第58話 クロエの一人暮らし
毎週、月・木で更新中!
俺は布団に包まれたまま、朝の日差しを感じていた。目を開けると時計の針が信じられない位置に。
「やばい、寝坊した!」
飛び起きて慌てて制服に袖を通し、靴下を履こうとするが、片方が見つからない。いつもなら朝のトレーニングも欠かさずにやる俺だが、今日はとてもそんな余裕はない。
ピンポーン。
玄関のチャイムが響き渡る。真紀だ。斜め前の家の彼女とは、一緒に登校しているのだ。俺は急いで玄関に飛び込む。
「ヒロ、おはよう……って寝起き!?」
ドアを開けると、そこには穏やかな笑顔を浮かべた真紀が立っていた。彼女のポニーテールが朝の陽光にキラキラと輝いている。制服のスカートが風に揺れ、その下から覗く細い脚が目を引く。
「ごめん、真紀。完全に寝坊した」
俺は頭をかきながら謝った。真紀は一瞬驚いた表情を見せた後、ふふっと笑った。
「もしかして、宿題をやり忘れてたとか?」
「ばれたか。そうだよ、久々に徹夜した。完全に力尽きたよ」
真紀は心配そうに眉をひそめ、
「もう、無理しすぎはよくないよ」
と呟いた。その優しい声色が胸に染みる。
「急いで支度していくから、先に行っててくれ」
「うん、わかった。忘れ物とか気を付けてね?」
「ああ」
「それじゃ、先に行ってるね。あ、お弁当は持って行くからね」
「すまん」
その後、支度を終えた俺は、急いで学校に向かう。
こんな失敗は、この人生では初めての経験だ。
まぁ、あえてロードしてまでやり直すことは無いだろう。失敗した方が人間味があっていいじゃないかとも思う。
そんな事を考えながら、いつも通りの通学路を歩き続けた。
教室に入ると、朝の騒がしい空気が一気に俺を包み込んだ。友達が談笑する声、机を引きずる音、窓から差し込む柔らかな光が、疲れきった俺の目には少し眩しかった。
「ふぅ、何とか間に合ったな」
時計の針は8時5分を指していた。
「おっはよう!ヒロっち!」
元気いっぱいの声に顔を上げると、美玖がニヤニヤしながら俺を見ていた。彼女は軽く手を振り、いたずらっぽい笑顔を浮かべている。ふわりと揺れた、グラデーションのかかった長い銀髪がキラキラと朝日に輝き、その笑顔がいつもより眩しく感じた。
「聞いたよ~! 宿題、やってなかったんだって?」
「美玖、お前、どうしてそれを……って真紀か」
「んふふ、真紀ちゃんを怒ったらダメだよ」
「わかってるよ」
「それにしても大丈夫? 顔が死んでるよ?」
美玖はからかいながらも、心配そうに顔を覗き込んできた。その距離が近くて、俺は少しだけドキッとしてしまう。
「なんとか持ちこたえてるよ。徹夜でやったけど、さすがに体力が、な」
「もう、ヒロっちったら無理しすぎ~。でも、偉いじゃん」
美玖は笑いながら俺の肩を軽く叩いた。その明るさに、少しだけ気持ちが和らぐ。
「おはよう、宏樹。すごい顔だけど、大丈夫?」
その声に振り向くと、今度は真奈美が心配そうな顔で立っていた。彼女の黒髪はきちんと整えられていて、彼女特有の落ち着いた雰囲気が教室の喧騒を一瞬静めるようだった。涼しげな瞳が俺をじっと見つめ、心の奥まで見透かされているような気分になる。
「真奈美、おはよう。ちょっと徹夜で宿題しててな。顔に出てるか?」
「うん、少し……いえ、かなり、かしら。でも、それだけじゃない気がするわ」
真奈美の優しい視線が、心の疲れを見抜いてくる。彼女は俺のことを昔からよく見ていて、そういう細かい変化をすぐに察知する。
教室のドアが静かに開き、クロエが姿を現した。
「みなさん、おはようございます」
