第44話 卯月兎紗梨のターン
「今日は散々だったな~」
シャワーを浴びて、部屋に戻る。
水泳するときのようにベッドに一目散に飛び込むと、棚に挿さっているラノベを手に取って開く。怒涛のような一日が過ぎようとしている。
俺が勝手に定めたカンガルー書店七姫店のXデーは、お世辞にもハッピーエンドとは言えなかった。
結果的に、大切な新人バイトが傷ついてしまったという事実は、悔しくて悲しい。
気づけばずっとあの子たちのことを考えている。たかが職場の先輩後輩という関係。でも俺にとっては、とっくに大切な存在だったんだな。
そろそろ寝ようとヘッドボードに置いてあるデジタル時計を流し見ると、既に日付が変わっていた。深夜0時15分。
猫屋敷さんのメンタルは大丈夫だろうか、玲緒奈の身体は大丈夫だろうか、卯月さんは無事に帰れているだろうか。
やっぱり考えてしまうのは、三人の新人バイトのことで、ラインのメッセージボードを開いた。
そこには、その新人バイトの一人からメッセージが届いていた。
《卯月兎紗梨:せんぱい、助けてください》
その緊急性のあるメッセージに、全身が粟立つ。喉に手を入れられて、かき回されるような不快感に苛まれる。
何らかの事件や事故に巻き込まれてしまったのでは?
そんな最悪な想定が脳内を駆け巡る。
《どうしたの、卯月さん⁉》
返信を送ると、パジャマを脱ぎ捨て、普段着に着替え適当なジャケットを羽織る。
《卯月兎紗梨:ごめんなさい。迷っちゃって》
とりあえず、事件等に巻き込まれたわけでは無さそうなので、そっと胸をなでおろす。
とはいえ、緊急性のあることには変わりない。
車のキーを手に取り、迎えに行く準備を整える。
《今、どこにいるの?》
《卯月兎紗梨:ボーっと電車に乗っていたら、小田畑駅という知らない駅に来てしまって。終電が無いから帰れないんです》
小田畑……⁉
職場がある七姫や、うちがある昼南の隣の隣の隣町だぞ。
ここから車で三十分くらいはかかる。
なんで、卯月さんはそんなところにいるんだろう?
……そういうことか。
七姫駅を通る路線の終着駅に小田畑駅が指定されることがある。
卯月さんは今日の出来事がショックで降りる駅を逃してしまい、終着駅までそのまま乗ってしまったというわけか。
《分かった、すぐに迎えに行く! 駅のどこにいる?》
《卯月兎紗梨:駅前のロータリー? のベンチにいます》
車のキーを施錠し、乗り込みカーナビの目的地を『小田畑駅』と設定する。想定通り、所要時間は三十分。
《分かった。今から迎えに行く。法定速度内でかっ飛ばすけど、三十分くらいかかると思うから待ってて》
《卯月兎紗梨:本当にありがとうございます》
そのメッセージを見届けると、車を発進させる。
深夜のロードウェイをかっ飛ばす。
勿論、法定速度は守りつつ。こういう時くらい、法定速度を無視してかっ飛ばせよ、と思うかもしれないが、だてに優良ドライバーを十年やっていない。
法律を無視しては、今日のおっさんと同類になってしまう。
それに都内は信号が多い関係で、速く走ったとしても時間はそう変わらない。
やがて知らない道に入っていく。そういえば、小田畑は行ったことないなあ。
こうして車を走らせること三十分。
「目的地に到着しました。お疲れさまでした」と、機械音声が車内に響く。どうやら目的地である小田畑駅に到着したようだ。
車のヘッドライトは見知った顔を照らした。
ベンチでうなだれていた卯月さんは、こちらに気づきようやく笑顔になった。
「お待たせ、卯月さん」
「せんぱーーーーい! 会いたかったですーーーー‼」
卯月さんは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、俺を見つけるなり猛ダッシュして抱きついてきた。
よほど怖かったのだろう。あれだけ整っている卯月さんの顔が崩れていた。
髪はぼさぼさで、目元や頬が赤らんでいる。卯月さんの額から流れた汗の匂いが、俺の皮膚に触れ鼻腔を擽る。
ああ、いい匂いだ。……っていかんいかん、こんなシリアスな状況で何を考えているんだ、俺は。
とにかく俺は卯月さんの頭を優しくなでる。今はそれくらいしかできない。
「時間かかってごめん。急いだらもうちょっと早く来れたけど、道路交通法違反はしたくなかったから」
「ふふふ。そういうところもせんぱいらしくて、素敵です」
「大丈夫だったか? 怪我とかしていないか?」
「大丈夫ですよ。私の大ポカのせいで、こんな時間に車出してもらって怒らないんですね」
「さすがに、今日の一件があって怒れるわけないだろ」
「いつもせんぱいは優しいですけど、今日は特に優しい気がします」
ふふふ、と俺の胸元で笑う卯月さん。良かった、だいぶ調子が戻ってきたみたいだ。
「とにかく車に乗ろう」
「はいっ!」
エスコートする途中、卯月さんは俺の腕を離さなかった。
とろけそうなくらい柔らかい大きな胸が、俺の腕をぎゅうぎゅう締め付ける。
今日の卯月さんはちょっとおかしいかもしれない。まあ、あれだけのことがあったんだ。精神が不安定になるのは致し方ないか。
車に乗るや否や、事件が起こった。
卯月さんが運転席に座る俺に覆いかぶさってきたのだ。




