花と挨拶
「おはようございまーす! 『ムキムキ小麦』の配達でーす!」
「おお、来ましたな」
新しい工房に移って初めての朝。
長鉢荘の出立前に急いで交わした契約通り、夜明け前にサンドラさんのお店のパンが届きました。
このお屋敷にはまだ専門の料理人がいませんので、設備はありますがパンを焼ける人材がおりません。毎朝買いに出なければと思っていましたので、配達は大変ありがたいです。
「ディラさん、受け取ってください」
「はいっ」
ちょうど手すきのディラさんに対応を頼みます。
私はベーコンと卵が良いところ……お皿の準備もできています。
「おはようございます」
「あ、ぇっ!? ど、ドーモ……」
……何か問題があったでしょうか?
フライパンから手を放さず、背を反らせてお勝手のディラさんを伺います。
配達に来ているのは若いドワーフの青年。確か、サンドラさんの息子さんだったはず。
「だ、大丈夫ですか? しゃっくり? 咳? ……あ、顔ちょっと赤いような……」
「な、なんでもねー、です! これパン! そんでサイン! くれ、さい!」
「は、ふぁい……?」
帽子を深く手で下げたドワーフの青年は、ディラさんが紙にサインを書くと、「マタアシター!」と叫び大急ぎで走り去ってしまいました。
呆気にとられるディラさんと私。
そして一部始終を見守っていたドゥルさんが、朗らかに笑い始めます。
「はっはっはっはっ、いやぁ~どこもかしこも春ですなぁ。ハルカ工房は特に美しい花が多いですから!」
「花……ですか?」
まだ越して来たばかりでデナガブランランしかありませんが……?
ああ、追々庭師も手配しなければいけませんね。
* * *
「開店祝いのお花でーす! どこに置きますかー?」
「そちらへお願いします」
「はいよ! これとこれとこれとこれ、サインお願いします!」
まるで花の話をしたことがきっかけだったかのように、新しい『ハルカ工房』には続々と開店祝いの花の寄せ植えがカード付で届き始めました。
立派なお屋敷ですので花を買ってこなければと思っていたのですが……外はいただいた鉢植えで十分すぎるほど綺麗に飾る事ができそうです。
「これはマーガレッタとウィリアムさんの連名……こっちは『オーリエ商会』? 誰? ……で、こっちは商人ギルドマスターさんで……知らない商会と、知らない商会と、知らない商会と……あ、これエスティ様からだ」
フリシェンラス中の花屋に注文が入ったのではないでしょうか……一つの花屋が複数個持ってきたかと思えば、また別の花屋がやってきます。
「これ、お返しの品とか必要? ものすごい出費になりそうなんだけど……」
「必要ございませんぞ! お祝いにかこつけた名前の売り込み……『私も応援しております』というアピールのようなものですからな。簡単なお礼状だけでケッコウ」
「レターセットが大量に必要なやつ!」
「用意いたしますぞ」
「あとそういう仕事のお手紙のマナー本とかあったら欲しい!」
「お任せくだされ」
「ありがとうドゥルさん……なんか急に有名人とか代表とかになった気分」
「何をいまさら!」
いまさらでございます。
一部の界隈では時の人ですし、『ハルカ工房』の店長なのですから。
しかし、長い事沈黙を守ってきた各方面の商人達でしたが、開店祝いは送っても良いという取り決めでもあったのでしょうか。様々な業種の様々な商会からこれでもかとばかりに届く花の山。
さて次のお花は……お手紙付きですね。
「チトセ様、こちらラズオール王子からお花とお手紙でございます」
「あ、エスティ様とは別で来るんだね。……ん? お手紙と、なんか証書みたいなの入ってる」
その場でお手紙を開き、読み始めるチトセ様。
封筒と一緒に握られているもう一枚の紙は、確かに紙質の異なる代物のようです。
私には見当がつきませんでしたが、ドゥルさんはその紙を見ると訳知り顔で頷いておられました。
「……えっとね、離宮で講師をするために、離宮職員の制服を仕立ててくれって。こっちはその仕立ての仕様書兼許可証?みたい」