普段は整った姿で登校する彼女だが、今日は少し違った。髪には寝癖が少し残り、制服にはシワが、リボンも曲がっているし、結び方も少し変だった。彼女はいつも通りの優雅な微笑みを見せようとしたが、その目には疲れが浮かんでいる。
「クロエ、大丈夫か?」
俺は自然と立ち上がり、声をかけた。
「ヒロキ、おはようございます」
クロエは小さな声で答えたが、その言葉には疲れが滲んでいた。
「実は、一人では色々と準備がうまくできなくて……」
「お祖母さんが入院しちゃったからな」
「はい。私はおばあちゃんに頼り過ぎていたみたいです」
美玖がすぐにクロエの隣に寄り、
「クロちゃん、髪がちょっと乱れてるよ」
と言いながら、手早く彼女の髪を整え始めた。
真奈美も微笑んで、
「リボン、ズレてるわよ」
と、クロエのブレザーに手を伸ばした。
「あ、ごめんなさい……」
クロエは顔を赤らめながら、少し照れくさそうに言った。
「みんな、ありがとうございます」
「いいのよ。これくらい気にしないで」
と真奈美が優しく言葉をかけると、美玖は
「そうそう、友達でしょ。助け合わなきゃね」
と笑いかけた。
真紀も少し心配そうにクロエを見つめ、
「朝は大変だったのね。お祖母さんがいないと、色々と難しいこともあるでしょう」
と声をかける。
「はい……朝は本当に、何をしていいのか混乱してしまって」
とクロエは力なく笑った。その様子に教室の空気が少しだけ静かになる。クロエが一人で抱えている大変さが、みんなの心に伝わっているのが分かる。
「クロエ、何か困ったことがあったら、いつでも声をかけてくれよ」
俺は真剣な顔で言った。クロエはその言葉に目を大きくし、一瞬だけ驚いたように俺を見た後、ほっとしたように微笑んだ。
「ありがとうございます、ヒロキ。みんなのおかげで、少し安心しました」
その光景を見て、俺の胸にまた小さな不安がこみ上げる。クロエが一人で頑張っている姿が、逆に彼女の孤独を物語っているように思えた。
昼休みのチャイムが鳴り、教室が一気にざわめき始める。俺たちはいつものように空き教室へと移動し、昼食の準備を始めた。真紀が手作りのお弁当を俺に渡してくれる。彼女の温かい笑顔が見られる瞬間は、一日の中で一番ほっとする時間だ。
「ヒロ、今日は卵焼きがいつもより甘めにしてあるよ」
真紀が微笑んで言う。
「ありがとう、楽しみだ」
俺はお弁当を受け取って、その中身を一瞥する。心の中で感謝の気持ちが広がる。
しかし、ふとクロエが黙って座っていることに気づいた。普段は明るい彼女が何か落ち込んだ様子だ。
「クロエ、どうしたんだ?」
と問いかけると、彼女は少し困った顔をして口を開く。
「実は……お弁当がなくて。買おうかと思ったんですが、お財布も忘れてしまって……」
その言葉に教室内の空気が一瞬静かになる。美玖が心配そうに眉をひそめ、
「クロちゃん、本当に大丈夫?」
と声をかける。
「なあ真紀。せっかく作ってくれたのに悪いんだけどさ、この弁当、クロエにあげてもいいかな?」
「そう言うと思った。もちろんだよ。でもヒロはどうするの?」
「俺は購買に行って何か買ってくる」
「うん、分かった。クロエちゃん、遠慮しないでね」
クロエは少し涙ぐみながら、
「ありがとうございます。……本当にありがとう」
とお礼を言った。
「それじゃ、俺は購買に行ってくる」
そう言って俺は立ち上がり、教室を後にした。
購買部に着くと、すでに多くの生徒で賑わっていた。
「あちゃー……これは、完全に出遅れたな」
遠くに見えるカウンターから、人気の賞品がどんどんと無くなっていく。
