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職人紋

 それから三日。

 私とチトセ様はハルカ工房を工房兼店舗として整えつつ、ビー玉の糸を生産するという日々を送りました。

 蜂蜜の業者さんから「本当に全部いるの? 昔流行ってたけど今は廃れてるの知ってる? 何にも使い道無いんだよ? 後でやっぱりいらないって持って来られても受け取れないからね?」と、散々念を押されながらも無料で譲り受ける事ができたビー玉は、チトセ様の手でたくさんの美しい糸へと姿を変えていきました。

 宝と呼ばれていただけのことはあり、チトセ様の糸紡ぎはとても早く正確でいらっしゃいます。大きな麻袋に入れられて工房を埋め尽くしているビー玉は、三日でかなりの量が糸巻きへと生まれ変わりました。

 その間、工房にもいくらか変化がありました。

 木工職人に頼んでいた看板が出来上がって店先を飾り、美しい糸を想起できる店であるように鉢植えの花が玄関前とバルコニーを飾っております。


 そして今日、ウィリアムさんがマーガレッタさんと共に来訪されました。

 今日も日の出にドゥさんの雄叫びによって起こされた長鉢荘の面々です。

 いつもドゥさんに怒り心頭なご様子のウィリアムさんですが、「まぁ寝不足の時は腹立つが……おかげで早朝に出発する冒険者の客に売れる物もあるからな……」と心中複雑なご様子でした。


「それで、今日は?」

「ああ、注文を受けた職人紋の魔法印が出来たからな。早い方が良いだろうと持って来た」

「あ、わざわざありがとうございます!」


 カウンターに置かれたのは、革のポーチに入った小さな魔道具です。

 魔力で焼き付ける、とは仰っていたものの焼き印のような形ではなく、見た目は普通の木製のスタンプのようでした。


「偽造防止のための物だからな、普通の魔道具のように魔法が入っているわけじゃない。逆だ。インク代わりになる魔力が使い切りになるようになっている」


 そう言いながら、ご自分の魔法印で使い方を見せてくださいました。


「魔力をこめながら、押す。しばらく押し付けて……離す。すると紋の形に魔力で色が付く。この焼き付いた模様と魔力で工房を判別するわけだ。工房主以外が印を盗んだり真似たりして捺しても、魔力が違うからすぐにわかる」

「チトセは糸が商品なんでしょう? 確か糸巻きは、糸のはじっこをボビンの平らなところに貼りつけて、そこに印を捺すようにしてたはずよ」

「なるほど、糸ごと焼き付けて割り印みたいにするんですね」

「フリシェンラスは大きな都市だ。隙あらば成果を奪おうとする奴も多い。せいぜい、つけこまれないようにするんだな」


 一通りレクチャーが終わると、お二人は「そもそもなんでメグまでついてきたんだ」等とじゃれあいながらお帰りになられました。

 仲がよろしくてなによりです。

 チトセ様はクスクスと笑いながらお二人を見送ると、お出かけの準備を始めました。


「商人ギルドの書類に、捺しに行かないとね」

「お供いたします……ビー玉の糸巻きも持って行かれるのですか?」


 うん、と頷いたチトセ様が続けます。


「糸の売り先って言っても、色々あるでしょ? ここでは珍しい糸になっただろうし、私達には伝手もコネも無いから、良い感じの売り先とか相談に乗ってもらおうと思って」

「なるほど、かしこまりました」


 練習がてら、数個の糸巻きに職人紋を捺して荷物に入れ、私達は商人ギルドへ出かけました。



 * * *



 到着した商人ギルドには、見知ったお顔がいらっしゃいました。


「あれ、ドゥさん?」

「おや、お二人とも今朝ぶりですな、ご機嫌麗しゅう」


 カウンターの一つでジェルスさんと向かい合っていらっしゃったのは、鶏の獣人のドゥさんです。

 いくつかの図面の入った書類を見ていらしているので、物件を探しているのでしょうか。

 私達の視線に気が付いたのか、彼は朗らかに笑って教えてくださいました。


「実は小生、隠れた名店というものに憧れておりましてな。帽子屋も貴族の固定客を何名か得られて軌道に乗りましたので、そろそろ理想の店をと思い良い物件が無いか探しておるのです」


