第14話:糸の切れる音は、静かである ――責任なき者、最も饒舌なり――
その夜、 彼女は 夫に 告げました。
「私、もう踏ん張れません。」
理由は添えませぬ。
もはや 言語化は済んでおり、
心は決まって おりました。
夫は少し 考えてから言いました。
「それなら、 まず 上司に話すのが 筋じゃないか」
なるほど、 と 彼女は思いました。
ここまで 踏み荒らされながら、
なお「筋」を 通そうとする己の律義さに、
少しばかり 苦笑を漏らしたのでございます。
翌朝、彼女は いつもより 早く御殿に着きました。
今日から 突如として「すべての電話に 出る」
という 無茶振りが 始まる。
せめて 流れだけでも 頭に 入れておこうと画面を 開いた。
その時で ございました。
「残念だけど、 始業時間までパソコンを 使っちゃダメって 決まりなのよ」
圧凄の 声で ございます。
――電話は 取れ。
なれど、 準備は するな。
昨日までは平然と準備していたものを、
今日に 限って 禁止する?
これはどういう意味でしょうか?
御殿とは、 矛盾がそのまま「掟」として 成立する 異界なので ございます。
彼女は 黙って 手を 止めました。
――どうでもいいか、もう辞めるし。
そこへ 課長が 現れ、
まるで 他人事のように 囁きました。
「見ているだけなら いいのよ。
そんな固い事言わないで」
その直後、 圧凄が 小さく 呟きました。
「…… 余計なこと 言ったわね」
彼女は 思いました。
――ああ、 この人たち、 同じ船に 乗って おりませぬ。
舵を 握る者と、 責任を 背負う者が、
完全に 分離して別々の海を 見ているので ございます。
その後、 彼女は 会議室に 呼ばれました。
朝のうちに「お時間を」 と 申し出た 結果で ございます。
課長は、それはそれは 誠実そうな、
菩薩のような 顔で 言いました。
「朝の 圧凄さんを 見て 驚いたわ~、 意地悪ね~。
何が あったのか正直に、 包み隠さず全部 言ってください」
彼女は 淡々と 話しました。
役割の 説明がなかったこと。
段階的と言われた仕事が、
ある日 突然 すべて 投げられたこと。
質問できる 状態が、 最初から 存在しなかったこと。
そして、 最後に 告げました。
「この状態が続くのであれば、
退職を 考えております」
それは相談では ございませぬ。
確定した「結果報告」にございます。
課長は 最後に、 不安そうな 声で 言いました。
「圧凄さんと、 一度 話しても いいですか?
言い方には、 気をつけないと……」
彼女は 思いました。
――今さら、 誰に 何を 言わせる おつもりか。
問題は「言い方」ではございませぬ。
丸投げを 決め込み、
一度も 前に 出ようとしなかった貴女の「腰の逃げ方」に ございます。
彼女は、少し 離れた場所から、
課長の背中を 見ておりました。
この日、 彼女の心は、
完全に 御殿の外へと羽ばたいて おりました。
清少納言、 ここに 記す。
「責を負わぬ者ほど、調和を 語り、
微笑みを 絶やさぬものなり。
されど、 その微笑みの 下には、
人を 使い捨てる 冷たき 算盤が 隠されておる。
次回予告
「――次回、
鳴り止まぬ 電話の嵐と、
武器も 持たせず 新人を 戦場へ
突き飛ばす者たちの 傲慢。
壊れた 歯車の 如き御殿にて、
ついに 彼女の心に『限界』の音が 響きます。
知恵無き者に 『工夫』を 説かれる、
その 耐え難き 理不尽の果てに。」