「やはりそうでしたか、祖父から聞いた事がございます」
「お爺さん?」
つまり、宰相グロリアス様ですね。
「離宮に勤める者は指定の制服を指定の仕立て屋で用意する必要があり、それも許可証が無ければどんな身分の者であろうと仕立てる事は許されない事になっているそうです」
「へぇ~、毎日行くわけじゃないからタグとか腕章とかになるかと思ってた」
「生徒はケープのみになるかもしれませんな。チトセ様は長く続けることになるでしょうから、制服の方が良いのでしょう」
指定の仕立て屋は離宮のすぐそばです。
後日、時間を作って伺わなければなりませんね。
「すいませ~ん! コッコ侯爵家様から、御当主様と冒険者ギルドマスター様とその奥様と若様からそれぞれ鉢植え一つずつ来まひたぁ~」
「おおお!? あれほど連名で良いと言ったのに……今まいりますぞ!」
ドタバタと庭へ向かうドゥルさんを見送って、チトセ様は苦笑いを浮かべます。
「……私、お礼状何枚書かないといけないんだろ?」
「今のところ42件でございます」
「チ、チトセ様ー! フィーシェ王女様と……国王様からもそれぞれ来みゃしたぁー!!」
「……44件です」
「せめて王族は連名にしてほしかったなぁ~」
遠い目をされながら指を折り数えるチトセ様。
そんなチトセ様に、嬉しいお客様がやってまいりました。
「チトセー!」
「て、店長! リ、リーリャと、みんなとで、お祝いっ、ですっ!」
やって来たのはモールスさんを筆頭とした冒険者パーティ『ホワイトベリー』の面々とリーリャさん。雑貨屋『ブラックベリー』で作ったのでしょう植木鉢に、色とりどりのお花を植えて持ってきてくださいました。
「わーこんなにいっぱい、ありがとう!」
「み、みんなで植えました!」
「チビ達みんな来たがったんだけどさ。さすがにぞろぞろ押しかけたら迷惑になるからって置いてきたんだ。落ち着いたら顔見せてやってくれよ」
「うん! 前より近くになったから、ちょくちょくお散歩にでもいくね」
孤児院からの可愛らしい鉢植えは、チトセ様のお部屋の窓に置かれる事になりました。
「あ、そういえばデナガブランランはどこに置いたっけ?」
「お庭の鉢植えの中に紛れさせております。害虫がわかないようにするのにちょうどいいと思いまして。先程も、春の陽気で沸き始めた羽虫を食べておりました」
「そっかー」
* * *
……夜も更けまして、私は気配を感じ、手早く支度を整えて部屋を出ました。
チトセ様は目が覚められた様子はございません。ぐっすりとお休みになられているようです。起こさないように事を収めなければ。
黒い手袋をはめながら廊下を進むと、急ぎ階段を上がってきたドゥルさんが。
「いかがいたしますか?」
「ディラさんは?」
「塔へ向かわせました」
「私が出ます。チトセ様のお傍には私の使い魔を置いてありますので、ドゥルさんは部屋の扉の守りを」
「かしこまりました」
後ろを預けられるというのは良いものですね。
身体強化の魔法を鼓動に乗せます。
窓を開け、バルコニーへ。
ほとんどの灯りが消えた夜の街。
頭上に鎮座しているのは、暗雲に覆われた、星の無い空。
春の夜風はまだ肌寒く、冬の余韻でふわりと肌を撫でる北の吐息。
……背を向けていても動かないのなら、やはり安直な襲撃ではないのでしょう。
振り返り、屋根を見上げれば──夜の暗雲を背に、より黒い姿。
「やぁ、こんばんは」
喪服を思わせる黒く深いフード付きのマント。
細身の体は、黒い服を上から細い黒革でぐるぐると引き締めて。
フードの影、漆黒の髪の隙間に覗くのは、氷を思わせる薄青に煌めく銀の瞳。
「ごきげんよう。主は既に休んでおりますので、陽が高い時間に出直してくださいませ」
「ああ、構わないよ。用があるのは君だから」
若い男の声。エルフや人魚だったらわかりませんが、人間または獣人ならばおそらくは20にはわずかに届かない程度、私より少し上くらいでしょうか。
しかしどこかで似た声を聞いたような……?
