第4話 卯月兎紗梨のロスタイム
「はあ」
仕事終わり。
俺は今日のことを思い出し、クソでかため息を出してしまう。
あの後、本の整理を頼んだら適当に並べるわ(巻数の順番を間違うくらいならいいが、漫画を小説コーナーにぶち込んだりする始末)、掃除を頼んだら棚に刺さっていた本をぶちまけるわ、とやりたい放題。今時、おてんば娘でももう少し自重するわ。
やはり三人の新人バイトの全権を受け持つ、なんて無理な話だったのか。
というか、バイトに新人の全てを押し付ける店長に今更ながら、腹が立ってきたぞ。
「せ~んぱい、お疲れ様です」
帰ろうとした時、事務所に私服に着替えた卯月さんが居た。私服姿も可愛いね~、にちゃにちゃ。
「どうしたの?」
「今日は本当にご迷惑をおかけしてすみませんでした!」
「気にしなくて大丈夫だよ。初日だしね」
今の俺、イケメンすぎるだろ。……分かってるよ。こんなことを思っている時点でイケメンではないことぐらい!
まあ本当に気にしなくていいと思っている。だって、俺も新人時代は先輩に迷惑をかけっぱなしだった。迷惑をかけるのが新人の仕事だろ?
……やっぱりイケメンかも、俺。
「……こんな優しい先輩、初めてです~」
「そうかな? 別に普通だと思うけど」
今の俺だったら百パーセントナンパ成功しそう。
「そういえば、卯月さん。もうすぐ23時になるよ? 終電とか大丈夫?」
言い忘れていたが、『カンガルー書店七姫店』は都内有数の大都市である七姫市にあるにも関わらず、駅から徒歩三十分以上という最悪の立地にあるのだ。もうこれ書店業界からの村八分だろ。
そのせいで、電車通いの人は修行僧顔負けの苦行を強いられる。
駅に向かうには、まず最寄りのバス停からバスに乗らなければならない。このバスが厄介で、終電は23時10分。
これを逃せば徒歩30分以上かかる駅までの地獄旅がスタート。そもそも電車の終電が上下線ともに0時過ぎなので、ここに間に合わなければ完全にゲームエンド。
つまり何が言いたいかというと、ここでダラダラしていると電車勢は“詰む”のである。
過去に終業後にだらけていたバイト戦士の屍の数はいざ知れず。
ちなみに俺は車出勤でベテランの貫禄を見せつけていく~。やっぱり、持つべきものは普通自動車第一種運転免許だよね。
とにかく、電車通いの卯月さんが心配なのだ。なんで初対面の卯月さんが電車通いか知っているかって? それはあなたの履歴書を見たからよ。個人情報スケスケェ!
「あ~、そうでした~。じゃ、帰りますね。……あ、ライン教えてもらえますか? 知っておいた方が何かと便利だと思いますので!」
「おっけー」
女性からラインを聞かれるとドキリとするが、先に言っておくと、バイトの先輩後輩の間柄ではこのイベントは何の意味はないです!
バイト仲間の女の子から「クリスマス、予定空いていますか?」からの「じゃあ、シフト変わってください」の即死コンボはもはや伝統芸。何度このやり取りに涙を流したことか。
とにもかくにも、先輩後輩間のライン交換はもはやビジネスの一種なので、何も期待しなくてよろしい。むしろ、「上司からしつこくご飯誘われました」「先輩から夜中に無意味なスタンプが送られてきます」など、こっちが勘違いしてトラブルの原因となるので注意しましょう。
ライン交換もつつがなく終わり、ようやく店を出る。
店の鍵を閉め、10年務めている愛しの職場を後にする。10年もいると不思議と愛着も湧くもので、僅かな変化も見逃さない。
少し濡れている、今日ちょっと小雨が降ったのかな。いつもより輝いて見える、日差しが強いのかな。などなど。
ぽつんと一台だけ止まっている愛車に乗り、エンジンをかける。
深夜の道を快走していると、ぴろん、と俺のスマホが鳴った。
こんな深夜に妙だな……? 親がこんな時間に連絡をよこすことなんてないし、最近友達とも連絡を取っていないし、これは嫌な予感がするぞ……。
名探偵ばりの推理を脳内で披露した俺は、法律遵守模範的ドライバーであることを見せつけるように、走行中にスマホをチラ見するという愚行を犯さず、近場のコンビニに止めて、何ならコンビニに止めているだけも悪いので、しっかりとそのコンビニで缶コーヒーを買いつつ、コーヒー片手にようやくスマホを開く。
《卯月兎紗梨:お疲れさまです、せんぱい。すみません、道に迷ってしまいました~(泣いている絵文字×2)》
あー、やってるわー。
どうやら、悪い予感は的中したらしい。
現在時刻は23時15分。はい、バス、アウトでーす。
《お疲れさま。マジか……。今どこにいるか分かる?》
メッセージを送ると、秒で返信が返ってくる。
《卯月兎紗梨:分からないです……》
《卯月兎紗梨:(謎のウサギのキャラクターが落ち込んでいるスタンプ)×2》
呑気にスタンプ送っている場合か!
マズいことなってきたな。卯月さんは確か3駅くらい離れたところに住んでいるはず。
深夜、女子大生が知らない場所にぽつんと一人。最近物騒な世の中でございまして、考えすぎかもしれないが、何らかの事件に巻き込まれてもおかしくない。
幸いにも職場周辺は俺の庭。バイト歴10年舐めるなよ。道端に生えている草木の場所まで把握済みだからな。
《なんか近くにお店とかない?》
《卯月兎紗梨:無いです……。住宅街に来ちゃったみたいで……》
住宅街……ね。この辺にある住宅街は、職場の北側にあるエリアだ。
《他に特徴はないか?》
《卯月兎紗梨:あ、変な信号機がありました! なんか赤信号のはずなのに、見えづらいんです。なんだか危ないですねえ》
検索キーワード【北側の住宅街 壊れかけた信号機】
俺の脳内検索エンジンが稼働する。
ぴこん。【一件該当しました】。
把握。
《左前に小さな公園が無いか?》
《卯月兎紗梨:公園ありました!》
《今から向かう》
《卯月兎紗梨:ありがとうございます!》
《卯月兎紗梨:(目を輝かせているウサギのスタンプ)》
ということで、俺はコンビニを出て車をかっ飛ばす(法定速度内)。
迷うことなく、北側エリアの狭く複雑な路地を進んでいく。この辺の道は、自宅周りの道より詳しい自信がある。
例の老朽化が進んで赤信号が大変見づらい信号機(危険ですので早く交換してください)を通過して、小さな公園に面した路肩に一時停止した。
おそらく、ここに卯月さんがいるはず。
白馬に乗った王子様が迎えに来てやったぜ。
違うか。