 それはつまり、長鉢荘を出るということであり、チトセ様もいずれ向かうであろう未来です。

 長鉢荘は、職人の芽が出るようにとギルドが用意した植木鉢。

 駆け出しでも居心地よく、しかし成長した時に手狭となる、絶妙な采配の場所なのです。


「ドゥーイー様、こちらなどいかがでしょうか?」


 ジェルスさんが差し出された物件内容を、ドゥさんは真剣な顔で吟味しています。

 毎朝のモーニングコールは凄まじいですが、慣れつつあると、いなくなると思えば寂しいもの。

 チトセ様も少し名残惜しそうな顔でドゥさんの様子を見ておりました。

 けれどドゥさんは、やれやれと言った様子で首を振りつつ書類から顔を上げます。


「ジェルス殿……貴殿が上げてくださった物件はどれもこれも素晴らしい。ですが、実に惜しい! 我が理想の隠れた名店に必要な条件がたったひとつ満たされていないのです! その条件とは……!」


 ドゥさんは、クワッと目を見開いて言いました。


「ギルドに把握されている時点で『隠れてはいない』ということです!」

「貴方どうしてここに来るんです?」


 ドゥさんの熱意に対し、ジェルスさんはどこまでも冷めていました。


「何をおっしゃいます! フリシェンラスにおける商売の大家、商人ギルドともなれば! 小生の希望に沿う事の出来る物件の一つや二つや三つや四つ抱えておられますでしょうに! さぁさぁ、勿体ぶらずに出してよろしいのですよ、ジェルス殿」

「でも貴方、ギルドが知ってる物件はお嫌なんでしょう?」

「当然です! 隠れてはいないのですから!!」

「貴方どうしてここに来るんです?」


 堂々巡りを始めた会話にチトセ様が呆然となさっていると、以前受付をしていただいたケリィさんがこちらに気付いて近づいていらっしゃいました。


「いらっしゃいませ、チトセ様。そちらのお二人でしたら毎月の事ですから放っておいて大丈夫ですよ」

「毎月!?」

「ええ、三年ほど前から欠かさず。我々職員の間では『不毛のドゥーイー』と呼ばれていて、ドゥーイー様が諦めるのが先かジェルスさんが禿げるのが先か賭けが行われています」

「ケリィ嬢、聞き捨てなりませんな! 小生はこれこの通り! ふさふさでございますぞ!」


 見当違いの苦情を入れるドゥさんの向こうでジェルスさんが頭を抱えているのを見て、今度こそ閉口したチトセ様は、ケリィさんの案内でカウンターへと向かいました。


「本日はどのような御用件ですか?」

「工房の名前と……魔法印が出来たので、職人紋を捺しに来ました。」

「あら、お早いですね! ありがとうございます」


「普通は一週間くらいかかるので」と言いながら、ケリィさんは書類を用意していました。

 ウィリアムさんは優先して制作してくださったのでしょう。いつも不機嫌そうな様子とは裏腹に、とても優しいお方のようです。マーガレッタさんはそういう所を気に入っているのかもしれませんね。


 工房の名前とチトセ様の職人紋を登録し、晴れて『ハルカ工房』は商人ギルド公認のお店となりました。


「それじゃあさっそくなんですけど。糸の販売先について、相談させていただいてもいいですか?」

「取引先の紹介を御希望ですか?」

「あ、それです」

「大丈夫ですよ、他所から来た新規の職人にはよくある事ですから」


 快諾してくださったケリィさんに安心したのでしょう、チトセ様は「よかった」と言いながら微笑みました。


「えっと、とりあえず当面売ろうとしてるのは、これなんですけど……」


 チトセ様に促され、荷物からビー玉の糸を出して手渡しました。


「……へ?」


 美しい蜂蜜色の糸巻きを手に乗せたケリィさんは、驚きで固まってしまわれました。

 無理もありません。そも糸は、リネンにせよ羊毛にせよ不透明な物というのが一般認識。染めて色をつけてもそれは変わりません。

 けれど、チトセ様の紡いだビー玉の糸は違います。

 透き通る黄金色。シルクにも負けない、とろけるような光沢。思わず口に含みたくなるような甘い輝きをそのまま紡ぎあげた逸品なのです。


「え……金糸? じゃない? 何ですかこれ?」

「糸です」

「いえ、そうなんですけどそうでなく!」

「私が紡ぎました」

「そうなんですけどそうでなく!!」


 チトセ様、わかっていて遊んでいらっしゃいますね?

