24 とある夜語り
悪い事をしたら謝ればいいって知っている。
でも―――取り返しのつかない時はどうすればいい?
シゼル隊長はとっくに侵入者の正体が私だと見抜いていたようで、誰何の声を上げる事もなく、ただ黙って見下ろしてくる。
鉛よりも重い金属って何だっけ。とにかく突き刺さる視線の圧力が半端ない。
よく考えなくても、これって不法侵入の現行犯だよ!
しかも酔った上の悪ふざけなんて理由が理由なだけに…。
この場に現れたシゼル隊長は、濃緑の隊服を脱いでいて、室内着のようなゆったりとした黒地のシャツ姿だ。
時間が時間だし、もう休むところだったのだろう。
というか、この部屋はどうみてもシゼル隊長の寝室?
―――という事は。
さあっと血の気が引いた。
あああああ、忙しい隊長の安眠を邪魔してまで、私は一体何をやってるんだ!
全力で謝罪しようとして、何だろう、夜中に寝室に忍び込んで云々って、もしかしなくても夜這いって言うんじゃないか?
うっかりそんな事に思い当たったものだから、余計に焦ってしまい。
「あああああの、これは夜這いでもなくってですね! 隊長を襲いに来たとかじゃありませんから! 決して!」
「…」
後から我に返れば爪先まで赤くなるほど恥ずかしい弁明だったけど、その時は必死だったんだ…!
「お休みのところお騒がせしてしまって、反省してますごめんなさい申し訳ありませんっ。
ここが隊長の寝室だとは知らなくてですね、知らなかったからと言って許される事ではないのは重々承知していますがっ」
拷問のような沈黙に、やっぱり怒ってますよねと肩が下がる。
「本当にすみません…あの! 外の草むしりでも、食堂の下働きでも、全館掃除でも何でもしますので!
除隊だけはどうにか勘弁してもらえませんか―――」
衣食住破綻の危機!と、私が情けない顔で言い募っている最中、頭上で何かぽつりと呟かれた気がして、思わず顔を上げた。
え?
つかまれた腕から伝わってくる振動。
何だこれ。
よくよく観察すれば俯いたシゼル隊長の肩が微かに震えていた。呆気に取られる。
え、えー…!?
まさかとは思うけど、これは。
「君は、相変わらずだな」
気のせいじゃなかった。
永久凍土のようだった灰色の眼差しが気のせいか和らいで、声に笑いが滲んでいる。
え、一体、今の話の何処に笑える要素があったんですか、シゼル隊長!?
ふうっと溜息をついた隊長が目を伏せて、腕も放してくれた。
「―――だが」
続けられた声にずしりと腹が重くなる。
思わず姿勢を正した。
「詳しい事情を聞かずとも君の―――君たちが考えそうな事はわかる。大方、この隠し部屋について興味を持ったのだろうが」
はい、その通りです…。
そこで、開け放たれた窓を見やったシゼル隊長は「その話は他の者も含めて明日にすべきか」と打ち切り、替わりに意外な言葉を口にした。
「君の世界について聞いてみたいと思っていた」
私が戻るのを待っていたアインたちに、窓からシゼル隊長の姿を見せてぎょっとさせた後、シゼル隊長の執務室に移動した。
疑問だった隠し部屋の仕組はあっさりとわかった。
なんと、シゼル隊長の執務室にある書棚が引き戸のように動かせるようになっており、そこに扉が隠れていたのだ。
この書棚のからくりは前の持ち主の趣味らしい。あんまり良い目的で使われていたわけじゃなさそう。古来より悪党と秘密は切り離せないと決まっている。
今は自宅に帰れない時のシゼル隊長の仮眠室になっているのだそうだ。
部屋の灯りは、シゼル隊長の机の上に置かれたカンテラと、星明りに照らし出される街が見下ろせる窓が一つ。
蛍光灯に慣れた私の目にはやっぱり暗い。仕事などしていたら目を悪くしそうだ。
この所、出張だったのか隊長は本部にいる事が少なく、しばらく会っていなかったのだけれど、心なしか、目元の影が濃くなっていて顔色もよろしくない。
早く寝た方がいいんじゃないかと思ったけれど、あまり何かを望む事がなさそうな隊長の珍しいリクエストだからなぁ。
「何時だったか、君が便利な箱だらけの世界と表現していたが、本当にそうなのか?」
え、それって、秘密を大暴露したすぐ後くらい、あまりの洗濯物の汚れの酷さに閉口して、アインにぼやいてた時のだよね。
恐るべき記憶力、って、聞いてたのか、隊長。
