第二十五回
郊外を雨が降りしきっている。それは時に強くなり、弱くなりつつ、一向に止む気配が無い。
葉山祐介はこの土曜日、ずっと何か考え事をしていたし、心的エネルギーはその為に注がれていたのであるが、考えている事は、「宿命」の連載を、続けられるのか、の一点であった。
そうして、精神とはつくづく、おかしなものだ、十しかないのに、時間を別にすれば、それぞれに十ずつ、そうして、二十も、三十も力を尽くす事が出来る。そうして充分な睡眠が人間に与えられたのならば、また次の日も、十しかない力を、二十にも三十にも使う事が出来るのである、と考えた。
しかしどうだ、彼の場合、その有り余るエネルギーが暴走をしている、と彼自身、自覚する。それは頭の中に、明確に、余計な声として現れた。そうして、精神の安定を願う彼の邪魔をするのであった。
彼はその膨大なエネルギーを、こうして、山や、畑に出る事が叶わない以上、原稿用紙にぶつけるしかない。しかし内容は、明確に破滅に向かっていった。それが彼の精神を衛生上、悪くさせて、彼は、こんな事を思ったのであった。
生きかえる気持ちになる為には、精神的に死ななければならない。
しかし、私小説上とはいえ、一体、何度、私は死ぬべきか?
そう問う度、彼の筆は進まなかったし、書いても、すぐにその内容が嫌になって、原稿用紙をまるめて、捨ててしまうのであった。
今日、昼に、香奈の父親、つまり義父が車を出してくれて、父上、香奈、祐介三人、ランチをとる事になった。突然の連絡ではあったが、彼は、ちょっと外の空気を吸いに行くのにいいだろうと考えて、香奈の承諾の言葉に何も言葉を挟む事は無かった。
銀色の軽自動車でドライヴする。
互い自動車の運転をする機会が無い、祐介と香奈は、後ろの席でご機嫌だった。
「一丁目パスタ?ここにするか」
と、お義父さんは、老舗のパスタ店に目星をつけて、そこでランチをとる事になった。
「一丁目パスタなんて何年ぶりだ」
店内で暫し待つと、席に着く事ができた。
「お父さん、わたし、イカスミにする」
「そうか、お父さんもイカスミにするよ、祐介君は?」
「僕は、ベーコンポテトにします」
「お父さん、ここのミルクティ、美味しいのよ、ココナッツみたいなのが入っていて」
「じゃあ、それをそれぞれ三つ貰おう」
頂いた後で、お義父さんが満足気で、他のパスタも食べたいよな、と言っていた。
帰路に着くときお義父さんが
「認知症でもなんでも、わけわかんなくなっちゃうのが一番こわいよな」
と、ポロッと言った。
「お祖母ちゃんがさ、言っていたよ、この人だあれ、ってお父さんの事・・・わたしの面倒を見てくれる人・・・。全然、面倒がみれなかったよ。それが悔いでね、よく覚えている・・・」
その台詞を最後にして、お義父さんに自宅の前の道で降ろして頂いた。
「元気でね、お父さん」
祐介も、香奈も、車が見えなくなるまで、手をふっていた。
そうして、外から、家に帰ってきた祐介であったが、この間に、先の悩みはグツグツと煮えるように大きな問いになっていたのであった。
そうして「宿命」連載版の連載を休もうか、
とも考えた。彼は非常に消耗していたし、またナイーヴにもなっていた。
夫婦にとって致命傷にならない為にも、香奈と距離をとって、風呂を沸かして一人入ったり、それを終えると、ベッドで横になったりしたのであった。
──何をグズグズしているんだ
そんな言葉が、自然、頭の中に湧き、又、頭の中で、それを否定しようとする思考が沸き上がった。
生きかえる気持ちになる為には、精神的に死なねばならぬ。
気づくと、彼は雨の中に傘をさして立っていた。
今、自分は一生懸命に、この崖を登ろうとしている。或いはソウルメイキングというか、必死に何かを彫刻しているような気持ちかも知れない。崖から落ちたら、そこはすぐに実は草地を感じる事ができるかも知れない。彫刻を掘りつづけるのをやめたとき、もう作品は完成していたと知れるのだ。そんな、妄想もしてみた。
とにかく、彼は雨の日が嫌いであった。その膨大なエネルギーを持て余してしまうから。
そう雨に対して気づき、水溜まりをバシャッと踏んでみたりした。




