31 神様なんて大嫌い
自分のワガママに死ぬほど後悔しました。
でも―――後の祭り。
ていうか、味方は一体、何処なんですか―――!?
襲われてからかなりの時間が経っている気がするのに、一向に救い主が現れる気配が無い。
何ですか、これ。影でこっそりやるから暗殺って言うんですよ。
もはや堂々と襲ってくる敵を蹴散らしながら、事前に決めてあった味方との集合場所までシゼル隊長と二人、ひた走る。
あれだけの騒ぎが起きていてもセベイ長官の王立騎士団の面々は姿を現さなかった。
敵の用意した縄を奪って窓から逃げたので、宿の中の様子まで確認できなかった。
あの騒ぎに誰も巻き込まれずに無事でいてほしい。…現実はそう甘くないって知っているけど。
そりゃ、あのオッサンは嫌な奴だけど、だからって消し去りたいとまでは思わない。むしろ、気分がすかっとなる嫌がらせの一つでもしてやって、あの丸い顔にぎゃふんと言わせてやりたい。その為にも、生き延びていてほしいじゃないか。
集合場所は町の北側を流れるユスト川の河口だそうだ。
演出に丁度良い舞台が揃っているのだそう。川で転落死でも偽装するつもりなんだろう。
正確な場所は知らないので、転移の魔学を使ってシゼル隊長を連れて行く事はできない。ただ、ひたすら、自分たちの足を使って進むしかない現在。
できる限り神経を尖らせて、魔学を使いながら移動してきたので消耗が激しい。
けれど、あともう少し!
空気に水の匂いが入り混じり、滝のような低い水音が聞こえてきて、目的地がすぐ近くだとわかった。
このユスト川は王都近くの湖にまで続いている。つまり、この川に沿って逃げれば自然と王都に着くわけだ。
無傷とはいかず、幾つか掠り傷を負ったけれど、とりあえず命は丸ごと残っています!
それにしても、シゼル隊長ってやっぱり強いんだなぁ!
事務処理主体の人だから運動の苦手な文系かと思っていたけれど、状況を見極めて動くまでが速い事!
私の事をさりげなく補助しつつ敵と応戦する時も、動かずやり過ごす時も、敵の死角から仕掛ける時も、シゼル隊長の頭の中では行動の結果が予想できているようだ。
危なっかしい所がないというか。この人が指揮官なら安心して任せられる、という感じ。
―――だから、あんな事になるとは、思ってもみなかったのだ。
それにしても敵もしつこい。
まぁ、わざと追手を振り切っていない所為もあるのだけれど。言うまでもなく、この作戦には敵側の目撃者が必要だからだ。
それでも追いつかれてしまっては意味がない。
舞台を整える準備もあるので、一定の距離は保っている。
路地を通り抜けて、視界が開ければ、ユスト川を渡るための大きな橋が見えてきた。
あそこが合流地点だ! おそらく、既に味方がスタンバイしている筈。
そう思い込んでいた私は、橋の上に見つけた人影を味方だと信じきっていた。
橋の三分の二ほど先に待っていたのは―――ルイ。
二番隊所属でこっそり女装を極めている、あのルイだ。
「ルイ!」
来てくれたんだ!
良かった、味方だよー!!!
「カズミ!」
不意にシゼル隊長の切迫した声。
駆け寄ろうとしていた足を止めて、隊長を振り返ろうとした。
―――瞬間。
身体をねじ込むようにして、隊長が私とルイの間に割り込んできた。
鼻先に触れているのがシゼル隊長の肩先だと理解するまでに時間がかかる。近い。
唖然としたまま、その上にあるシゼル隊長の横顔に視線をずらした。
隊長?
何も言わず、シゼル隊長が手に持った剣を構えるのを見て、心臓が跳ねる。
まさか、嘘でしょう?
隊長の背中越しにルイと目が合った。
手に持ったナイフを見せ付けるようにして、ルイはにやりと笑った。
―――信じられない。
「アンカ・セリスト・サフェー(出でよ、氷の壁)」
混乱しきった頭のまま、それでも無意識に魔学を放つ。
透明な氷の壁が浮かび上がり、続いてナイフが幾つも突き刺さって白く濁る。
―――ルイ、あんたって奴は!
「ヴォルヴ・セリスト・ウェンテル!(絡め取れ、氷の風)」
次の瞬間、氷の壁が砕け散り、その様子に愕然としたルイに向かって、一陣の風として襲い掛かる。
狙いは足。靴から膝先まで凍りついていくのに気付いたルイの顔が歪んだ。
ねぇ、私、かなり怒っちゃったよ!
何をやってんのさ、ルイ!
隊長が動揺しているルイに近付き、腹に一撃、叩き込んだ。がくりと膝を折ったルイを、シゼル隊長はさらに地に沈める。
うわ…い、痛い。絶対、ソレは痛い! シゼル隊長…よ、容赦ないなぁ!
「…カズミ、動けるか」
背を向けたまま、隊長が言う。
「はい」
「先に行ってくれ。…私は後から向かう」
…え?
言われた事がよくわからない。いや、意味は理解できてる。
けれど、その理由は?
気絶したルイの前で片膝をついたまま、シゼル隊長は立ち上がらない。
ぽとりと床に何かが滴り落ちる音がした。それは錯覚だった。けれど。
血の臭い。
急いで駆け寄って、前に回り込んで、隊長が庇っている箇所に目を凝らす。
突き出たナイフの黒い柄。嘘だ。
シゼル隊長が手を当てている場所が夜闇の中でもわかるほど濡れている。
「見ての通りだ。…この傷では近い内に動けなくなる」
冷静すぎるほど冷静な声はいつもの隊長のもの。
「怪我してる隊長を置いて行けって言うんですか!? そんな事、出来るわけないでしょう!?」
「この場所は敵に先回りされている可能性があると言っても? ウェイの部隊と連絡を取るにも時間がかかり過ぎる。君一人なら逃げるのも容易い」
「嫌です!」
「命令だ」
「従えません!」
「…君は」
明らかに重傷だ。どれほど深い傷なのか。
早く治療をしなければ…!
マグノリアさん!
マグノリアさんの所に行かなくちゃ!
ここからどれくらいの距離があるのか。何度、転移の術を使えばイーラウまで辿り着けるのか。
そんな事はわからない。途中で体力が底を尽きても、どれほど時間がかかろうとも、それでも、ここで隊長を一人にしてたまるものか!
「転移で移動します。私につかまっていてください!」
シゼル隊長がよろめいたので、慌てて支えようと一歩踏み込んで、手を伸ばした。
―――そして。
「!?」
空気の質に感じる違和感。
これで通算八回目。
この肌が逆立つような感覚を、憶えている。
…なんてこった。
―――まさか、こんな時に。
このまま現象が進めば、だんだんと足の下の地面の感覚が無くなり、やがて私の姿は跡形も無くここから消え去る。
元の世界に戻れる合図。
どうして、このタイミングで。
腕を回して支えたシゼル隊長の身体が熱い。
けれど、このままでは。
暗い天を仰いで、歯を食い縛った。
―――意地悪な、いじわるなかみさまなんて。
だ、
い、
き、
ら、
い、
だ!