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第3話:圧とは、人が纏う空気である ――新人、御前に立つ――

この御殿において、新人が最初に学ぶのは、

仕事の中身では ございません。


誰が話してよいか。

誰が黙っていれば 安全か。

ただ、 それだけを 見極めることでございます。


彼女が 配属された朝、

その女は、すでにそこに 鎮座しておりました。


三年目。

世間では まだ浅瀬と笑われる月日なれど、

この澱んだ 奥御殿においては、

それだけで「古株」 という

絶対的な分類に属するので ございます。


声は大きく、

動きは速い。

なれど、教える技は

持ち合わせておらぬのが不思議。


この御殿において、

誰が導き手となるかは、

能力や適性で決まるわけではございません。


ただ、「その業務を知る者が、

その場に一人しかいない」

――それだけの、

危うき仕組みによって

選ばれているのでございます。



女は 言いました。

「今日、やってもらうことが 三つあるから」


言い終わる前に一つ目が 始まり、

終わらぬうちに 二つ目。


三つ目に至っては、 もはやただの 儀式に ございました。


彼女は、うなずきました。

全力で。


理解は一つ目の途中で とうに 脱落して おりました。

なれど、 うなずきだけは 最後まで 見事に 完走して みせたのです。


この奥では、

理解よりも「同意」の形を見せることが、

何より優先されるのでございますから。


「確認なんですが」

その一言を 漏らした瞬間、

空気が 一変いたしました。


女の語尾が、まるで 研ぎ直したばかりの包丁のような

角度を 帯びるのです。


その切れ味の良さ、

せめて仕事の教え方において発揮してほしかったものでございます。


「理屈はいいから、 覚えて」

おかしきこと、この上なし。


この御殿では、理屈は

「危険物」に 指定されているのでございます。


覚えることは許される。

だが、 理由を持つことは決して 許されない。


女は続けました。

「これは 絶対に間違えちゃダメな仕事だから」


新人に 渡される言葉としては、

あまりに 過剰な 重量。


説明は 一度。

実演は横から 一瞬。


驚くべきことに、翌日からその仕事は

彼女一人の 担当となりました。


――なるほど。

この奥では、「見たことがある」ことは

「できる」 ことと同意 であるらしい。



二度目に 聞けば、「昨日、説明したよね?」

という 決まり文句が 飛んで参ります。


聞かずに 進めて間違えば、叱られる。

聞けば、「言ったよね」と 突き放される。


どちらを選んでも、 辿り着の 結末は同じ。

この御殿には、

最初から正解の道 など 存在しないのでございます。



女は、いつも 怒った顔を しておりました。

本人は 怒っていない つもりらしい。

だが、顔が 怒っている。

声も 怒っている。

周囲もまた、当然のように「怒られている」 前提で 動く。


ある日、女は不思議そうに 問いました。

「なんで、 私が 話しかけると、 みんなビクッとするの?」

それは、 この奥で長年、 誰もが 喉まで出かかりながら、

決して 答えられなかった問いにございました。


彼女はそのとき、 静かに 悟ったのです。

この女は、悪人ではない。

ただ、 圧が服を着て 歩いているだけなのだ、と。


だが、 この御殿は、その圧を

「教育」という名の 免罪符で

新人に 浴びせ続ける。


それはもはや 個人の問題では なく、

組織という 構造そのものの 意志。


その日から、彼女は

「やみくもに覚える」ことを やめました。


覚えても、次なる圧が来る。

覚えなくても、 やはり 叱られる。

ならば――。

「自力で理解する」ことこそが、この地獄における 最適解。



新人三日目。

彼女は仕事のいろはより 先に、この御殿の 空気を、

あまりにも 正確に 理解して しまったので ございます。



清少納言、 ここに 記す。


圧は 声ではなく、

逃げ場のない沈黙によって

伝染するなり。



次回予告

「――次回、

新人の 熱意を切り裂く、冷徹な 一喝。

仕事を請おうと半歩近づいた彼女を待っていたのは、

御殿に 響き渡る『距離警報』 と、

人格を否定するほどの拒絶にございました」





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