最強自虐賢者・爆誕!
「お待ちしてました、宇治春さんっ! もうほんっとに長い間、あなたのような方を待ってたんですよ!」
輝くような美女の女神は、そう言って手の指を組み合わせて小躍りした。
「容姿……はヒョロガリ長髪メガネですけど、メガネを取ればけっこう見れるお顔ですし、聖人っぽい見た目ですもんね。そもそも今時、あれだけ苦行や人助けをしまくってるなんて、どんな世界を探し回ってもいない逸材。おまけに私利私欲もまったく無しっ、魂は善意100%! 悪用の心配ないですし、もう神の職権乱用で、無敵の賢者にしてあげますね♪」
「はあ……そうですか」
宇治春はそう言って無表情で頷き、ずり落ちるメガネの位置を直した。
この女神を含め、何人かの神と話して分かった事だが、要するに自分は死んで異世界に生まれ変わるという事だろう。
その事に文句はない。
どうせミジンコ以下の命だったし、死のうが生きようが世界に何の影響も無い。
なぜそう思うかと言われれば、宇治春には自己肯定感というものが欠落しているからだ。
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武者小路ヶ原三太夫筑前守(※ここまで苗字)宇治春は、没落した名家の次男として生まれた。
テストの名前欄に書き切れない苗字の長さはともかく、戦前には爵位を受けた家系だったし、戦後もかなり悪どい事をして政財界に幅を利かせてきた一族。
そしてその恩恵を受けまくり、贅沢三昧をしてきた父と母。
一族が逮捕されて全てを失い、おまけに世間やマスコミから総攻撃を受けた母は、初めての苦労と極貧生活にショックを受け……ありていに言えば狂ってしまった。
口を開けば支離滅裂な事を言い、それも聞くたびに言う事が変わるのだ。
「あれをしなさい」と言われてやれば「なぜやるのよおおお!」と怒鳴られ、「これをするな」と言われてやらなければ「なんでやっていないのよキヒイイッ!」と怒鳴られ。
しまいには「どっちをやってもいい、あんたの好きにしなさい」と言われ、「ほんとにいいの?」と何度も確認をとったあげく、「それなら大丈夫か」とやったら、夜叉みたいな顔で一晩中怒鳴られ続けた。
テストで100点をとろうが怒られ、絵画で賞をとろうがケチをつけられ、かけっこで一等になったらやれフォームが悪い、やれ必死過ぎてみっともないと、とにかくバカにされ続けた。
そもそも宇治春がお腹にいる時に家が没落したので、母は「お前が生まれるからこんな事になったんだあああ!!」と叫びながら腹にパンチし続けていた。今思えばすごい胎教だ。
子供だから楽しそうな顔をしていると、母から「あんたは楽しそうでいいわねえ! 何の苦労もないんだから!」とののしられ、常に沈んだ顔をしていると、兄や姉から「なんだお前は、いつも気に入らないような顔をしやがって!」とののしられる。
もうどうしていいか分からなくなって、宇治春は毎日怯えていたし、高校に上がる頃には「私のようなウジ虫が申し上げるのも何なのですが……」と前置きしてから発言するようになった。
我ながら見事な壊れっぷりである。
寝具も自分のようなゴミには勿体ないと、夜は庭の木にぶら下がって眠ったし、野山を歩いては野草や木の実を常食した。
髪も切らないのでロン毛になり、同級生からは「ヒッピーかヨガの行者みたい」と言われた。
そうした苦行生活のおかげか、一見体は痩せていたが、細い筋肉は腱とみまごうほどに筋密度が発達し、予防接種の針が曲がるほどだった。
医者は「ゴリラかオランウータンとかならともかく…」とぶつくさ言っていたが、「そんな森の賢者を私のようなウジ虫と比べるのはやめて下さい!」「いいからゴリラに謝れ!」と迫る自分に悲鳴を上げて逃げ帰った。
成長するにつれて本を読み、「なるほど己は虐待されていたのか」と理屈の上では納得したが、だからといって一度壊れた自己肯定感が戻るわけでもない。
かくして宇治春は、自分の命をミジンコ以下だと考えていたのだが……ただ1つ、母の教えで役立つものがあった。
それは「誰が見てるか分からないのっ、だから世のため人のためになるのよっ、毎日いい事をするのよっ!!!」と言う事だ。
MのこうじがはらSだゆうCぜんのかみ、などと伏せ字にしても分かるような家系だったし、ちょっとした悪事でも「またやったのか」と叩かれるからだ。
宇治春はこの教えに救われた。
ウジ虫以下の命の自分が、この世で呼吸して貴重な酸素を消費するという大罪を許されるためには、人の役に立つしかない…!
