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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

消しゴムの恋

作者: 加倉千早

 世界は、なんてリアルな物語。目に見えるもの総て、まるで本物だ。


 けれど私は知っている。この世界が泡沫でしかないことを――。


 浮かんでは消える泡沫を、ぼんやりと眺める。それが私――御影(みかげ)ハルカ。


「ハルカ」


 ところてんのような、よく通る声で呼ばれた。


 私たちの他には誰もいない、放課後の教室。


「なんですか、藤島(ふじしま)先輩」


「いい加減、認めたらどう?」


 藤島カナン。校内でも評判の才媛に、私は絡まれている。と言っても悪い意味ではない。たぶん、可愛がられているのだ。


「だから、何を認めるんですか?」


 私は、いつも醒めた返事をする。


「本当は見えているのでしょ?」


 この話題に関して、藤島先輩は粘着質だ。というか、それが目的で私に近付いたように思う。


 でも、私への興味がそれだけだとしたら、少し悲しい。私は、先輩のこと嫌いじゃないから。


「仮に、先輩が言うような白い糸……ですか、それが見えたとして、何がどうなるんですか?」


 人は、白い糸でソラに繋がれている。マリオネットのように。だから、どうだというのだろう?


 世界は変わらない。私の見ている物語は、有り触れた日常を繰り返す。私は、そんなページを開いてしまった。それだけのことだ。


「世界が変わるわ。ハルカと、私が手を組めば。私たちは運命を持たない者。だから世界を変えられる」


 先輩は、壮大だ。ある意味クレイジーだ。でも、そんな器の大きさに、少し惹かれる。大きな存在に、引っ張って貰いたいのかも知れない。


「どうやって?」


「それを説明すると長くなるわ。それに、説明することに意味はないの」


「意味が分かりません」


「ほぉら」


「何が、ほぉら、ですか。私が説明を求めると、いつもはぐらかす」


「だから、感じて。信じなくてもいいから、感じて」


 ピンクのバラが咲いたような、甘い微笑み。信じて掴んだら棘に刺されることも、私は知っている。信じたら、ダメだ。こんな人を信じたら、私は毒される。


「わけ分かりません」


 私は窓の外に目を遣った。校庭を走り回るサッカー部員たち。みんな元気だ。


 不意に、抱き付かれた。棘が、私の胸に突き刺さる。いっそ、貫いて欲しいとさえ思った。


「何を感じる?」


 耳許で、先輩が囁いた。


「もう夏だなぁ、と。そうやってくっつかれると暑いです、先輩」


「他には?」


「口に出すのも恥ずかしいようなこと」


 先輩の体温が、私を焦がす。夏よりも熱く。そんなことを。


「口に出したら恥ずかしいようなことでも、本当は感じてる。私の意識はハルカの意識に触れているのだから」


 触れられている部分から侵食されていく――。


 危ない。信じてしまいそうになる。藤島カナンという人を。


 感じることと、信じることは、似ている。少なくとも、私には区別できない。


 先輩が、私から離れた。この、何かを引きはがされるような感覚は?


「ねぇ、誰かの糸を切ってみたいとは思わない?」


「そんなの出来るわけが――」


 あ。つい、口を滑らせた。白い糸が見えていない前提なら、受け答えは違うはずだ。


 先輩が悪戯っぽく笑った。してやったりの表情だ。


「はいはい、認めますよ」


 私は大袈裟に溜息をついて見せた。


 私がどれだけ否定しても、先輩は諦めてくれなかった。まるで、最後には私のほうが折れると分かっていたかのように、しつこく付きまとってきた。それを私は、楽しいと感じていた。だから、頑なに否定し続けた。


「それはそれで面白いから、別に良かったけど」


「いい迷惑です」


 心にもないことを言ってみた。たぶん、この人は私の嘘なんて見抜いてしまうのだ。


「あら、ハルカちゃん。私のこと嫌い?」


 それ、自分が好かれているという自信がなければ言えない台詞だ。この人は本当に、私の気持ちなんて全部お見通しなのだろうか?


「どうして先輩は、口に出すのも恥ずかしいようなことを言っちゃうんですか」


「だって、ハルカ鈍いから、言わなきゃ分かんないでしょ?」


 私が鈍い? しっかり者のハルカちゃんで通ってる私が?


 小さい頃から親戚のオバさんには受けが良くて、いつも可愛がられていた。


「糸が見えるとか、世界を変えるとか、そういうの全部口実だから」


 ちょっと、何それ。口実って何? 今までのアレは、なんだったというの?


