が違うだろう。
空の色や、人が歩いていて植物が緑色、なんて基本的な事などは変わらないけれど、異世界と納得できるだけの説得力はあったらしい。
シゼル隊長は動揺をみせる事もなく、ただ頷いた。うん、この全く驚かない平然としたところが他でもない隊長だ。
『ここは病院です。あれから二日、経ってます』
にわか仕込みなので、あまり難しい文章は書けないけれど、そうやって、ある程度の状況を説明した。
武井先生から聞いたシゼル隊長の怪我の具合とか、病院がどんな場所なのか、ナースコールを始めとするあちらの世界に見当たらないものなどを含めてだ。
専用のノートも渡して、そこに隊長が聞きたい事も書いてもらった。
ボールペン一つとっても隊長には珍しいらしく、顔には出ないけれど、その性能に感心しているみたい。向こうでは羽ペンとインクだったからなぁ。
主治医となった武井先生の事も紹介した。
言葉が通じない事を話すと、案の定、驚かれた。
武井先生は語学も堪能らしい。だけど、全く心当たりのない未知の言語だと首を傾げていた。
ゼイアスという国がこの地上の何処にも無い事を思い知らされて、ちょっと気分が重くなる。
母親はまたも仕事で海外に出張しているらしい。うーん、今度は何処まで遠出しているんだろう。
病院には、じいちゃんとばあちゃんも来てくれて、対面を果たし、一段落というところ。
―――だけど、肝心な事はまだシゼル隊長に話せていない。
あれからずっと考え続けている。
もしかしたらという心当たりは幾つかなくもない。
けれども、それは仮定の話でしかなく、確証もないまま話す事はためらわれ、隊長が目覚めてから数日が過ぎていた。
物事を深く考えない、行き当たりばったりを身上とする私がこんなに悩むのは珍しい事だ。
シゼル隊長もあえてその事は尋ねてこない。
怪我人である隊長に気遣われている。結構、情けない。不安であるのは見知らぬ世界に突然、身一つで放り出された隊長の方なのに。
同じ体験者としてその気持ちは痛いほどわかる。
よし! いい加減、うだうだするのもやめにしないと!
思い立ったら吉日。
私は覚悟を決めて、シゼル隊長の病室を訪れた。
病室に入ると、シゼル隊長はじいちゃんが暇つぶしにと持ってきた携帯テレビに見入っていた。
遠くの景色や人を映す事のできる箱です、と、また微妙な説明をしてしまったが、シゼル隊長は早々と操作方法を覚えて、受け入れてしまった。
シゼル隊長って、結構、好奇心が強い人みたい。
あちらでも私の世界について聞きたがったように、病室に取り付けられた電灯の事やら、床や扉の材質に至るまで質問は及び、あっという間に質問でノートは黒くなった。
というか、自分の世界の事ながら、答えられない部分がいっぱいです! 隊長!
時々、シゼル隊長は私の書いた文章をじっと見つめて、沈黙する。それからノートに何か書き込んで、差し出される。
…ん? 同じ言葉?
って、明らかに綴りが間違ってるじゃないか、私!
私が書く意味不明な言葉をいちいち訂正してくれるシゼル隊長。もう師匠と呼んでいいですか。
ありがとうございます! というか、本当にすみません…。
そんな事もたくさんあったので、上手く伝えられるか心配だったのだけれど。
『隊長、お話があります』
いつになく真面目な顔つきになった私に、隊長もテレビを消して、向かい合ってくれた。
『他でもない、隊長の世界に戻る方法についてです』
11/2 誤字修正