28 馬車の中で
揺れる馬車の座り心地は思ったより悪くなかった。大学の講義室に用意された固い椅子に慣れているからかもしれない。
一日このまま座っていると、やっぱりお尻が痛くなりそうだけれど。
まぁ、これも我慢だ。この馬車に同乗できたのだから文句は言うまい。
向かいに座っているシゼル隊長は、馬車に乗り込んだ時からずっと黙ったままだった。
顎を引いて背筋を伸ばした堅苦しい姿勢のまま、目を閉じて休んでいる。
窓は閉じられていて、外の景色を見る事は出来ない。何だか既に囚人扱いな気がする。
旅の間の暇つぶしには、他愛のない会話くらいしか思いつかないんだけれど、目の前で明らかに話しかけるなオーラが出されていれば…。
…そんなに嫌だったのかな、私がついてきた事が。
そりゃ私は正真正銘、部外者なわけだし、興味本位とかで下手に余計な首を突っ込まれたくない気持ちはわかる。
これは現実で、遊び事じゃない。私に邪魔する気はなくても、結果的にご迷惑をおかけしちゃう事もあるだろうし。
でも、心配だったんですよ、言い訳かもしれないけど。
お節介なのは自分で承知していますし、隊長一人で大丈夫なんだって事を知ってはいても、目の前であんな場面を見せられて黙っている事はできなかった。
何が待ち受けているかわからないけれど、とにもかくも、せっかく同行する事ができたんだから頑張らないと!
というわけで。
やっぱり…最初に謝っておくべきだよね。
意を決して、膝に置いた手をぎゅっと握り締めた。
「あの、シゼル隊長」
「…」
「出過ぎた真似をしてすみませんでした。言いつけに従わず、無理やりついてきてしまって。
足手纏いにはならないように気をつけますから、その」
無言は止めてもらえないかなぁ…。
シゼル隊長の雰囲気が硬質で、話しかけるのになけなしの勇気を振り絞らなければいけない。
普段、淡々と物事を受け止めて、滅多に怒りを露にしない隊長なだけに、迫力あり過ぎです。
伏せていた目を一度瞬いたシゼル隊長にじっと見つめられると、心臓がおたおたと踊り出す。
…謝罪なら土下座した方が良かっただろうか。
「謝るのはこちらの方だ。私の事情に君を巻き込むつもりはなかった。すまない」
あれ?
思いがけない謝罪に、目が丸くなる。
「いえっ、私が望んだ事ですし、シゼル隊長が謝る事じゃないです!」
大きく両手を振って、慌ててそう伝えれば、シゼル隊長は引き結んだ唇を微かに緩めて、苦笑した。
それだけでぐっと雰囲気が和らいだ気がして、思わずほっと息をつく。
はて? 私の勝手な行動を咎めていないのなら、隊長は一体、何をそんなに怒っていたのだろう。
「カズミ」
名を呼ばれて、背筋が伸びる。
思わずそうしなければならないような、真剣な声音だった。
「最初に言っておくが、この道中は何が起こるかわからない。事前に手は打ってあるが、命に関わる危険が無いとは言えない」
…承知の上です、隊長。
「今からでも遅くは無い。言い訳は何とでもなる。君の術でイーラウに戻るんだ」
「嫌です」
即答すれば、わぁ、未だかつてない険しいシワが眉間に谷を作っている!
「ウェイ隊長と約束したんです。『ちゃんとあいつをここへ連れ戻せよ』って言われて、私ははいと答えました。
私はその約束を破るつもりはありません」
「ウェイの言った事は無視しろ。…あいつは君を女性だと知っていて何故、そういう事を口にする」
「へ?」
苦々しく不満を呟いた隊長に、私は茫然としてしまった。
「君の自覚が足りないのは知っているが、君は女性だ。特別な術が使えるとはいえ、護られるべき対象だという事に変わりはない」
「え、えと、でも、私は警吏隊員です、よ?」
「君の実力は知っているが、万が一の事もある。君には決して単独行動を許さなかった筈だ。
一応、マグノリアにも考慮するよう伝えておいたのだが」
どうしよう。
思い切り動揺してしまう。だって、今までの人生で、こんなにはっきりと区別された事はなかったんだよ!
「そういえば、私、女だったんですよね…」
「…君は何を言っているんだ」
そうですよね、何をわざわざ口にしているんだか…!
でも、それくらい衝撃、というか、痛烈な一撃を喰らった気分です…。
盛大に溜息をつかれました。諦め混じりの、こいつはもうお手上げだ的な。
それでも私がイーラウに戻らない事を理解してくれたのか、それ以上、シゼル隊長は帰れと言わなかった。
「―――もし君の身に危険があれば、私の事はいい。自分の事だけ考えて逃げてくれ」
拒否はできなかった。
澄み切った灰色の眼差しから伝わる本気の命令に気付いてしまえば、とても無理だった。