第13話:反省という言葉は、独り歩きする ――御殿にて、言葉だけが残る――
さて、 この御殿。
彼女が 窓口に 立つと、
決まって 大きな声が 響くので ございます。
「お待たせしました。 反省しています。 私、〇〇が 担当します」
待たせても いない時から言う。
初手から 言う。
息継ぎなく 言う。
反省しています。
反省しています。
……一体、 何を。 誰に対して。
彼女はこの御殿に来てから、
いくつもの奇妙な作法を見て参りましたが、
これほど用途不明な言葉は他にございません。
それは「謝罪」という札だけを高く掲げ、
中身は空の箱を差し出されているようなもの。
反省とは、声量を上げることではございませんでしょうに。
そしてこの違和感は、
この日、はっきりと「決断」へと形を変えたのでございます。
決定打は、電話でございました。
これまで教育係である圧凄は、
こう申しておりました。
「最初は役所からの電話だけね。
慣れてきたら、様子を見て、他の電話にも出てもらうから」
実際、これまでここに来た者たちも、
そうやって一枚ずつ権利を積み上げ、
段階を踏んで「御殿の序列」に馴染ませてきたらしい。
ところが、ある朝。
課長が、 何の前触れもなく、
天からの 宣告のようにこう 告げたのです。
「〇〇さんには、 今日から、 すべての電話に出てもらいます」
一瞬、時が止まりました。
隣にいた圧凄の気配が、
音を立てて凍り付くのを彼女は肌で感じました。
この御殿において、電話に出るとは単なる作業ではございません。
それは外の世界と繋がる「領土」であり、
古参が時間をかけて手に入れてきた「既得権益」でもあったのです。
それを、昨日今日来た新人に、ショートカットですべて与えるという。
圧凄は、昨日までの約束をゴミ箱に捨てるような冷たさで、こう言い放ちました。
「課長がそう言うから。今日から全部、電話に出て」
さらに、課長からは「電話で答える前に、必ず書類を記入してから」という、
雁字搦の重き掟を授かっておりました。
なれど、ふと周囲を見渡せば、
圧凄も他の古株も、誰一人としてその掟を守ってはおりません。
皆、まずは電話で答え、後から悠々と筆を執る。
「彼女たちは、新人の時に厳しく言われてこなかった。
だから今さら直せない。
でも、あなたには最初からきちんとしてほしい。最初が肝心だから」
――あな、浅まし。
課長は、古株たちの手に負えぬ「緩み」を正す勇気も持たず、
あろうことか、何も知らぬ新人の私を「理想の型」として仕立て上げ、
組織の歪みを隠そうとしたのでございます。
先輩たちがやっていないことを、新人だけが守らされる。
それは、職場の規律を守ることではなく、
単に「浮いた存在」として孤立させられることに他なりません。
課長の無責任な「理想」という名の重石を背負わされ、
そのくせ実戦(電話)では助けも得られず、
ただ古株の冷ややかな視線に晒される。
これこそが、この御殿の「真の姿」でございました。
正しいことをさせようとする者が、
最も正しくない方法で新人を追い詰めてゆく。
「最初が肝心」なのは、教育ではなく、
この場が「正気で居られる場所か否か」を見極めることだったのでございます。
彼女にとっては、右も左も分からぬ戦場へ、
重すぎる「鎧」を着せられて放り出されたようなもの。
その最中、圧凄が、あろうことか軽い調子で言ったのです。
「練習に、電話、出てみない?」
教えずして「出るかどうか」を試す、その卑怯な問い。
彼女は静かに、鉄のような意志を込めて答えました。
「今は、急ぎの仕事があるので、出られません」
すると圧凄は、鼻で笑うような、
実に「完成度の高い」嫌味な表情を浮かべ、
何も言わず窓口へと向かいました。
――あの蔑むような表情。
それこそが、既存の序列を乱された者の、
あさましき「復讐」の始まりでございました。
その後、集中を乱された彼女は、入力ミスをいたしました。
自力で訂正しましたが、
その代償は「残業」という名の、
己の貴重な時間の切り売り。
約束を反故にされ、
説明不足のまま放り出され、
鼻で笑われて残業になる。
――これは、理不尽である。
なれど、彼女はこうも思いました。
この泥沼のような環境にあっても、
歯を食いしばって我慢し、馴染もうとする人もいるでしょう。
それはそれで、一つの生き方。
あるいは、早々に見切りをつけ、
次なる地を求めて旅立つ人もいる。
どちらが正しい、どちらが優れているというわけではございません。
ただ、彼女にははっきりと分かったのです。
「私は、この環境には馴染めない。
そして、この人たちとは合わない」と。
この日、 彼女は 去る準備を、
静かに、 けれど 着実に 始めたので ございます。
清少納言、 ここに 記す。
「反省と 唱うる者ほど、己を 省みぬこと、 ままあり。
鼻で 笑う者の 顔を 見れば、
ここが己の居るべき場所にあらぬこと、
火を見るよりも 明らかなり」
次回予告
「――次回、
ついに告げられた辞意。
菩薩の如き 微笑みを 浮かべる 主から 漏れたのは、
新人を 救う言葉ではなく、
『生贄』を 求めるあさましき本音にございました。」