だから危険を顧みず人助けをし続けたのだ。
苦行で鍛えた体は丈夫で、ふつうなら死ぬような事故でも無傷な事が多かったのだが……
高校の卒業式を終えた本日、恐ろしいほどの偶然が重なり、居眠り運転のトラックが10台以上、歩道のベビーカーに突っ込んできた。
9台までは「フン!」「ハッ!」と回し受けでさばいたが、10台目が後頭部に直撃。
KOされて異世界転生してしまった、という次第だ。
まあベビーカーの赤ちゃんが無事だったから、何も問題なかったのだけれど。助かってほんとに良かった…
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能力やらステータスやらの解説をする女神を、ただぼーっと眺めている自分に、さすがの女神も気味悪くなってきたようだ。
「……え、ちょっとなんかテンション低すぎません? 私利私欲がないのは立派ですけど、ちょっとぐらいいい思いしても大丈夫ですよ? 最強賢者になるんですから、今までの苦労も何もかも忘れて、異世界でパーッと飲み食いしていいんですから」
「……それについてですが、異世界にはどんな食べ物があるんでしょう。自分の口に合うようなものもあるのでしょうか」
明るい話題だと思ったのか、女神はほっとして笑顔を見せた。
「もちろんありますよ。前の世界ほどグルメじゃないですが、素朴で豪快な肉料理とかが多くて。マンガ肉みたいなのもあるんですから」
「いえそんな恐れ多いものでなく、セミの抜け殻とか朽ちた落ち葉などで構いませんから」
「怖い怖い怖い怖い! 何を言ってるんですか、そんなもので人が生きられるわけないでしょう!」
女神はさすがにドン引きしている。
「そんなものと言われましても、ずっとそれで生きて来たんですが…」
「……ほんとですね! 長い苦行のおかげで、内臓まで仙人レベルに進化してます!」
女神はこちらのお腹を見ていたが、青い顔で頷いた。
「ええ、今では霞ならギリ食べられます」
「それほどまでに……ってか扱いにくいなあもう! ちょっとはご褒美に惹かれてくれないと……上位神様も『君の世界は大変なんだったな? 色んな意味ですんごい逸材いるから君のとこで使ってくれたまえ!』なんておっしゃってたけど、扱いに困って押し付けただけなんじゃ……」
女神は困って頭を抱えるが、彼女のそばにウインドウが開き、イケメンの男神が映った。
「いよっ、さすが女神ミリエラくん、ご明察! どこの神も引いてたんだけど、なまじ魂が清いもんで、地獄行きにも出来ないし。かといって本人が『天国なんてもったいない!』って暴れるんで。君んとこで役立ててやってくれたまえ。それじゃ!」
言いたい時に言いたい事だけ言い放つと、イケメン男神は画面から消えた。
「あああああっ! ほんとにいつもいつも、面倒事は私のところにっ!」
女神が髪を逆立てて怒鳴る姿に安心感を覚え、宇治春は気さくに語りかけた。
「あの、それで本題の話を……」
「あ……、ああそうだったわね。本題の転生の話をしましょう」
「いえ、朽ちた落ち葉の有無の話を」
「それはもういいのよっ!!!」
女神は血相を変えて怒鳴り、こちらはやはり安心感を覚えた。
「ああ、素晴らしい……まさか神に怒鳴ってもらえるとは……ウジ虫の自分にとって、これが一番癒される瞬間です。出来ればもっとすんごい罵倒をいただけると嬉しいのですが……」
「キモイキモイっ、キモイのよあなたっ! もういいからさっさと転生してちょうだい! 能力もステもチートだから死にやしないわっ、とりあえず向こうに行ったら、適時メッセージ送って説明するから! 今は一刻も早くあたしを1人にして!」
「おおおおおっ、神の罵倒・キモイいただきました!! もう少し、もう少しだけおかわりをっ!!!」
「マジでキモイんじゃコラぁぁあっっ!!! 往生せいやあぁっっ!!!」
最初の上品さはどこへやら、女神は空中でクルクル横回転して勢いをつけると、見事なサッカーボールキックで宇治春を蹴り飛ばした。
宇治春は流星となって下界へ……異世界の地上へと降下していく。
キイイイインッ!!!
風を切り、雲を突き抜け、どんどん近づく森や丘。麦畑や川。その合間に立ち並ぶ洋風建築。
どうやら西洋ファンタジーのような世界だったが……おや、ローマのコロッセオによく似た闘技場が眼下に見える。
見える……見える……というかあそこに落ちるようだが、今はまさかの試合中だ。
やたらと露出の多い鎧を着た、赤い髪のうら若き乙女が剣を構えて後ずさり、ファンタジーで言うキマイラのような合成獣が、よだれを垂らしながら彼女に迫っている。
「いかんっ、乙女のピンチか! 間に合えっ……!」
宇治春はきをつけの姿勢のまま、髪をなびかせながら地上へと急降下したのだ。