23 続とある一日
時刻は深夜近く。
すっかり暗くなっているけれど、ノエと呼ばれる月のような薄青い星があるおかげで身動きする分には支障はない。
頭上にある目的地を見上げれば思ったより距離はないが、酔いが醒めてきた自分としては躊躇いにがっちり足首をつかまれていると言いますか。
―――本当にやるの…?
目で訴えれば、後ろで堂々と控えているアインたちに大きく頷かれ、仕方なく、足場となるだろう壁枠と支えにする壁面の蔦に手をかける。
こっそりと、重力の影響を弱める魔学を使ったから、これ自体は無理ではないんだけど。
どうして転移の術も使わず、壁をよじ登り、私が本部に侵入しようとしているかと言うと、それは、ちょっと前の出来事に遡る―――。
「そういや、本部の表玄関の対角にある、裏に回ったとこの三階に窓があるの知ってるか?」
一日の仕事を終えて、アインと他の部隊の面々と飲みにやって来た。
二十歳も越えて、何の問題もなく、お酒が飲める年頃ですし。
食事処と酒場を兼ねたざっかけない店で、値段の割に手の込んだ料理が多く、味も申し分ない。
さすが、アインは西イーラウをよく知るだけあって、こういったお店の選定もばっちりだ。
食べ盛りの若者たちの集団なので、片っ端から大皿が空いていく。
食いそびれまいと懸命にスプーンを動かしていたら、お前、食べすぎ!と頭をはたかれた。…あはは。
「窓?」
「そこって開かずの部屋って言われてるんだぜ」
何処でも聞くような、よくある話だなぁ。
言い出したのは初めて顔を合わせた他の部隊の青年で、既にお酒が回っているのか、顔が赤い。大丈夫なのか?
私はと言えば、ほろ酔い気分。身体が少しふわりとするぐらいだった。
「開かずの部屋ー? そんな噂、聞いた事ないぞ、おれ」
「あの辺りってシゼル隊長の執務室だろ? 他に部屋ってあったっけな」
つまらなさそうに口々に言う他の面子に指を振ってみせた彼は、にやりと笑った。
「確認してきたんだ。あの壁の突き当たりは隊長の執務室で合ってる。だが!
部屋の間取りを考えると、執務室の隣、つまりあの窓がある位置に謎の空間があるんだ! 出入り口の一切がない、開かずの密室が!」
どうだ!すごいだろ!?と言わんばかりに胸を張られたが、つまる所。
「そこに部屋があるだけだろ」
と、白けた顔のアインが私の気持ちを代弁してくれた。
「ただの部屋じゃない、開、か、ず、の、部屋、なんだ!
そう何度も入った事ないけど、隊長の部屋には他に扉らしきものはなかったんだからな! どうだ! 不思議だろう!?」
うーん、確かに記憶する限りじゃ、書棚と事務机、冬用の暖炉が設置された他には、壁に扉なんてなかったと思うけれど。
「じゃあ、お前が扉を見落としてるだけだろ」
と、アインが呆れて素っ気無く言う。
私も同感。
部屋があるなら、出入り口がないと変だ。そんなの当たり前じゃないか。
「入口が隠されてるんだろ」
「そりゃ何でだ!?」
「俺が知るかーい」
べしっとアインが素早く相手の額にチョップする。
結構、容赦ない鈍い音がして、他部隊の彼はぐわっと呻いて涙目になった。
さっきからゴハンよりもお酒の瓶ばかりに手を伸ばしていたアインが、そこでふと考えるように上を見つめてから、急にくるりと私の方に振り向いた。
それから、怪しげなとしか形容できない笑みを口許に広げた。…嫌な予感がする。
「ならさ、こいつに頼んでみろよ」
こいつって―――もしかしなくても、私の事ですか!?
「カズミはどんな高所でも、どんな難所でも、何処でも入り込める潜入の達人なんだ。きっとこいつなら開かずの扉の向こうにも入れるって」
…おいおいおいおい!
魔学の転移術の事を言ってるんだろうけど、その言い方じゃ、前科百犯の窃盗犯罪者にしか聞こえない!
それに、転移先がどうなっているかも確認せずに術を使うのは結構、無謀なんだよ! よくやるけど!
にこにこと楽しげに笑いかけてくるアインの顔を睨む。
「いいじゃん、ちょっと覗いて来ればいいんだし。楽勝だろ?」
他人事と思って好き勝手に言ってるなー。
顔色も何も変わっていないし普段通りにみえていたが、実は酔っているのか、アインが抜き差しならないまでにその場を盛り上げる。
…私もあまり深く考えずに、まいっかと軽く思ってしまったのが運の尽きだった。
といっても、大っぴらに魔学を使用しない事を決めている私としては、アインはともかく、他の面子の前で転移の術を披露するのは遠慮したい。
そんなわけで、自分の手足を使って、木登りと同じ要領で登っていく。
裏技を使った私は呆気なく目標地点にまで辿り着き―――ちょっと窓に手を伸ばして、予想外に施錠されていなかった事に驚いた。
ふむ?
音を立てずに窓を滑らせ、しばらく部屋の様子を窺っても、真っ暗のまま人が駆けつけるような気配はない。
その事に安心して、私は部屋の中に降り立った。
奥には寝心地の悪そうな簡易の寝台があり、文机が一つ。寮の個室とあまり変わらない、殺風景な部屋だった。
窓から離れた壁に扉を発見した。
なんだ、ちゃんと扉が存在しているじゃないか。
しかも半開きになっている。間違いなく誰かが通路を使用しているという事だ。
何気なく近付いて扉をまじまじと観察し、この裏側は本部のどの辺りになるんだろうと想像を思い廻らせた。
が。
「っえ!?」
急に扉が外に開いて、素早く伸びた手ががちりと私の腕をつかむ。
やばい。
ところが、逃げるよりも先に暗がりに浮かび上がった相手の正体が目に飛び込んできて、茫然となった。
ある意味、予想通りと言えなくもない、眉間をこれ以上なくひそめた気難しい表情は他の誰でもない。
―――し、シゼル隊長だー!!!!!
怒られるのは時間の問題だ!