順番が回ってきた時にはほとんどの人気商品は売り切れで、不人気なクリームパンしか残っていなかった。
「まあ、これでいいか……」
と自嘲気味に呟きつつ、クリームパンを手に教室へ戻る。
なぜクリームパンが不人気なのかは謎である。
「おかえり、ヒロ。購買、大変だったでしょ?」
真紀が心配そうに声をかけてきた。
「ああ、これしか残ってなかった」
俺は苦笑しながらクリームパンを見せる。すると、美玖が
「あー、クリームパンね。それ、甘すぎて人気無いんだよねー」
とからかい気味に言った。
「仕方がない。これを少しあげよう」
と美玖は自分のお弁当からおかずを差し出してくれた。
「ヒロ、これもどうぞ」
真紀もすぐに卵焼きとウインナーを一つ渡してくれる。
真奈美は静かに微笑みながら、自分の弁当から煮物を差し出す。
「私からも少し。宏樹、はい、あーん」
「お、サンキュ」
彼女から差し出された煮物を、つい自然に食べてしまった。
「「「あっ!」」」
みんなの視線に気づいて、なんだか恥ずかしくなる。
クロエも俺に向かって、
「ごめんなさい、ヒロキ。本当はあなたが食べるお弁当だったのに……」
「気にするなよ。それに、割とこのクリームパン、いけるぜ?」
お弁当を食べ終わると、少し落ち着いた、ゆっくりとした空気に変わる。
その時、クロエが突然に話を切り出した。
「そう言えば、皆さん、ゴールデンウィークはどうだったんですか?」
と、少し緊張しながら話を振った。教室の窓から差し込む昼の光が彼女の髪を照らし、ほんのりとした笑顔が浮かんだ。
「ふふーん、聞きたい?」
美玖はニヤリとした笑みを浮かべる。
「はい、聞きたいです!」
「私はお台場でヒロっちとデートしたんだ!」
美玖が先に話し始めた。彼女は得意げに微笑み、声に小さな自信を込めていた。
「ただ、早めに行ったらナンパされちゃって怖かったんだけどね。ヒロっちがカッコよく助けてくれたから、もう最高のデートだった! 殴りかかってきた男の人をこうやってひねって投げ飛ばしてさ!」
満面の笑みを浮かべ、大げさなジェスチャーをしてみせる美玖。
「宏樹って喧嘩も強かったりするの!?」
驚く真奈美。
「いや、どうだろう。体は鍛えているけどな」
「ヒロっちといると、妙な安心感があるよね。なんか守られてるーって感じがするもん」
「それは分かるわ」
真奈美も同意する。
「でしょでしょ!」
「それにしてもお台場……いいですね、私も行ってみたいです」
恐らくクロエは行ったことが無いのだろう。
真奈美も眉を少し上げて反応する。
「そうね……私も行ってみたいわ。でも、動物園もよかったわよ」
「真奈美さんは動物園でしたね!」
「ええ。パンダやキリン、普段見れない生き物は可愛かったし、興味深くもあったわ」
「動物園も行ってみたいです!」
「動物園の後は忍の池でのんびりしたのだけれど、困っているお年寄がいたのよ。それにすぐ気が付いて、すっと助けに行った宏樹が本当にカッコよくて……」
彼女はその時を思い出すかのように、微笑を浮かべた。
「ヒロは優しいからね」
「私だったら気が付いても、すぐに助けには行けないかな……迷っちゃうと思う」
美玖は真剣に考えてそう言った。
「私もそうだったわ」
「やっぱりヒロキはすごいです。真紀さんは?」
「私はヒロが何だか疲れているように見えたから、お家でゆっくりして、ヒロと一緒にお昼を作ったの」
「ああ、マッサージ、気持ちよかったぜ」
「そう? 良かった」
微笑む真紀。
「「「ま、マッサージ!?」」」
「私の部屋で全身マッサージしただけよ? あ…ふ、普通のマッサージだからね!?」
「「「私の部屋!?」」」
