第35話 カンガルー書店七姫店の歓迎会延長戦
卯月さんの一言で、平和に終わろうとしていた歓迎会に戦慄が走る。
「はあああああああああ⁉ ななな、なに言ってんだ、お前!」
優しさが唯一の取り柄である俺も、ついつい声を荒げてしまう。
「せんぱーい。どうしましょー。なんだか急にちゅーしたくなってきちゃったんですぅ」
先ほど皆で食べた巨大パフェよりも甘い、甘々ボイスで俺にすり寄ってくる。
卯月さんのきめ細かい腕も、柔らかい胸も、肉付きの良い太股も、絶賛独占状態。これ独占禁止法に引っかかるだろ。
酔うとキス魔になる女子なんて、ラノベやアニメで山のように見たけれど、まさかリアルでなる奴がいるとは思うまい。
「ちゅーしたいなら、玲緒奈や猫屋敷さんにしてくれよ! なんでよりによって異性の俺なんだよ!」
万が一にでも酔った勢いで陰キャ底辺アルバイターの俺にキスでもしようものなら一生ものの傷になるだろう。
「えー、嫌なんですかー?」
「嫌じゃないけどさぁ」
むしろご褒美すぎるだろ。卯月さんみたいなガチ美少女に、キスされるなんて世にいる全ての男性が嬉しいに決まっている。
「でも、ダメなものはダメだからさっ。ほら、異性にキスというのは付き合っている人同士でやる行為であって、知り合ったばかりのアルバイター同士で、するもんじゃないから! そう思うよな、玲緒奈」
何を血迷ったか、俺はこんな話を玲緒奈に振ってしまった。
「そうか? 欧米だと恋人同士じゃなくても親しい人同士でキスするって聞くぜ。なんつたってさ、うちも鷹雄くんとキスしたことあるし。なっ、鷹雄くん」
「バカ! お前、何でそれ言うんだよ!」
ついに玲緒奈が今世紀最大級の爆弾を投下しやがった。
いや、この話を玲緒奈に振った俺が百二十パーセント悪いんだけどさ! こんな話の振り方じゃあ、暴露してくださいと言っているようなもんだけどさあ!
あの日の出来事が脳内にフラッシュバックして、全身がむずがゆくなる。しかも他の新人バイト二人に聞かれたことで、恥ずかしさ倍増。
「ええええええええええええええええええ⁉」
いつも可愛らしい声をお届けする卯月さんの喉から出たとは思えない、獣の咆哮のような大音声が店内に響き渡る。酔った影響で声のボリュームがバグってしまったらしい。
「それは口と口ですか?」
急にジャーナリズムを出してきた猫屋敷さんが、的確な質問を飛ばしてくる。
「安心してくれ、頬だ」
何をどう安心するのか分からないが、口と口よりはマシだろう。
「そうですか……ちなみに、いつ? 一緒に『たびっこ』の映画、見に行った時ですか?」
猫屋敷さんが目を怖いくらいクワッと開かせ、興味津々の様子で更に質問を続けてくる。急にどうしちゃったんだよ! あまり深掘りしないでくれよ!
「ああ、そうだぜ。その時、鷹雄くんに色々相談してもらって、そのお礼に帰り際にしたんだぜ。なぁ、鷹雄くん!」
「……ああ」
事細かに解説しないでくれよ! 恥ずかしすぎて沸騰しそうだぜ。
「ねえ、玲緒奈さんズルい! 私もせんぱいとしたい!」
酒ブーストがかかった、卯月さんが更にヒートアップ。
この甘えん坊新人バイトは誰にも止められねえ……!
「ラブコメの主人公だ……」
猫屋敷さんがボソッと強烈な一言をぶち込んでくる。
こんな人間がラブコメなんてできるわけがないだろう。
百歩譲って陰キャという点なら、ラブコメ出来るよ。陰キャ主人公のラブコメなんて山ほど見てきたから。でもさ、彼らの年齢を見てくれよ。高校生、あって大学生だから。ラブコメっていうのは十代の若々しい奴らの特権で、こんなアラサーの冴えないアルバイターがラブコメなんてできる資格あるわけないだろ!
心中で加齢の虚しさを叫んでいると、卯月さん(泥酔の姿)がぐいぐい迫ってくる。
はぁはぁと荒い息遣いが、耳元で聞こえてくる。それをずっと聞いていると、おかしな気持ちになってくる。
嬉しさももちろんあるけど、ちょっとこれは流石に怖さが勝る。我を失ってやるキスなんて、彼女にとっても不本意だろう。当たり前だけど、キスはちゃんと好きな人にやらないと。
「おいウサギ~、発情するのもいいけど、鷹雄くんが困っているから、そろそろやめてもいいんじゃねーか」
困っている俺を見て、玲緒奈が助け船を出す。
卯月さんは不貞腐れた顔をして、
「玲緒奈さんが言うなら、仕方ありませんね。でもちゅーしたいです! 一回だけでも良いんで、駄目ですか?」
意味不明なことを言い始めた。それ妥協になってないぞ!
「まあ、一回だけならいいんじゃねえか。減るもんじゃねえし。なぁ、鷹雄くん」
いいのかよ! やっぱり、倫理観バグってるよ、この人!
「わ、分かったよ……。卯月さん、一度だけだよ……」
どうしていいか分からないが、顔を卯月さんに差し出すように若干前に動かした。
これ、冷静に考えて、キス待ちしているんだよな、キモすぎるだろ。部下にキスしようとしている上司って、これもうセクハラ上司じゃん。普通に訴えられそう。
「はーい! ちゅっ!」
卯月さんは周囲の目なんてどうでもいい、という感じで何の躊躇もなく俺の頬にキスをした。
これで人生二度目のキス。しかも一度目も割と最近。これもうリア充に片足突っ込んでいるだろ。
ああ、卯月さんの唇、柔らかくて気持ちいい……。キスって最高だ……!
あれ、俺、今いかがわしい店にいるんだっけ?
「私の初キスですよ、せーんぱい」
「マジかよ……」
「これからもウサギをよろしくお願いしますね」
そう言って、にへらと笑う卯月さん。
頬にキスも、初キスにカウントするのだろうか?
そんなどうでもよいことを思いながら、大荒れとなった歓迎会は幕を閉じたのであった。




