22 とある一日
手紙を何とかして書き上げた。
単語を並べただけのカタコトだけど、多分、意味は通じるだろう。
この世界から前触れなく強制退去する事を想定して、元の国へ帰る事情を説明したものだ。
寮の自室の机に仕舞っておけば、もしかしたら、誰か見つけて読んでくれるかもしれない。
固まった体を伸びをしてほぐすと、外へ出る。
さて、今日は何をしよう?
何回目の休日になるのだか、また街でぶらぶらしようと玄関に向かう途中、私はアインに声をかけられた。
「なに、これから出掛けるのか?」
「うん、また手持ちのお菓子が少なくなったからね!」
空腹は私の最大の敵です。
ふうんと頷いたアインも出かける所だったんだろう。
そろそろ風が冷たくなってきたので、一枚多く外套を羽織っている。
「お前さ、知ってる?」
「へ? 何を?」
「ファウマン侯爵の件」
ファウマンこうしゃくって誰?
あまり記憶力の良くない私が心当たりを探して考え込んでいると、答えが出る前にアインが続けた。
「お前が侯爵令嬢を助けたんじゃなかったか?」
「…ミーファの事?」
「名前までは俺も知らないけどな。あれ、ひとまず、一段落したみたいだぜ」
んんん?
あれって何だ?
一段落って?
幾つもの疑問が浮かんだけれど、それに気付かず、アインはじゃあなと私を追い越していく。
いやいやいやいや、さっぱりわけわかんないですよ。
状況説明、誰かしてください!
新しい週の始まりに、マグノリアさんからその週の街の巡廻ルートと、複数点在している詰所に駐在する当番表を渡される。
巡廻ルートは大きく分けて三通り。何か事件があれば、その現場を見回ったりと、ちょこちょこ変化する。
警吏隊が西イーラウの街を巡る時間は大体決まっているんだけど、時々、予告なく変わる事もある。そうやって油断を狙うわけだ。
西イーラウ地区には、さらに細かく区画配分された地域毎に、警吏隊が常駐する詰所が置かれている。
これも週の始めに、その週担当する詰所の割り当てが各部隊に通達され、数名で持ち場につく。
今週の二番隊の当番は、鍛冶屋や靴屋、金物屋などが多く集まる職人街の中にある詰所だった。
時々、気質の荒い職人たちの間で乱闘があったりもするけれど、日中はみんな真面目に働いているので、商店街ほど手はかからない。
二番隊の面々で午前と午後に分けて、当番にあたる。
その日の午後は、アイヴァンさんとヨルファと一緒だった。
…うん、ペアの相手は選べないんだな、これが。
「暇だな」
「そうですねー」
今までに届出のあった遺失物届けの事務処理も終わったし、道を尋ねてくる旅人も、事件の知らせに飛び込んでくる客も来ない。
ここまで何もない状態なのも、何だか珍しい。平和でいいんだけどね。
ヨルファは相変わらず沈黙の谷の住人で、隅に寄せられた椅子に座ったまま、微動だにしないし。
アイヴァンさんと二人、詰所に面した通りに目をやりながら、手持ち無沙汰で用意した飲み物を啜る。
「どうだ? 少しは剣の腕は上がったか?」
…ここで、イイエ、と答える事の危険性を考えずにはいられない。
「前よりはマシになりました。何度も教えていただいてありがとうございます」
「…単に俺が剣を振るのが好きなだけだ」
ふいと横を向いて、アイヴァンさんはぼそりとそう言う。
指導は鬼の如くだけど、私のためを思ってそうしてくれているのはちゃんとわかってますよ!
「最近、見ないが、あの妙な術はまだ使えるのか?」
魔学の事?
「はい、使えますよ」
「そうか」
シゼル隊長の忠告に従って、日常的にはほとんど使ってないけれど。
「あれは何というか、反則技だな。ある意味、お前らしいというか」
どういう意味ですか。深く突っ込むべきですか。
「あの術が使えれば、剣の腕は必要ないように思うが、そういうわけにもいかんのだろうな」
「そうですねー」
私はのほほんと手を振る。
「接近戦には向いていませんから、うっかり敵に捕まえられて、誓印を描くための手を拘束されたり、口を封じられりしたら使い物になりませんね!」
そのため、早口言葉と敵に捕獲されないための位置取りや戦術は、魔学使いにとって重要なスキルとなっている。
「…堂々と弱点を口にしてはいかんと思うのだが」
「あはは、別に隠していませんし」
何度か私が魔学を使う所を見ていればわかる事だ。
「素質があれば誰でも使える術なんですよ。アイヴァンさんも試してみます?」
銀貨の形をした魔学証明書には私の名前が刻まれているから他の誰にも使えないけれど、魔学使いの資質を調べる事くらいはできる。
「遠慮する。俺には不要だ」
アイヴァンさんは口許だけで笑って、断言した。
自分に何が必要で何が必要でないか、きちんと知っている。無闇に力を求める若者には出てこない言葉だ。アイヴァンさんは大人だなぁ。
そんなとりとめのない話をしつつ、その日の隊務も終わる。
また、ヨルファは一言も喋らなかったなぁ。いつかまともな会話をする事が出来るんだろうか。
緩やかに、またその日の夕暮れが空を朱に染め始めていた。