「それはマキっぺのベッドでって事……?」
「そうだけど……」
(マナミン、やっぱり幼馴染は強敵だよ)
(そうね、こんなに自然に自分の部屋に招き入れるだなんて……)
(すぐにエッチな事もしちゃいそうだよ)
(それは全力で阻止するわ)
何やら小声で話し合っているが、無視だ無視。
「その後は公園に行って子供たちと遊んだの。まるで父親みたいで、家族になったらこんな生活なのかなって思っちゃった」
ぽーっとした表情で、うっすら頬を染めて話す真紀。
「そんなヒロキを見てみたいです……」
クロエはその話を聞いて、思わず口元をほころばせた。
そして、美玖がクロエをじっと見つめる。
「クロちゃんはどうだったの? お祖母さんが大変だったとは聞いたけど」
クロエの顔が少し曇り、視線をテーブルに落とした。
「はい……おばあちゃんが骨折してしまって、それでデートは中止になっちゃったんです。でも、ヒロキが助けてくれて。入院の手続きや準備も全部やってくれたんですよ。家に帰った後は夕食も作ってくれたんです。涙が出るほど嬉しかったです」
一瞬、静寂が教室を包んだが、次第に温かい空気に変わっていった。
真奈美が軽く頷いて、
「そう……でも、本当に宏樹は頼りになるわね」
と微笑んだ。
美玖ははっとした表情になり言った。
「ヒロっち、クロちゃんのマンションに行ったの!? 二人っきりで!?」
「何もしてねぇからな」
俺はそう主張しておく。
真紀が小さく笑いながら、
「ふふ……本当に、ヒロはどこにいてもみんなに優しいよね」
と声をそっと落とした。
クロエはみんなの言葉に微笑み返し、心の中で静かに感じた。この仲間たちの温かさが、彼女にとって新しい家族のようにも思えていた。
◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢
放課後のチャイムが鳴り響くと、教室内は瞬く間に活気づき、友人たちがそれぞれの帰宅や部活動に向けて動き出した。俺は机に荷物を詰め込みながら、クロエの方をチラリと見た。朝の乱れた姿が頭から離れず、生活の様子が気になって仕方がなかった。
「なあクロエ。今日お前んちに行っていいか?」
クロエは驚いた顔をし、次に頬を赤らめた。
「そんな……迷惑じゃないですか?」
その言葉に俺は微笑みながら首を振る。
「全然。むしろ俺が気になるからさ。夕食も作っていくよ」
クロエは小さく頷き、二人で学校を後にした。
帰りの道中は色々な話をした。
クロエを助けた後何があったかとか、俺の雑誌が届いた時、同級生に見せたら大騒ぎになった事、色々話した。
クロエのマンション着いた。
オートロックを超えて部屋の鍵を開ける。
いや、鍵はかかっていなかった。
「あれ? 鍵、かかってないですね?」
とりあえず、そのままドアを開けて中に入る。
中に入り電気をつけると、そこは惨劇の後だった。
一面に物が散らかり、足の踏み場もないほどだ。
引き出しはあちこちで開け放たれ、中からいろいろな物が飛び出している。
もしかして空き巣か!?
そう考えた俺はクロエを制した。
「こ、これは酷いな……クロエ、気を付けろ。泥棒がまだ中にいるかもしれない」
「あ、あのヒロキ……」
「大丈夫、俺が先に行くから。クロエは離れないでついて来て」
「あ、あの……ヒロキ?」
「いや、警察に連絡をすべきか……?」
「ヒロキッ!!」
「ど、どうしたクロエ!?」
「あの……ごめんなさい、私が散らかした犯人です……あと、鍵もたぶんかけ忘れてました……」
「え?」
おかしい。ゴールデンウィークの僅か数日でここまで散らかした……だと!?
