第十二回
祐介が事業所に連絡して、所長が今、不在である事がわかると、彼は所長から折り返しの電話連絡をいただく約束をして、電話を切った。
彼の鬱症状は一向に快方に向かわないので、じっくり話し合いを持ちたかった。
彼はデスクの上の、本という本を、本棚に放りこむと、香奈にプリンとゼロシュガーのコカ・コーラを買ってくる旨告げた。
「わたしの分も買ってきて」
と、彼の持っている財布の小銭入れの部分に四百円ばかり放った。
玄関を出て、畑を見れば、すっかりじゃがいもの葉が茂っていた。道端に黄色いタンポポの花が咲き、やっぱり、ティーシャツで充分だったと思う気候だった。飛行機が飛んでゆく音がしたが、青い空に白いラインが一本、引かれていた。
彼の、ある種の精神不安定、統合失調症の発症の時期は定かではない。
それでも、専門学校時代の、寮生活において、彼は何度か、危うい状況に陥っていた。
香奈の学生時代の記憶は鮮明である。しかし、祐介、彼は記憶に判然としないところがあって、今、書いている「宿命」連載版の、その連載の筆が進みにくい原因になっていた。
医療系、コウとヤスのグループがあって、他にIT系のリュウを中心としたグループもあった。
当時、リュウが部屋に招いてくれた所、そこには珍しく、大きな、硝子の機器があって、
祐介が興味津々として観ていると
「水煙草だよ。シーシャっていうんだ。そんな普通の煙草と違って依存性は無いんだって。絶対、嘘だって喫っていてわかるけど」
と言った。
リュウは東京のその年の最先端ものの文化、カルチャーに詳しく、携帯で一枚の画像を見せてくれた。
画像には、大仰にタトゥーが入っていて、尚且つ、ラメをふられた、何かモンスターのような男の顔が映っていた。
「誰だと思う?俺、俺」
他にもリュウはパソコンでニコニコ動画、ユーチューブ上の、昔のダウンタウンのコントの動画のオススメを見せてくれた。
しかし、数人で盛り上がっている内はいいけれど、いつもリュウは一人、パソコンを弄って、何かコードを書いているようであった。
ある日、ふとリュウが
「俺、高校の時から、鬱病なんだよ」
と言った。窓から陽が強く射していた。
続けて
「祐ちゃんも、鬱の時あるでしょ?」
と、ちょっと天井を見上げながら彼は言った。
そして
「これって、皆に言ってもわかってもらえないよね」
と、言った。
「あのCD貸してくんない?前、佑ちゃんの部屋で聞いた、あの、ドラム一台でカンカン鳴ってる変な曲。妙に聞きたくなるんだよね」
「うん。いいよ。後で持ってくるよ」
「ケンとバンド組むんでしょ?」
ケンもITを専攻していたが、ギター好きがこうじて、音響の専攻に編入しようとしている男だった。リュウとケンは当初、仲が良かったが、段々そりが合わなくなってきていたのは周囲には明白だった。しかしなぜ二人の仲が悪くなったのか、祐介は知らなかった。
「アイツ、全然テキトーなんだもん。でもさ、俺が鬱病って知った途端だぜ。まあ、冷たいんじゃない?祐ちゃんはそうじゃないけど」
祐介は暫く、考えこんでしまった。
「そういうところ。鬱だよ。でも優しいじゃん」
リュウはケラケラ笑った。
祐介、彼が散歩から帰り、香奈の寝室に向かうと、香奈はスマホで何か調べものをしていた。
「プリン、コーラ、買ってきてくれた?」
「うん。買ってきたよ」
途端、スマホが鳴り、所長からの連絡が入った。
彼は、鬱状態が酷くなっている。到底、事業所には通所できない、そして事業所利用の受給者証の更新が迫っているが、更新しても事業所が受け入れて下さるかどうかわからないので困っている旨、ちょっとテンションが高かったが、伝えた。
所長は
「まあ、ですから、とりあえず、受給者証は更新していただいておいて、利用するもしないも、別の問題ですからね。そうして、葉山さんはいつも、お休みの時には連絡下さいますけれど、それが、負担になっている部分って大きいと思うのですよ。ですから、お休みの際の連絡というのは、しなくても構わないですのね。はい。ですから、体をお大事にしていただいて、まあ、ウチに行こうかな?って気が出てきたときは、また、連絡していただく形で、いいのではないでしょうか」
祐介はもろもろ、承知して、失礼します、と言って、電話を切った。
暫くして、片づけだと考え、書斎中をウロウロしていたが、ハア、と椅子に座った。
このとき、彼はなぜかすべてを見透かすような、カラーコンタクトの入ったリュウの眼を思い出した。
それから先ほど眺めたタンポポの黄色の印象を思いかえした。




