30 襲来
そう告げられてもすぐには信じられないほど、辺りは静かだった。
なのに敵の気配に気付いたなんて、シゼル隊長は一体、どんな聴覚をしているんだ?
正確な時刻はわからないけれど、夜明けまでまだ遠い事は確かだろう。
音を立てないように起き上がり、寝台から降りる。
隊長の言いつけで、なんと、靴を履いたまま寝ていました。身支度もばっちりです。シーツの汚れとか寝心地とか気にしている場合じゃない…。
寝具を丸めて人が眠っているように偽装する。これもあらかじめ指示されていた事だ。少しでも時間を稼ぐための。
この後、転移の魔学を使って外に逃げろと言われていたんだけれど。
―――多分、余計な事に気付いてしまった。
宿はこんなに静かだっただろうか。
宿泊しているのは無論、私たちだけじゃない。護送中の容疑者である私たちには見張りがつけられているし、セベイ長官も別の部屋に泊まっている筈だ。
就寝前には、扉越しに見張りの人の話し声や足音が聞こえて、夜通しお仕事なんて大変だなぁと他人事のように思っていた。
私たちの逃亡を警戒しているのなら、当然、見張りはまだ扉の前にいる筈。
だけど、どうしてだろう、人のいる気配が全然、伝わってこない。
気配を殺す訓練をしている人間だっているだろう。けれど、ここでその能力を発揮する必要があるだろうか。いや、ない。
それじゃあ、連日の疲れで居眠りでもしているんだろうか? それなら鼾や寝言の一つでも言ってほしい。変な心配をしてしまうじゃないか。
―――無呼吸症候群、つまり、死んだように眠っているんじゃないか―――なんて。
「カズミ」
小声で名前を呼ばれる。
早く行け、という意味だ。
私の困惑した表情を読み取ったのか、隊長が首を振る。
―――シゼル隊長はここに残る。
万が一、道中で襲撃があった場合、相手の筋書き通りに事を進めるつもりだ、と、隊長は言っていた。
シゼル隊長は王都への護送中、不運な事故に巻き込まれて命を落とす。
つまり、死人に口ナシ。悪党がよく使う非道な手口だ。そうすれば後は好き放題に何とでも言える。
策謀が見事に成功した直後の油断、その瞬間こそが隊長たちの狙った罠―――なのだ。
シゼル隊長はあまり乗り気ではなかったらしいが、この一風手の込んだ作戦はウェイ隊長の発案なのだとか。
こっそりと後を追いかけている後続の味方が、隊長の姿を消す手筈を整えているらしい。
でもこの作戦って、明らかに危険ですよ!
一歩間違えば本当にあの世行き! シゼル隊長の腕を信用しているからなんだろうけど、このまま自分一人逃げていいものか悩む。
私は決断した。
「味方と合流するまで一緒にいさせてください。従者が一人だけ先に逃げるなんてどう考えても変ですよ」
「言い訳は何とでも言える。私の事に構わず、先に行け」
「…えーと、その、残念ながらもう遅かったみたいですよ?」
もう少し猶予があると私も思っていたんだけど。
扉が大きく開け放たれた。
頭髪に布を巻き付けた身軽な服装の男たちが一人、二人、三人…。
顔を隠していないのは目撃者を生かして帰さずなんてポリシーだったりします?
一番最後に入ってきた黒髪の男と目が合う。…何だ?
「先に従者だ。変な術を使われる前に殺せ」
え。
うわ、一対三は卑怯ですよ!
シゼル隊長が隙なく身構えるのを視界の端で捉えつつ、息を吸い込んだ。
速さならこちらも負けてはいないんですよ!
「トラウ・ウェンテル!(飛ばせ、風よ)」
風の魔学の初歩の初歩。ただし、私のように加減ができないと、とんでもない事になります。
吹っ飛んで壁に叩き付けられた男たち。そっちがその気なら、こちらも手加減しないよ!
「な、何だ、こいつは…!」
「風が…!?」
はい、不可思議現象だと悩んでいてくださいね!
基本的に武装解除されているので私たちの手元に武器はない。隊長はそれなりに武器を隠し持っているそうだけど。
そこで、相手の手に握られた長剣を確認していた私は、それだけを手元に引き寄せるように、風で絡め取る動きに変えた。
成功したけど、勢いよく飛んできた剣が顔に突き刺さりそうに。あ、危なかった…。
渋い顔のシゼル隊長が無言でそれを抜き取っている間に、じゃあ、もう一丁!
「トラウ・ウェンテル!」
再びの暴風が襲う。慌てて部屋の外へ逃げ出そうとする男たちより重さの無い突風が勝るのは勿論。
隣でシゼル隊長がこれまた深い溜息をついていた。
…やっぱりやり過ぎでした? 三人とも二度目の衝撃が大きかったらしく、床に転がったまま起き上がれないでいる。
―――だが。
「!?」
急に私の前に立ちはだかった隊長から金属めいた高音がして、ぎょっとなる。
へ!?
「やるね、隊長さん」
また、シゼル隊長が剣を前に出して、何かを弾く。ナイフ、だろうか。速過ぎて見極めがつかない。
頭領格にみえる、あの黒髪の男が部屋の外に立っていた。一人回避していたらしい。
残るはたった一人だというのに嫌な笑みを浮かべている。何だろう、この余裕は。
その理由はすぐにわかった。
ひらひらと手を振って男が視界から消えるのと同時に、新たな敵が押し寄せる。今度は五人!
背後の窓枠に何かが打ち付けられるような音もして、振り返れば鉤爪が突き立っていた。この部屋は二階にある。まさか、外の壁を登ってくるつもり!?
絶体絶命のピンチだ!
「カズミ」
新たに剣を構え直したシゼル隊長と背中合わせになる。
「こうなったらとことん暴れてやりますから!」
覚悟を決めた女は強いんです!
7/5 若干、改訂。矛盾点が…。