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第15話:武器なき者を、前線に立たせるな ――電話とは、余裕を奪う装置なり――

その日から、彼女は本格的に 電話を 取ることになりました。

圧凄あつすごは、

花の香りを 愛でるような 軽い調子で 言ったのです。

「じゃあ、 今日は 電話お願いね」


声は 柔らかく、 表情も 穏やか。

なれど―― 説明は、 ただの 一つも ございませんでした。


どの種類を 取るのか。

どこまで 答えるのか。

分からねば 誰に 繋ぐのか。


それらは すべて 「取れば 分かるでしょう?」

という、 傲慢極まりない無言の圧に 包まれていたので ございます。


電話というものは、

恐ろしいほどに「余裕」を 奪う装置にございます。


電話が 鳴る。

彼女が 取る。

用件を 聞き、

不慣れな 画面を 彷徨い、

聞き慣れぬ 制度名に 舌を巻く。


その最中にも、 別の電話が、

我先にと鳴り響く。


圧凄は、 決して 受話器に 手を 伸ばそうとは いたしません。

ただ 一度だけ、

彼女を 憐れむような 目で見て こう言いました。

「早くしないと、 溜まるわよ」


――溜まっているのは、

電話では ございません。

私の 「寿命」と「忍耐」で ございます。


一件 終えるごとに 必要な、 詳細な 記録。

個人番号、 氏名、 経緯。

書いている 途中で また鳴る。

終わらぬ。

事務作業は、 机の上で カチコチに凍りついたまま、

夕闇を迎えることとなりました。


そこへ 圧凄が、

追い打ちを かけるように 言いました。

「その郵便物、 まだ 開けてないでしょう」


彼女は、 静かに、けれど 明確に 問いました。

「電話対応が 続いて、 書類が できませんでした。


書類に 集中する間は、

電話を 取らずにいても よろしいでしょうか?」


返事は、 光の速さで ございました。

「電話が 優先よ」


彼女は さらに 重ねます。「なれど、 書類も 急ぎで

ございましょう?


どうやって 両立せよと おっしゃるのですか?」


圧凄は、 待ってましたと 言わんばかりに、

得意げに 宣いました。


「工夫するのよ。

私たちも、そうしてるでしょう?」


――私たち?


「工夫」とは、 知恵と 余裕が ある者が 口にする 雅な言葉。


武器も 防具も 与えられぬ 新人に

「工夫して戦え」とは、

裸で 戦場を 駆けろと 言うに 等しい暴論にございます。


彼女は 最後に、

慈悲を乞うように 尋ねました。


「どれが 急ぎで、

どれを 後回しに すべきか、

優先順位を 教えて いただけますか?」


圧凄は 一瞬、

考えるふりを して こう答えました。

「その時によって 優先順位は 変わるの」


……それで 終わり。基準も、 指針も、 答えも なし。

もはや、このお方の頭の中には、

『筋の通った道理』という地図自体が、

最初から描かれておらぬのではないかと、疑わざるを得ませんでした。


さらに そこへ、

課長が ふらりと 現れ、

呑気に告げます。


「あ、 昨日受けた メンタルヘルスの アンケート、

帰りまでに 出してね。


あとメールも今日中に 見ておいて」


その瞬間、 彼女の 心の中で、

何かが 「ピシッ」と 音を 立てて 割れました。


――ああ。

誰も、 全体を 見ていない。

現場も、上も。


彼女が どれほど 手一杯で、

どれほど 崖っぷちに 立たされているか、

誰一人として 把握しようとも していない。


彼女は、 深く、静かに 息を 吐きました。

そして、 その胸の中で、はっきりと 確認したので ございます。

「もう、 限界」。


清少納言、 ここに 記す。


「教えぬ者ほど、 新人を 最前線に立たせるを 好む。

己の座の 安泰を 確かめ、

高みの見物を決め込むは、

いと見苦しきことなり。」


次回予告

「――次回、

ついに告げられた 最後通牒。


目の前で こぼされた あるじの 涙は、

果たして 真実の 悔恨か、

それとも 責を 逃れるための 霧か。


静かに 道理を説き、

都合よく 書き換えられた 誤解を 背に、

彼女は 誇り高く 御殿の門へと 向かいます。」




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