 本気で迷惑してるとか思ったことはないけど、休みの日に呼び出されればホイホイ買い物にも付き合ったし、先輩が嫌がるからピアスも開けなかった。可愛がられていると思えばこそ、だ。


 動揺が、周回遅れの私を追い越していく。


「ほぉら、分かってない。私が本当に変えたい世界は、ハルカの中にある――」


 夕陽を背にした先輩の、レーザービームのような視線が私を貫いた。


 いやいやいやいや、意味が全く分かりませんから!


 落ち着け、冷静になれ、私。


 先輩は、いつものように私をからかって遊んでいるだけなのだ。私が過剰な反応をすれば、先輩を喜ばせるだけだ。


「口に出すのも恥ずかしいから、感じて貰おうと思ったのに」


 言っちゃいますか、そういうこと。恥ずかしいのは私のほうですって!


 先輩は計算ずくかも知れないけど、私は予期せぬ事態に取り乱してるんだから。


 えーと、つまり、どういうこと?


「その界隈では有名な心理学者に言わせると、恋は総て錯覚らしいわ。身近な人間で取り敢えず手を打つ有り触れた恋も、相手にされないと分かっている芸能人に対する恋も、人間ですらない創作物に対する恋も、全部同じ。総て錯覚。人は泡沫に恋をして、恋が終わったときに初めて泡沫だと気付くの。錯覚なんだから、犬や猫に恋をするかも知れないし、消しゴムに恋をするかも知れない」


「消しゴムって」


 錯覚にも程がある。いや、問題はそっちじゃない。


 先輩は、普通の恋も普通じゃない恋も錯覚なんだから、私たちも恋をしましょ、と言いたいのだろうか?


 告白?


 いやいやいやいや、そんなの有り得ない!


 先輩のことだから、どうとでも受け取れる言い回しをして、私の反応を窺っている、という可能性もある。むしろ、そっちほうが可能性は高い。


 でも、もし、本当に先輩が私を好きなら、辻褄は合う。けど!


「もし私が消しゴムになったら、ハルカは私を大切に使ってくれるかしら?」


 カエルになった王子様なら知ってるけど、消しゴムになった王女様?


 意訳すると、「私がどんな姿になろうと、好きになってくれる?」という告白とも受け取れる。いやいやいやいや、そんな――


「勿体なくて使えないです」


 そこか、私。


「消しゴムとして生まれたからには、使って貰いたいわ。我が身を磨り減らして持ち主の役に立てるなんて、最高の幸せじゃない? それが消しゴムの人生ってもんよ」


「消しゴムに人生があるんですか?」


 馬鹿な質問。そんなこと、この際どうでもいい。


「あると思えば、あるわ。ないと思えば、自分以外の人間は総てNPC――ノン・プレイヤー・キャラクター。だから、私が消しゴムなら、使って」


 心を持った人間は自分ひとりで、他は全部NPCかも知れない、ということでしょ?


 それに近いことは私も考えた。


 他人の心なんて、あるかどうか分からない。あ、だから先輩は、「感じて」と言ったの?


 私が、先輩の心を感じられるなら、それは存在する、ということ?


 じゃあ逆に、先輩は私の心を感じてる?


 私の心は、先輩の世界にも存在してる?


 私が観測している世界に、私以外の観測者がいるとして、それが先輩だったら、二人で永遠の時を刻んでもいいとさえ思える。ただし、恋でなく。二人だけの観測者として、ただ、在る、ということ。


「もし、最後の一片を使い果たしたら、どうなるんですか?」


 魔女の呪いが解けて人間に戻れるとか?


 物語なら、ハッピーエンドがいい。二人は末永く幸せに暮らしました。本を閉じれば、永遠の幸せが訪れる。それが私の描く物語。続きは、私の中にある。永遠の幸せが約束されたプロミスト・ランド。




「本望」


 いっそう輝きを増す夕陽が、閉ざされた空間を満たしていく。私にとっては黎明。これから始まる物語の結末を、私は知らない。


 なんて強く輝く人だろう。藤島カナン。


 錯覚してしまいそうだ。私を焦がす光だと――。

慣れないことをしてみました。

丸め込まれてくれたら、本望。


「その界隈では有名な心理学者」は実在しません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なにこれすごい! [気になる点]  いっそう輝きを増す夕陽が、閉ざされた空間を満たしていく。私にとっては黎明。これから始まる物語の結末を、私は知らない ↑ 最後のこの描写がすっごく綺麗。…
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