「御用件をお伺いします」
「この前、こっち側の馬鹿を処分してもらったからね。そのお礼と、御挨拶に」
……『この前』で思い当るのは、ポカルさんが攫われかけた件でしょうか。だとすれば、処分した馬鹿とは必然、実行犯や男爵ということになりますが……
「……『こっち側』、ですか?」
私の確信を込めた問いかけに、黒い男は、挑発的に口の端を吊り上げて嗤います。
「改めて、はじめまして。僕は今代の『狂犬』だ。以後お見知りおきを」
──『狂犬』
なるほど。
腑に落ちました。
『狂犬』とは、いわば掃き溜めの取締役。
無法者は欲や目的のために手段を選びませんが、それでもこの国においては超えてはいけないライン、暗黙のルールがございました。
例えば王族の暗殺。
例えば外壁の大規模な破壊。
例えば民衆の大量虐殺。
例えば他国の間者を引き入れる行為。
……そういった、国家の存亡に関わるような行為は、自由でいたければ慎め、と。そのようなルールを布いているのが、『狂犬』だと言われております。
もしも私がメイドになっていなかったなら、顔色や方針を伺わなければならなかったであろう人物。
「……これで納得したみたいに微笑むって事は、やっぱり君はこっち側なんだなぁ」
「いいえ、私はチトセ様のメイドです」
「ははっ」
何が面白いのやら、『狂犬』は軽く笑い……冷徹な目でこちらを見下ろしました。
「じゃあ本題に入ろう。僕は、君の力を試してみようと思う」
「……お礼というお話では?」
「お礼だよ? まさか僕が頭下げてマリンゴのパイとか差し出すとでも思ったのかい?『そちらの御主人様の好物をお納めください』って?」
──チトセ様の好物
……思わず顔に出てしまっていたのでしょう。
『狂犬』は、意を得たりとばかりに嗤います。
「色々聞いてるよ。チトセ・カイコミヤ。珍しい魔法で様々な物を糸に紡ぐ職人。王族に重宝されて支援を受け、特産品の立役者となるべく準備中。出身地は不明、おそらくは……異世界からの来訪者。……ああ、こっちの馬鹿共は知らないから安心していいよ。僕が個人的に知る機会があっただけだ。……とはいえ、時間の問題だろうけどね」
「だから」と彼はこちらを覗き込みます。
「力試しで『狂犬』のお墨付きが貰えるんだ、悪い話じゃないだろう? 君じゃ不足だと判ったら、ちゃぁんと僕のお眼鏡にかなった奴を護衛に寄越してあげよう。そうしたら、君は安心してメイド稼業にだけ精を出せばいい」
……おそらく、それが目的でしょう。
私はあちら側で名が通る前に縁を切ってメイドになりました。
無名の私よりも、自分の息のかかった者をチトセ様の傍に置いておきたい、と。そんなところでしょうか。
あちら側で生きている輩をチトセ様に近付けるなど許せるわけがないのですが。
しかし、断るという選択肢は存在しません。
「なるほど……構いませんが、チトセ様を起こさないよう、そして新築のお屋敷や花に傷がつかないようお願いいたします」
「ああ、わかった──よっ!」
──ギィイン!
咄嗟に伸ばした糸が、眼前で魔法の刃を防ぎます。
一瞬で距離を詰め、降りぬかれた『狂犬』の右手。
爪に魔法陣。
魔道具化した爪から、獣の爪のように伸びた魔力剣。
「へぇ? 今ので終わっておけば希望通りだったのに」
「御冗談を」
糸を三本、伸ばす速さとあちらが飛び退く速さは同じ。
バルコニーから、追って、跳びます。
身体強化、あちらも使っていますね。光の輪は見えません。ならば私と同じ、心臓の鼓動に乗せるタイプ。
面白い。
実用に至っている方と久しぶりに相見えました。
──“綾取る”“綾取る”“綾取る”
黒いお仕着せに仕込んでいた黒い糸は、夜闇に溶けるよう選んだ色。
長く長く伸ばした糸を、周囲に張り巡らせて。同時に鋭く斬りかかってくる刃を別の糸で受け流す。
……首を狙っても、良いのでしょうか?
