第二十二回
そんな事を思い返しながら、祐介、彼は、書いていた私小説のペンを止めたのであった。
多くの事が抜け落ち過ぎている、と思ったのだった。もっと多くの事が、同時進行のように展開されて、しかし、祐介、彼は主観的人間であって、もう、この約二十年前の記憶も曖昧であるから、思い出しうる限りの出来事を書いても、それは現実に比して、塵のように軽い。
彼は消耗していた。一つに今の現実の生活であるが、数秘術で云う、第四波動年に入っており、三十九にして、やっとその「凪」の生活から明けてゆきそうな気配がしていた。
実際に彼の喫う煙草の本数は、一日に、二、三本、という所まで来ていたのであった。しかし未だ完全な禁煙とはいかない。禁煙薬、チャンピックスの副作用が思った以上に辛かった。どんな、体の刺激に対しても、それは変わった反応を彼に与えたようであった。薬にいつまで経っても慣れないのであった。
「じゃあ、佑ちゃん、準備できているかい。出よう」
と、香奈が言って、この日、二人美容皮膚科の病院に向かった。香奈の顔のシミを診て貰う為であった。
「それがさ、なんか鬱でさあ、体調、悪くなったら、先に帰っていていいかい?それにしても、最近忙しくない?」
「うん、いいよ。美容皮膚科、近いし。わたし今日レーザーやるのかな」
「それは先生の判断」
美容皮膚科の病院は綺麗、清潔であった。二本のポップスをピアノ曲に直した音楽がBGMとして使用されていた。
祐介は、スマホで今朝「小説家になろう」に投稿したエピソードに目を通した。すると、誤字、脱字でいっぱいで、慌てて彼はスマホからログインし、その訂正に追われる事になった。
いつも百点をとる事は無理であった。しかしそのとき、百点でなければならない場合もあるのであった。
香奈が受付を済ませると、写真を撮るというので、顔の洗顔をする事になった。
予約制であってすぐ、香奈の番が来た。しかし、このとき祐介の体調は限界であった。
彼は一人、帰る事を告げて、診察に向かう香奈を見送った。
しかしそう言ってからが長かった。座ってしまったっきり、全然、体が動ないのであった。頭、思考ももやがかかった感じ。
彼は、咳払いを二度、三度すると、ずっと窓の外を眺めてながら、BGMに耳を集中させて、体力の回復を願った。
香奈が診察室から出てきた。
「レーザーはやらないで、お薬を出すから、それを飲み続けて下さい、って」
「ふうん、服薬か」
「っていうか、佑ちゃん、帰るって言って、しっかりいるじゃん」
その言葉に返す言葉が浮かんでこなかった。
「薬はどこで貰うの?薬局寄って帰る?」
「違うよ、ここで貰えるんだよ」
「そう」
祐介はそういうと、立って、歩き出した。
祐介は美容皮膚科の病院から自宅までの道を、脚を引き引き、歩いて帰った。
春で、暖かいのか、冷たいのか分からなかった。ただ、陽が強かった。
コンビニに寄り、適当な飲料を、二本買った。帰宅すると、寝室の床に二本置いて、ベッドに横になり、寝室の冷房を選択して点けた。今年、初めての冷房だった。
香奈が帰ってくるまで、ただ動かないようにつとめていた。自分が情けなくなった。
香奈が帰ってくると、祐介の寝ているベッドにポン、とペットボトルのコーヒーを投げ込んだ。
「お化粧品も買ってきたから・・・」
香奈は二階に向かい、スマホでどこかに電話をかけて、ずっと喋っていた。その声が微か、聞こえる中、祐介は動かないでいる、という事を続けた。
香奈はいい報せも悪い報せも持ってくる。いい報せは、いつも以上にお金が余っているという事、悪い報せは、顔のシミをゼロには出来ない、という事だった。
二人、書斎に行き、物を書いていた。香奈がキスを要求してきた。祐介には祐介の刺激の問題があった。
「舌を入れないでよ」
ここまで書いて、彼はこの文章はウィリアム・S・バロウズの「クィア」に影響され過ぎていると思った。
小鳥のようにカッチリとしたキスを交わした。
祐介は二階に向かい、ポトフを立って食べた。
朝沸かしたまま、そのままの風呂に入る事にした。風呂はぬるいというか冷たかった。風呂の中で、言葉が溢れてきた。彼は「宿命」連載版の、東京篇、その続きを書く事にした。
しかしここで読者を引き留めたのには理由がある。先のリハーサル・スタジオに勤めはじめたとき、既に、彼の脳はバグに見舞われており、精神的にはブルー、参っていたのが普通だったのであった。もうこの時、一本のネジは抜け、彼は崩壊へのカウント・ダウンをはじめていたのであった。