それはもはや一種の才能ではないだろうか。
「こんな部屋でごめんなさい……何がどこにあるのかもわからなくて」
「そ、そうか、それじゃ仕方ないよな。それに、泥棒じゃなくて安心したよ」
散らかった室内を眺める。
少し呆けた後、俺は気合を入れ直した。
「ついでだ。掃除していくか」
「うう……すみません………」
「これは……やりがいがありそうだ」
服は床に脱ぎ散らかされ、引き出しからいろいろな物が飛び出している。
コンビニ弁当なども散乱し、本やら書類やら、色々なものが散乱していた。
ふとキッチンを見ると、料理に失敗した跡がそのまま残っている。クロエは居心地悪そうに視線を落とし、小さな声で謝った。
「ヒロキ、本当にごめんなさい……部屋がこんなに散らかってて」
「気にしなくていいよ。今日は俺が片付けてあげるから、座って待ってて」
俺はクロエに優しい笑みを見せて、まずは時間のかかる洗濯物を片付けることにした。籠をもって服を拾い集めていく。上着やスカートなど、水洗いで洗えるものとドライのものとを分けていく。
その時クロエから声が漏れた。
「あっ、ヒロキ……それは!!」
「ん?」
「Ne le regardez pas !(それを見ないでください!)」
俺の手に握られていたのはクロエのパンティとブラジャーだった。
元妻と二人暮らしの時には俺が洗濯を担当していたし、最近、娘との暮らしに変わっても洗濯をやっていたせいか、全く気にしていなかった。
クロエも年頃の女子高生だ。同級生に下着を洗われるのは抵抗があるよな。
見るとクロエは顔を真っ赤にしている。
「ご、ごめん……」
クロエが慌てて駆け寄り、脱ぎ散らかされた服を引き寄せて抱きしめた。彼女の声に驚いた俺も、無意識に謝ってしまう。
「ごめん、見ようとしたわけじゃなくて……」
「い、いいんです……ヒロキが悪いわけじゃないですから……」
クロエの顔はまだ赤く、どこか申し訳なさそうだったが、そこにはほんの少しの緊張と、何か別の感情も含まれていた。部屋に一瞬訪れた静寂を破るように、俺は笑顔を作り直し、言葉を継いだ。
「よし、まずは洗濯物を洗濯機にかけて、その間に部屋を片付けようか。洗濯はクロエに頼んでいいかな?」
「は、はい、私がやりますね。ありがとうございます、ヒロキ。本当に助かります」
クロエは恥ずかしさを押し殺しながらも、頷いた。
洗濯機の音が部屋に響く中、俺は掃除道具を手に取り、掃除を開始した。
クロエも手伝おうとするが、俺は優しく彼女を制した。
「今日は俺に任せて。クロエは休んでてくれ。しまう場所が分からないものだけお願いしてもいいかな?」
「……分かりました。でも、無理はしないでくださいね」
クロエはソファに座り、俺を見守りながら小さな声でそう言った。彼女の視線が温かくて、俺は自然と頑張ろうという気持ちになった。
片づけを終えると辺りは暗くなっていた。
ピカピカになったリビングで、クロエはただただ驚いている。
俺は一つため息をついた。こんな状態で数日過ごしていたのかと思うと、彼女の健康が心配になって仕方がなかった。
「このままじゃ、クロエが心配だ……どうしたものか」
おそらくお祖母さんが退院するまでは2週間といった所だろうか。
その間だけでもウチに……そうか、あかねの部屋に泊まってもらうのはどうだろうか。
あかねの部屋は俺の部屋よりも若干広いし、物も少ない。
布団は来客用のものがあったはずだ。
そう思いついた俺は、クロエに問いかけた。
「なあクロエ。お祖母さんが退院するまでの間、ウチに来ないか?」
「え?」
「このまま一人暮らし、できないだろ?」
「う……それはそうですが……ご迷惑では?」
「ここで1人暮らしするって言った方が心配だ。ウチに来るなら妹の部屋になると思うが、どうかな?」
しばらく悩んだ後、彼女は言った。
「……はい、お願いできるならお願いしたいです」
「うん。それじゃ聞いてみるよ」
俺は携帯電話を取り出し、家に電話をかけた。
ちょうど母さんが出てくれたので、状況を説明した。
「もしもし、母さん? 実はクロエのことで話があるんだ。先日おばあちゃんが入院したのは話しただろ? 彼女がその間、一人で暮らしているんだけど……生活が難しそうなんだ」
