16 事件の影
執務室には、その主のシゼル隊長、そして、マグノリアさんの姿があった。
ウェイ隊長がそこに加わり、私はミーファの様子でも見てこようと扉に向かったけれど、ノックの音に足を止めた。
開かれた扉の向こうに立っていたのは、オードさんだった。
「あぁ、カズミ、ちょうど良かった」
そう言って、穏やかに微笑みかけられ、私は何だろうと首をひねる。
「その前に、と。シゼル隊長、お客様をお連れしましたよ」
すっとオードさんが身を引けば、見知らぬお嬢さんの姿があった。
白のブラウスの上に胸元が紐で編まれた臙脂色のロングスカート。街でよく見かける年頃の娘さんといった感じだ。
年は私と同じくらいで、くっきりとした眉が毅然とした表情を強調し、束ねられた栗色の髪が輪郭をほっそりとみせる。凛とした美人さんだ。
「突然、お邪魔して申し訳ありません。ワイト商会のレオナ・ワイトと申します」
立ち上がったシゼル隊長の前に進み出たレオナさんは、スカートの裾をつまみ、優雅に礼をした。
「この度はファウマン嬢を保護していただき、本当にありがとうございます、シゼル隊長。なんとお礼を申し上げたらいいか」
レオナさんの口から出たファウマン嬢…って、ミーファの事?
「例の件で現場近くの詰所まで出向いたら、そこにワイト商会のお嬢さんがおられまして。
ファウマン嬢を探しておられる様子でしたので、こちらまでお連れした次第です」
オードさんの補足にレオナさんは頷いて、それから事の経緯を説明してくれた。
各地に支部を持つワイト商会の社長、レオナさんの父親と、ミーファの父親であるファウマン侯爵は友人同士で、家ぐるみで親交がある間柄だという。
後から聞いた話だと、貴族と商人が友達付き合いをするなど、かなり異色な取り合わせなのだとか。
年若いとはいえ、既にワイト商会の看板を背負うレオナさんは、とある商談を進める為、ペシャウル国に赴く事になった。
その際に、ファウマン侯爵から見聞を広める為に娘も連れて行ってくれないかと頼まれ、ワイト商会でミーファを預かる事になった。
昨日、東イーラウ地区にあるワイト商会の屋敷に到着し、今日は西イーラウ観光と洒落込んだらしいのだが、その途中で不意にミーファの姿が消え、家の者総出で探していたのだという。
ミーファは本部客室で眠っているらしい。
その寝顔を見て、どれほど安堵したか。レオナさんは感謝を述べ、「噂通りイーラウの警吏隊は優秀な方が集まっておられるのですね」と、花のような笑顔で誉め称えてくれた。
それほどでもって胸を張りたいけれど、あんな失態をしたばかりではそれも無理。
「ワイト嬢、今回の事件の犯人について心当たりがあれば教えていただきたいのですが。
断定はできませんが、状況を聞く限り、彼女をファウマン嬢だと知って狙った可能性があります。
あなたにご息女を預けられた際に、ファウマン侯爵は何も?」
淡々としたシゼル隊長の問いに、ワイト嬢は真剣な面持ちで首を振った。
「いいえ、何もおっしゃってはおられませんでしたわ。普段と変わりない様子でおられましたし。
こちらに伺う前に、事の次第を報告する早馬を出しましたので、数日の内には王都から返事があると思うのですが」
仕事が早いな、ワイト嬢!
「―――ですが、懸念が全くないという訳ではありません。侯爵は身分と共にしがらみもあるお方ですから。
それに―――シゼル隊長、ファウマン嬢はあなたと同じ、そう申し上げればおわかりいただけますか」
不意に投じられた一言に、さっと場が張り詰めた。
―――シゼル隊長とミーファが同じ?
第三者の私にはさっぱり意味がわからないけれど、他の面々、ウェイ隊長やマグノリアさん、オードさんにはばっちり通じているみたいだ。
ウェイ隊長は眉をひそめ、マグノリアさんは眦を険しくし、オードさんも微笑を消している。
言われた当人だけが何事も無かったかのような涼しい顔をしていた。
レオナさんは護衛を増やして、予定より出立を早める事を告げ、その日まで東イーラウ地区の警吏隊が身辺警護を務める事になった。
そこに私の名前が加えられたのはどうしてでしょうか…。
まぁ、ミーファが心配だし、異存はないんだけどね。
それにしてもさっきのレオナさんの言葉は何だったんだろう?
レオナさんが隊員に付き添われてミーファの所に向かった後、すっかり立ち去るきっかけを失った私に、シゼル隊長が休んでいいと許可をくれた。
いい加減、怪我のせいで体も熱っぽいので、ありがたく引き取ろうとすると、「待って」とオードさんに呼び止められる。
「カズミが捕縛したという犯人たちですが、近辺を捜しましたが、姿がありませんでした」
うえっ!?
どういう事???
「カズミ、君たちが襲われた場所は、オルロー通りの一つ手前の路地で合っているかい?」
オルロー通りでジュースを買ったのだから間違いない。
「争った形跡はあるのだけれどね、あちこちの路地を見て回ったけれど他には何も見つけられなかったよ」
えええ。でも、足の爪先から肩までぎっちり縛り上げて蓑虫状態にしたから、自力で逃げるのは無理だと思うんだけどなぁ。
「逃げたか―――口封じか」
隣でウェイ隊長が意味ありげに口の端を引き上げ、その意味を理解したとたん、頭の中が真っ白になる。
―――口封じって。
「オルロー通りではかなり悪目立ちしていたみたいですし、四人もの男が幼い娘にしてやられたその無能ぶりなら、それも無理ない事でしょうね」
何かさらりときっつい事、言ってませんか、オードさん。
唯一、まともな人だと思っていたのに…今までの優しさはもしや真っ赤な偽物だったりしますか。
「カズミ?」
マグノリアさんの声が聞こえて、顔を上げれば…う、視界がぶれた。
「アンタ、顔が真っ青よ。ぼやぼやしてないで、さっさと休みなさい」
ドクターのご命令が出たので、素直に退室した。
けれど、急に具合が悪くなったのは怪我のせいじゃない。
―――知りたくない答えを知ってしまったからだ。
熱に侵された思考が余計な迷路に踏み込んでしまわぬ内に、私は寮にある自分の部屋に戻って、寝台にもぐり込んだ。