書類の仕分けに動かしていた手を留めて振り返れば、興味深そうに私を見つめて、シゼル隊長が返答を待っている。
そんなに私の世界に関心があったんですか、シゼル隊長。
「ええと、箱だらけと言うのはですね」
我ながらなんて大雑把すぎる説明なんだ…。
こちらには電気に相当するエネルギーはまだない。
つまり、洗濯も手作業で、手足で揉み込んだりしながら洗濯板で汚れが落ちるまで洗うのだ。
その日の洗濯物は、何があったのか、黒い油染みのついた布が大量にあって、あまりのしつこさに合成洗剤と洗濯機があればなぁと思わず愚痴をこぼした。
それを聞いていたアインが、センタクキって何だ?と訊いたので、洗濯物を自動で洗ってくれる箱、と、簡潔すぎるほど簡潔に説明したのだ。
「箱ぉ?」と、どんな想像をしたのか胡散臭げな表情になったアインに、「他にも、馬車みたいに人を運んでくれる箱とか、食器を洗ってくれる箱とか、食料品を冷やしてくれる便利な箱とか、色々あるんだよ」と、何気なく口にしたら、ますます正気を疑う目付きを寄越された。
「何処もかしこも箱だらけって…お前の世界って変」
…うん、盛大に誤解を植えつけたんだった。
「つまり、この世界にない動力源があってですね、それを使って動くからくりがたくさんあるんです」
なんて微妙な説明をしてるんだ…。
子供の頃はともかく、異世界人なんて主張を信じる人も少なく、まともに質問をする人が幸運にも周りにいなかったために、元の世界について語る事なんてほとんどなかったんです…。
「精密なものなのだな?」
「はい、専門の技術者や道具がないと組み立てる事はできませんね。私も仕組をちゃんと説明できるほど知らないんです」
だから、深く突っ込まないでください!
「この世界との違いと言えば、私の国では身分制度が廃止されている事とか、剣とか弓で戦争をしない事とかですかね」
この国みたいに真剣を腰に差していたら、間違いなく銃刀法違反で逮捕されます。
「身分制度がない、とは」
「昔はあったと聞いていますけど、今は生まれとかに関係なく、本人の努力次第でなりたい職業に就けたり、王様が政治をするんじゃなくみんなの投票で物事を決めたりとかですね」
一般的には。
全てがそうだとは言い切れないけど、表向きにはそうだ。
「想像もつかない世界のようだな」
シゼル隊長は貴族の身分を持っている。
けれど、この前、アイヴァンさんから聞いた話では、シゼル隊長は貴族の中でも変り種なんだと言っていた。
この国営のイーラウ警吏隊において、本来ならゼイアス国民のみ登用されるところを、私のような、アイヴァンさんのような他国の人間にも等しく門戸を開いている。
実力重視で合理的に思えても、かなり異例の事らしい。言ってはなんだけど、いつ敵に回るかもしれない他国の人間に自国を護らせるなどという酔狂は俺には考えられない、と、アイヴァンさんは肩を竦めていた。
だから、私の話を静かに相槌を入れながら聞いているシゼル隊長がどんな表情をしているのか気になって―――。
いつもの如く、何事にも動じない淡々とした面持ちに、何故か、ほっとしてしまった。
「戦は、君の世界でもあったのか」
え?
「君の様子からして、争いなどない世界に暮らしていたのだと思っていた」
ええと? それは、私が戦争とは無縁の呑気な人間にみえると言いたいんですか…。
当たってますけど。
「ないわけじゃないです。でも、私の生まれた国ではかなり昔の事なので、私は戦争を知りません。
でも、戦争がどれだけ悲惨で多くの悲劇を生むかは、本や記録にたくさん残っています。過ちを繰り返さないようにって伝えられるんですよ」
人が死んだり、痛い思いをしたり、傷つけ合ったりするのは嫌だ。
想像するだけでもぞっとするのに。
魔学を学んだ世界でも、元の世界によく似た三回目のエイジア風の世界でも、争い事はやっぱり存在していた。この今いる世界でも。
でも、それをやっぱり仕方の無い事なんだと思いたくはないんだよ。
何ができるわけじゃない。けれど、私にできる事があるなら悔いは残したくないんだ。
―――その時の私は本当にそう思っていた。
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