母さんの声は心配そうに変わった。
「それは大変ね。ご両親はフランスでしょう? しばらくうちで過ごしてもらったらどう?」
「母さんもそう思う? 俺もそれをお願いしようと思っていたところだったんだ」
隣で聞いていた妹のあかねが
「えっ、噂のクロエちゃんがうちに!? それ、めっちゃいいじゃん!」
と声を上げた。
俺はほっと息をつき、クロエに顔を向けた。
「クロエ、家族も大丈夫って言ってる。ウチにこいよ」
クロエは驚いた表情を見せたが、すぐに目が潤んで小さく頷いた。
「はい……よろしくお願いします」
こうして俺たちはクロエの荷造りを始め、必要なものをスーツケースに詰め込むと、俺の家へと向かった。
俺たちが家に着くと、玄関先で母が笑顔で迎えてくれた。
「まぁ! あなたがクロエちゃんね。いらっしゃい。色々と大変だったわね」
「お邪魔します……この度はかたじけのうございます。不束者ですが、末永くよろしくお願いします」
クロエは少し緊張しながらも丁寧に頭を下げた。
「クロエ……その挨拶はなんか違うぞ……」
その瞬間、あかねが飛び出してきて、クロエをじっと見つめる。
「クロエちゃん、はじめまして! おにいの妹で、あかねって言います! よろしくね!」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
「うわ、クロエちゃんって本当にキレイ! 聞いてた以上だよ!! 髪、すっごくつやつやだね! どうやってケアしてるの?」
クロエは少し照れたように微笑んだ。
「おばあちゃんから教わった方法で……特別なものは使ってないですけど」
「へえ! 私もそれ、知りたい! 今度教えてね!」
とあかねは興奮気味に声を上げた。
その後はあかねの部屋に荷物を持って行き、ウチの中を案内する……といってもさして広くは無いので、リビング、トイレ、風呂くらいなのだが。
少しリビングで話をしていると、夕食の準備が整い、テーブルには母の手料理が並んだ。
クロエは目を見開いて、感激の声を漏らす。
「こんなに美味しそうな食事、久しぶり……ありがとうございます」
丁度父さんも帰ってきた。
「ただいま。宏樹、メール見たぞ。お、君がクロエちゃんだね。遠慮せず、しばらくの間は家族だと思って過ごしてくれ」
そう父さんが言うと、クロエは目を潤ませて言った。
「パパさん、ありがとうございます」
食事中、あかねはクロエにたくさん話しかけ、笑い声が絶えなかった。俺はその様子を見ながら、心の中で安心感と温かさを感じていた。
「ごちそうさまでした」
食事が終わると後片付けをする。今日は俺が担当だ。
「あ、私も手伝います!」
クロエが台所までトトト、と小走りでやってきて言った。
「そう? それじゃ洗った食器を拭いて行ってくれるかな」
こうして二人での後片付けが始まる。
なれないクロエに、俺は家事のやり方を丁寧に教えていく。
どうやらクロエの母もお祖母さんも、甘やかして育てていたらしい。
このまま大人になったら大変だ。ウチにいる間に色々と教えてやろう。
「ヒロキはものすごく家事が得意なんですね」
クロエがふと言った。
「そうなのよ。私よりもテキパキこなしちゃうから立場が無いわ」
母さんが冗談めかしく言う。
「そうそう、後片付けが終わったら、お風呂に行ってきなさい。クロエさんからどうぞ。使い方はもう聞いたかしら?」
「はい! ありがとうございます」
「あっ!」
あかねが急に俺に真剣な顔をして言った。
「おにい! お風呂は絶対覗いちゃダメだからね! ラッキースケベは私が全力で阻止するから!」
「おい、なんだその言い方は……」
と俺は呆れたように返し、母さんもクスリと笑った。クロエも少し笑いながら、家族の一員になったような空気を感じているようだった。
こうして新たな日常が始まった。クロエを迎え入れたことで、家族の絆がさらに深まっていくのを感じた瞬間だった。
続きが読みたいと思って頂けましたら、高評価の程よろしくお願いいたします。
SNSでシェアして頂けますと大変喜びます!




