第5話 卯月兎紗梨のロスタイム②
車を降りて公園に向かうと、ベンチに腰掛けシュンと肩を落としている迷える子羊が一匹。
「よぉ。三十分ぶりだな」
「せんぱい~」
やや気まずい再会。
迷える子羊ちゃんはというと、俺と目を合わせるなり、目に涙を浮かべ顔を真っ赤にはらしている。怖かったろうに。もう安心だ、俺が来た……と、王子様の如く振舞いたいが、所詮しがないアルバイターなので何とも格好がつかない。
が、限界ギリギリの子羊ちゃんにはこんな俺でも王子様に見えた様で、目を輝かせている。
「せーんぱい、会いたかったですー」
そんな遠距離恋愛していたカップルが久しぶりに再会した時のようなことを言いながら、頬ずりされても困るんですけど。今時、小動物でももう少し場を弁えるわ。
「とにかく乗って! 話はそれから」
絶賛路上駐車中なので、俺はいい加減この迷える子羊を助手席にぶち込み、車を発進させる。 誘拐現場と勘違いされそうな光景だけど、違うんです、迷子を救ってあげているだけなんです!
「せんぱい、今日ずっと迷惑かけっぱなしで本当にごめんなさい!」
「卯月さんはちょっと、というかちょっとどころじゃないくらいおっちょこちょいみたいだね」
「……ううう。せーんぱい。そんなこと言わないでくださいー」
「すまんすまん」
横目で見える、卯月さんのフグみたいに口を膨らませている姿が可愛らしい。
……ヤバいヤバい。卯月さんが可愛くて、つい目を奪われる。わき見運転厳禁。前に集中。おっと、赤信号だ。余裕をもって停止。
「おー、せんぱい運転上手ー」
「こう見えても、運転歴10年のベテランドライバーなので」
バイト歴も運転歴も今年で仲良く十周年。なんか祝ってください。
「友達に乗せてもらったことないので、なんか新鮮です!」
「俺は友達扱いかい」
「いいなあ。私も免許取ろうかなー」
「出勤が楽でいいぞー」
「でも、私が免許取ったら秒で事故りそうなのでやめておきます!」
「ははは……」
笑えねえよ、その冗談。
「どうだった、うちの職場は? やれそうか?」
「仕事覚えるのは大変そうですけど、せんぱいがいるので大丈夫そうです!」
「そっか。それは良かった。まあ、なんかあったらすぐ聞いてよ」
「はい! 頼りにしていますね、せーんぱい!」
この猫撫で声は、いつも俺の胸を刺激する。
これがこれからずっと続くのは嬉しいような、先が思いやられるような……。
車は駅の大通りを出る。まぶしいほどの街灯の明かりが道を照らしている。
ふと、その街灯の明かりで車内が照らされ、助手席に座る卯月さんの可愛らしい横顔が映る。
そういえば、今俺は、初めましての新人バイト(JD)を自家用車に乗せているんだよなあ。
流れで仕方がないとはいえ、とんでもない状況だな、これ。合コンでお持ち帰りに成功して車でホテルに連行するナンパ男の職業体験でもしているのかな?
まあ、これから車で連行するのは駅なんですけどね。健全に送り迎えさせていただきますよ。
「もうすぐ駅に着くよー。今、11時45分。終電は0時10分だから、“迷わず”行けば十分間に合うよ」
「迷わず、を強調しないでください! さすがに駅だったら大丈夫ですよー!」
「ほんとかな……? あなたには前科がありますからね」
「もし、また迷ったら、せんぱいのお家に泊まらせてもらいますっ!」
「はああああ⁉」
何言ってるんだ、こいつは。
パパ活女子もびっくりのやり口だよ。……というか、現在進行形でやってないよね⁉
「冗談はよしなさい。ほら、着いたよ」
車を駅のロータリーで止め、助手席の扉を開く。さながらタクシードライバ―だ。今度から終バス逃した新人バイトを駅まで送ってその分の交通費を貰う副業でも始めようかな。
「ねえ、せんぱ~い」
「どうした?」
「今日は本当に色々ありがとうございました! 絶対にお礼させてください! せんぱいのいうこと何でも聞きますからっ!」
「ぶほっ」
思わず吹き出してしまった。
いやそれはさ、教育係だろうが何だろうが、俺は一人の男だぞ。
可愛らしい女の子にそんなことを言われたら、そりゃあ変なことの一つや二つ、妄想してしまうよ。
……もちろん、入社初日の新人バイトにそんな思考を晒すわけにはいかず。
俺は必死で平静を保ちながら、
「いやいやいや。いいよ、そんなの。今度から、しっかりと仕事をしてもらえれば俺はそれでいいから」
何とも意気地なしの回答。だが、こう言うほかない。
「せんぱいって誠実なんですね」
「当たり前だろ! 逆にセクハラ上司でも、初日からそこまではせんわ」
「 “そこまで”って……何ですか? せんぱい、もしかして私で変なことを想像していました? 前言撤回です。せんぱいはふしだらです!」
卯月さんはそう言って、俺のことをからかうように無邪気な笑顔で眺めている。
手のひらでころころころころ転がされている。
くそう! この子、やっぱり侮れん!
「そんなわけあるか!」
「冗談ですよ。ふふふ、せんぱい面白いです。今日はありがとうございました! 『なんでも』は本当ですから、しっかり考えてくださいねー」
「先輩をからかうのはやめなさい」
「じゃあ、お疲れさまでした!」
「お疲れー。気を付けて帰ってね!」
卯月さんは再び車を発進させる俺を、最後の最後まで両手で大きく手を振ってくれた。
……なんというか、太陽であり台風のような新人だった。