あまり生かして帰す気はございませんので、逡巡は一瞬、大きく回した糸の円を、相手の蹴りをやり過ごすと同時に引き絞る──
──早い
避けられましたね。
しかし、マントのフードは獲りました。
短い漆黒の髪の間から生える、『狂犬』らしい、犬にしては大きい?、三角の獣の耳。
爛と輝く青銀の双眸。
愉しげに吊り上がった口元には鋭い歯。
獣人ですね。
と、姿が掻き消えて、咄嗟に空気の動いた背後へ糸を広げれば強い手応え。
動きがとても早い。
見えないのは初めてです。
今度は左
右
直上から、後方への右
四方八方から絶え間なく続く魔力剣の連撃をいなし続けながら、周囲に配置する糸の数を増やします。増えるたびにあちらの動きは制限され、時折服の切れ端が宙に舞う。
二桁超えの本数を操るのは久しぶりです。
偶の本気としては、丁度よろしい。
まぁ本気と言えども、両者とも攻撃魔法は使用していないのですが。
私は周りへの被害と騒音、そして魔力に反応して人が起きて来る事を危惧して未使用なだけですが、あちらはどうでしょう?
──ギィイン! ──ィイン! ──シュカッ!
切断音。
これはこれは、さすが『狂犬』と言ったところでしょうか。
この短時間で糸を切るまでに至った方は初めてです。
千切れ飛ぶ糸
乱れ飛ぶ斬撃
眼前に迫った魔力剣の爪を──咄嗟にお仕着せのエプロンから紡いだ糸で受け止めます。
糸紡ぎの魔法。
あの日、チトセ様に伝授していただいた、私の。
糸は消耗品ですから、本当に、素晴らしい技術です。
私がチトセ様をお守りするのと同じように、私もまた、こうしてチトセ様に守られている。
騎士の鍔迫り合いのように、相手の呼吸さえ感じる程の至近距離で相対する私と『狂犬』
氷のような瞳に私が映る。
……その時
「──ぅぐっ!?」
顔を驚愕に染めて、『狂犬』は胸を押さえて崩れ落ちました。
……一体何が?
しかし、この機を逃すわけにはいきません。
即座に体を糸で拘束し、逃げられないよう糸を張り巡らせ囲みます。
……あまり生かして帰す気は無かったのですが。なんとなく、トドメは刺さずにおきました。
「……持病がお有りでしたら、自ら訪問するような真似は控えた方が良いのでは?」
「っ……くっそ…………」
胸の痛みを抑えるように、大きく息を吐く『狂犬』
「さて、勝負あったと思うのですが……どうしましょうか?」
「……どう、って?」
「いえ、貴方を処分すべきか、足の一本ほどで済ませるべきか、迷っておりまして」
「あんた……そういうところだぞ」
何がでしょう?
地に伏したまま、『狂犬』は大きく溜息を吐くと……どこか呆れたように嗤って言いました。
「いいだろう、実力は十分だ。……というより予想外の規格外だ。なんでこんなのがメイドやってるんだか……こっち側の馬鹿共には『手を出すだけ無駄』という事を、それとなく流してやろう」
おや、本当にお礼は頂けるのですね。正直、ただの口実だと思っておりました。
それなりに驚いて見下ろしていますと、『狂犬』は、その氷のような目をギラリとこちらに向け、笑いました。
「じゃあまたな──メイドのアリアさん?」
突如、視界を埋め尽くした氷の花。
攻撃魔法の、氷の刃、極小のそれを数えるのも馬鹿馬鹿しい量に多重起動して
千々に乱れた糸の端と
溢れかえった氷の花弁が
ひらひら舞い散るその隙間には
敷地を覆っていた糸の囲いに触れる事すらなく……『狂犬』の姿は跡形もなく消えておりました。
「……なるほど」
氷の花弁が一枚、ひらりと手の平に乗って……儚く溶けて消えていきます。
少々、腑に落ちない点はありますが。
おおよそ、その正体にはあたりがつきました。
「お墨付き、悪くありませんね」
さて、お屋敷の中へ戻りましょう。
留守を頼んだお二人に、問題ない旨を伝えなければ。
それに、御近所にお住まいの現役や元のつく冒険者の方々が、こちらを気にされていたようですから、明日はその挨拶周りもしなければなりません。
こちらでもメイドらしい忙しい日々を送る事ができそうで、私は喜びに思わず顔に笑みが浮かぶのでした。




