第40話 カンガルー書店七姫店のXデー⑤
やってきたのは、50代くらいの無精ひげを生やした角刈りの強面おじさん。
人を見かけで判断するのは良くないが、見るからに神経質そうで常日頃からクレームをしていそうな人だ。眉間にしわを寄せ、明らかに業を煮やしている様子。
……想定しうる中で、最悪のジョーカーを引き当ててしまったようだな。
だが、逆に言えば、この絶体絶命の状況を新人バイト三人だけで乗り越えたら、もう怖いものなんてない。
俺は不測の事態に備えつつ、祈るように彼女たちの対応を見守った。
あれだけいつも明るく元気な卯月さんは、青海苔でも顔に塗りたくったのかと思うほど顔面蒼白だ。そんな彼女が意を決して、二人に小声で告げた。
「あの……猫屋敷さん、玲緒奈さん。全て私の責任で、お二人は全く悪く無いので、全部私が対応します」
二人は卯月さんの決意に、無言で首肯した。
おっさんが険しい表情で近づいてくる。やっぱりこの世はお化けより、人間の方がよっぽど怖いのである。
おっさんと相対する卯月さん。そして少し離れたところで、玲緒奈と猫屋敷さんが心配そうに見守る。
開口一番、最初に仕掛けたのは卯月さんだった。
「この度は大変申し訳ございませんでしたっ! お客様のボールペンはこちらでございますっ!」
卯月さんははっきりと謝罪の言葉を口にして、これでもかというくらい頭を下げる。そして賞状を渡す先生の如く、小さなボールペンを両手で丁重に持ち、お客さんに差し出した。
誠心誠意謝る。我々にできることはこれしかない。
だが、おっさんはその誠意を水泡に帰させるように、差し出されたボールペンをまるで草をむしり取るような強引さで、奪い取る。
「商品を入れ忘れるとかありえねえだろ!」
「こちらの不手際で大変申し訳ございません」
卯月さんが何度も何度も頭を下げるも、おっさんの怒りは収まらない。
「謝ったら済むと思ってるのか! ああ⁉ 俺が気づかなかったら、そのまま店のものにしようとしたのか⁉」
「いえ、そんなつもりは……申し訳ございません」
「そうか、分かった! この店は詐欺だ! そうやって、わざと商品を入れ忘れて、連絡してこなかったらそのまま金だけ客から奪い取るって魂胆だろ!」
「そ、そんなことは……決して……」
「あー、詐欺書店だ! 詐欺書店! 言いふらしてやる! まあ、こんな底辺書店、そんなことしなくても勝手に潰れるがな!」
自虐で底辺書店という分にはいいが、お客さんに言われると腹が立つな。
こんなお店でも、愛しているからな。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい」
卯月さんの瞳から涙が浮かぶ。流石に限界かもしれない。今すぐにも、あのおっさんをぶん殴りたい。
とはいえ、商品入れ忘れというこちらに百パーセント非がある事案なだけに、強く言うことはできない。
なんてもどかしいんだ。近年カスタマーハラスメントという言葉が定着しかけているが、まだまだお客さん絶対優位なことに変わりない。これが接客業の現状である。
すると、おっさんはとんでもないことを言い始めた。
「あんた、よく見ると、結構可愛いな。おっぱいもでけえ。良いこと考えた。おっぱい揉ませろ。そうすれば、この一件は水に流してやる」
最低最悪。
これはいくら何でもやりすぎた。
さすがに助けに行こうと思った時、卯月さんを庇うように玲緒奈が立っていた。
「それは同意しかねるぜ、お客さん。代わりに、うちのを揉ませてやるから、それで勘弁してくれ」
玲緒奈が卯月さんを助けるために代替案を出すが、今度は彼女が傷つくだけで何の解決にもなっていない。
居酒屋等数々の仕事を経験してきただけあって、いくつもの修羅場を潜り抜けているのだろう。
玲緒奈だけはこんな状況でも平然としている。
助けようとした次の瞬間、おっさんは暴挙に出た。
「うるせえ! てめえの貧乳なんて誰も興味ねえんだよ!」
おっさんがレジ前に陳列してあった分厚めの新書をぶん投げてきたやがった。
新書のハードカバーが玲緒奈の胸元に命中し、彼女は「いってぇ」と蹲るように倒れる。
猫屋敷さんは余りの恐怖に腰を抜かしており、白目をむいている。
地獄絵図。この言葉にピッタリな状況が書店で起こるなんて。
俺は急いで、スマホを手に取り110番通報。
「お客さんが従業員に暴力を……はい……はい……場所はカンガルー書店七姫店です」
完全にライン越え。
人を傷つけたことにより、おっさんはクレーマーから犯罪者へとジョブチェンジ。セクハラにパワハラにカスハラのフルコンボだどん。
「さあ、そのデカパイを揉ませろ! そしてホテルに連れて行ってやる! そっちの不手際だから、それくらい許されるよなあ!」
おっさんの魔の手が卯月さんの胸元に伸びた、その瞬間。
その腐りきった手を……俺が捻りつぶすように握った。
「やりすぎです。お客さん」




