― 幕間 ― マグノリア
マグノリア視点。
闇の帳が下ろされた寝台の上、マグノリアは音を立てずに身を起こした。
隣で丸くなって寝息を立てる相手を無駄だと知っていて睨む。
渋々と同じ寝台に身体を横たえたのが半時前。それから間を置かずに熟睡されてしまった。
怪我による高熱で自分のしている事をよくわかっていないのだとしても、やはりこの状態はありえないと強く思う。
短い黒髪がさらりと頬を流れるその横顔はまだあどけなく、本人が申告した二十歳という年齢に達しているとはとても思えない。
濃い色の制服と違って風通しの良さそうな薄手の衣服でいる今は、華奢な骨格は見紛いようがなく、鎖骨から胸元に続くラインも明らかに男のものではないとわかる。
女に不自由した事もなく、始終盛るほど青くもない自分としては、間違っても手を出す気はないが―――それでもだ。
世の中、自分のように据え膳に手を出さない男ばかりではない。
―――本人の自覚を促す為にも押し倒す真似事くらいはしておくべきだったか。
そこまでの考えを巡らせたマグノリアは、落ちてくる髪を鬱陶しげにかき上げ、天井を仰いだ。
「最悪…」
そんな義理も友誼も無いというのに、何故、自分がそんな事を心配してやらねばならないのか。
この状況がどうしようもなく腹立たしい。
未だに男と同じ浴室を平気に使い、訓練では顔に傷を作る。年頃の娘としての意識は零で、あまりにも無頓着で杜撰な有様を見ていられず、口出ししてしまったのが悪かったのだろう。
憧憬の眼差しを向けられるようになり、妙に懐かれた感はある。元々、誰にでもあまり垣根を作らない性格であるようだが。
自分の容姿が人にどう見られるかは知っている。
警吏隊に入隊したばかりの頃は、異彩を放つ自分と関わりたがる相手はおらず、遠巻きにして距離を置く者たちがほとんどだった。
こちらとしても馴れ合うつもりはなく、人並以上の美貌を騒ぎ立てる煩わしい連中を遠ざけるにも都合が良かった。
発端は男性恐怖症になった妹の為とはいえ、今は好んで女装をしている。やるなら徹底的に。化粧や仕草一つで妖艶にも清楚な美女にも化けられるし、肌の手入れも完璧だ。
家族でさえ今の自分を彼と気付く事はまずないだろう…。
イーラウではただ路銀を稼ぐために立ち寄っただけで、また当てもなく次の街へ流れる予定だった。
それが思いのほか長居をする事になってしまったのは、今の警吏隊を率いるベネディクト・シゼル・ルガードに命を救われた事に端を発する。
五年前、イーラウの警吏隊は今と驚くほど違う顔を持っていた。
盗品の横流し、人身売買を始めとする密売や非道に手を染める裏組織と癒着し、甘い汁を啜る警吏隊とは名ばかりの無法者の一団だったのだ。
国から派遣される王の目である監督官でさえ裏組織と結託し、交易都市より闇市場の側面が前面に押し出されていた。
請け負った仕事でその裏組織と敵対するに至ったマグノリアは、不意を突かれた夜襲で瀕死の目に遭い、それを彼に救われた。
何時から入り込んでいたのか、無法地帯である西イーラウに潜んでいたシゼルは、まず怯えて暮らしていた住民たちの協力を取り付け、情報を収集し、警吏隊の前身である武装集団を組織すると、大掃除に取り掛かった。
その際、対テネジア戦役の英雄、ウェイが裏組織に潜入して証拠を固め、内部からも手引きをしたらしい。
最終的に犯罪組織は壊滅し、旧警吏隊は解散、監督官は貴族ゆえに更迭されたが、国王より蟄居を命ぜられ、現在もそれは継続している。
本来、シゼルはこのような一地方都市、数百人しかいない警吏隊に身を置くような人間ではない。
十指に入る王位継承権を持つ彼に相応しい地位は、数千人規模の王立騎士団の長であったりしただろう。
だが、彼は政争に破れ、イーラウに下野する事になったという。
そして、それを苦に思っている風でもない。要らぬ自尊心ばかりが高い貴族の一人とは思えない。
既に数年、行動を共にしているが、何を考えているか今一つ読めない、不可思議な男だ。
カズミを受け入れた時も、まるっきり他の一隊員と変わらぬ扱いで、あの妙な術について言及する素振りさえない。
関心がないのか、警戒するに値しないと判断したのか。
「…ん」
寝返りをうったカズミが寝苦しいのか、上掛けの布から飛び出てしまっていた。
理由まではわからないが、今夜の彼女はどうにも不安定な様子で、治療後の経過をみるためにも自室に連れてきたのだが、結果がこれだ。
諦めの溜息を落とすと、マグノリアは上掛けを引き上げてやり、寝台から降りた。
―――翌朝、カズミから全身全霊で謝り倒された。
やはり昨夜は正気ではなかったらしい。
莫迦な子ほど可愛いという言葉があるが、まさかこれがそうなのかしら、と、やや複雑な諦観を抱いたマグノリアであった。
マグノリアは偽名です。