 途中から悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべていらっしゃいました。

 ケリィさんの反応に、職員の方々がなんだなんだと集まっていらっしゃいます。そして美しい糸をご覧になり、口をあんぐりと開けて驚き固まってしまいます。

 しかし、そこはプロの職員です。

 なんとか受付の意識に戻っていらしたケリィさんは、何かを振り払うように頭を振ってからチトセ様に向き直りました。


「失礼しました。この糸を販売するお相手の御相談ですね」

「はい、最初は刺繍糸として出そうかと。まだ職人は私だけなので、あんまり大量生産はできません」

「なるほど……資料を取ってまいりますので、少々お待ちください」


 慌ただしく飛び出していくケリィさんの姿に他の職員の方々も正気に戻ったのでしょう、「これはヤバい」「すごい新人が来ましたな」「あれは貴族の間で流行るぞ」「俺の担当した仕立て屋の資料も用意しとこ」等々とても好印象な言葉が漏れ聞こえてきます。チトセ様の素晴らしさが世に知れていく、とても誇らしい事です。

 すると、待っていた私たちの傍へ、スススッと近づいてくる大柄な人物が。


「ぬおおおおお!? なんという美しい糸か!! このドゥーイー・コッコ、それなりに様々な物を見聞きしてまいりましたが、これほどまでに輝かんばかりの糸巻きは初めてお目にかかりましたぞ!」


 それはジェルスさんを置き去りにしてきたドゥさんでした。

 ドゥさんは感極まった様子で糸巻きを恭しく手に取り、天に掲げるようにして震えながら見つめます。


「透き通る糸などと! こんなことが可能なのか……まるで蜂蜜をそのまま紡ぎあげたかのような色艶。しかも! この糸の取引先を探しておられるとか! チトセ嬢、是非とも小生にもこの恩恵に与る栄誉を与えていただきたい! 我が工房『ドゥドゥ閣下』は王侯貴族向けの帽子を制作しております。この糸の美しさを生かせるだけの技量があると自負しております! どうか!!」

「あ~、そういえばドゥーイー様いましたね」


 ついに跪いたドゥさんを見て苦笑いしながら、資料を抱えたケリィさんが戻ってまいりました。


「でも『ドゥドゥ閣下』は取引先としては良いと思いますよ。同じ長鉢荘ですから今後の打ち合わせとかもしやすいでしょうし」


「偶然居合わせたのも運命めいてて良い御縁じゃないですか」とほほ笑むケリィさんが後押しとなり、チトセ様はひとつ頷いてドゥさんの手を取りました。


「よろしお願いします、ドゥさん」

「ありがたき幸せ!!」


 せっかく商人ギルドにいるということで、ケリィさんに仲介に入っていただき、アドバイスをいただきながら糸の金額を決めました。

 そして持ち込んでいた糸巻きのいくつかは、ドゥさんがこの場でお買い上げされていかれました。


「イメージが!! 小生の鳥胸のごとく膨らんでまいりました!! さっそくこの糸を使った貴婦人の帽子を仕立てたいと思いますのでこれにて!!」


 突風のように走り去ったドゥさん。

 終わらない物件確認から解放されてやれやれと息をつくジェルスさん。

 そんな彼らを楽しそうにクスクスと笑いながら眺めていたチトセ様に、ケリィさんが周囲の職員から推薦された仕立て屋の情報で膨れ上がった資料を手にしつつ声をかけます。


「じゃあ次は仕立て屋さん見繕いましょうか! これほど良い品なら王族に出入りされてる所は絶対にお話ししていただきますし、ギルドからも紹介状を書かせていただきますよ!」


 さすがは商人ギルド、職員の方々も商魂逞しい笑顔を浮かべていらっしゃいます。

 商人ギルドは所属している土地の商売が回れば回るほど潤う構造になっているそうですから、チトセ様の持ち込まれたまったく新しい糸は、私が思った通りの大歓待を受けたのでした。

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