お買い物
賃貸契約書にチトセ様がサインをして鍵を受け取り、ジェルスさんがギルドへ帰還されてから、チトセ様と私は寝室のベッドに腰かけて少しお話をすることにいたしました。お茶の支度ができないのがとても無念です。
「さすが異世界、獣人って本当にいるんだね! 耳とか尻尾がふさふさで可愛かった!」
「あちらにはいらっしゃらなかったのですか?」
「空想上の存在だったよ、いるのは人間だけ」
なるほど、チトセ様が店を見る傍らエルフや獣人やドワーフといった種族へ興味深げな目を向けられていた理由がわかりました。
次にチトセ様が話題に出したのは、市場リサーチの事です。
「……それにしても、この街ってシルクとかコットンの値段がすごく高いね。どこもこんなもの?」
「ヴァイリールフ王国はどこもこんなものです。確か……この国は大陸の北西に位置しているのですが、気候の関係でシルクモイモイもフワフワ草も上手くは育たないのだとか」
「あ~、気候ね~」
「代わりに羊毛とリネンは豊富ですね。地方は牧場が多いですし、フリシェンラスの周辺でもリネンの栽培は盛んです」
なるほど、と頷いていたチトセ様でしたが、不意に私へふわりとした笑みを向けてくださいました。
「アリア詳しいね、すごく助かる」
「もったいないお言葉です」
情報は重要なので、欠かさず集めるようにしています。お役に立てて、とても嬉しいです。
その後、私とチトセ様は街へ繰り出しました。
家具付きの賃貸とはいえ、ベッドとクローゼットという必要最低限の物だけなので、何をするにも買い出しが必要です。
「古道具屋さんとかあるかな? 服と鞄売ったお金はあるけど、まだ節約しておきたいから、中古で安く済むところはそうしたいな」
「チトセ様は倹約家でいらっしゃいますね」
えへへ、と照れるお姿も大変愛らしゅうございます。
私たちは職人街から商店街へ足を進め、少々奥まったところにある一般市民向けの古道具屋へ入りました。
壁一面に積まれたたくさんの古道具。見上げたチトセ様が「おぉ……」と声を上げます。
「いらっしゃい」
薄暗い店の奥から低く渋い男性の声。それなりにお年を召された方が店主のようです。
「なんか探し物かい?」
「あ、引っ越してきたばかりで生活必需品を揃えようと思いまして。色々見させていただいても良いですか?」
「そうかい、好きにしな」
チトセ様の返事に是と返すと、こちらに興味を失ったかのように店主は静かになりました。あまり商売熱心なタイプではないようです。
とはいえ、品揃えは悪くありません。
年代物ですがまだまだ使えるランプの魔道具に加え、鍋やフライパンやケトルも底を修理した痕等が無い物を手に入れることができました。
使い道の多そうな背負い籠も購入して、中に買ったものを詰めていきます。
すると
「店長さん、これ何ですか!?」
店の隅からチトセ様の焦ったようなお声。
急いで馳せ参じると、チトセ様が物陰に置かれた樽を覗き込んで驚きの表情を浮かべていらっしゃるではありませんか。
何が入っているのかと覗いてみると、樽の中には小鳥の卵くらいの大きさをした蜂蜜色の美しい玉が大量に詰まっておりました。
「あ~~、そりゃビー玉だ」
のんびりと近づいてきた店主の答えに、チトセ様は首を傾げます。
「ビー玉? ぷにぷにしてて柔らかいですけど、ガラスなんですか?」
「いやガラスなんて良いもんじゃない。最近の若いのは知らんか……スイートビーの巣から出る玉だ」
よっこいせ、と店主はビー玉を手に取りながら語り始めました。
「何十年前だったかな……この玉を装飾品にするのが流行った時期があってな。服だの帽子だの鞄だのって皆ごてごてつけとって。それがちょうど野生のスイートビーの大量発生と重なったもんで、当時の冒険者はずいぶんと荒稼ぎしたもんだ」
「……今はつけてるかたいないんですか? 流行りが終わったって言ってもこんなに綺麗なんですから、好きな人は好きそうですけど」
「これなぁ、強く押すと割れちまうんだわ」
店主はビー玉をひとつ手に取ると、指先でつまむように力を込めました。するとブチュッと音がしてビー玉は割れて、中から蜂蜜のようなドロリとした液体が漏れ出てきます。
「蜂蜜に似てるが匂いも味もねぇ、巣の穴から採れるくせに蜂蜜でも蜜蝋でもねぇ、薬にも錬金術にも魔道具にも使い道が無いときた。玉のままなら変化しないが、割れた液体はしばらく置くと腐っちまう。なんかのはずみで割れて、付けてた服もなにもこのドロドロまみれになるわ液が腐るわで、こりゃダメだってんであっという間に廃れたよ」
これはその名残、と店主は樽をぽんぽん叩きます。
「欲しいならやるぞ、捨てるのも面倒で置きっぱなしなだけだったからな。持ってってくれるなら樽ごとやる。それこそ巣から蜂蜜取ってる所じゃ、大量に出るビー玉の処分にいっつも困ってるくらいだ」
店主のお話を静かに聞いていたチトセ様は、にっこり笑っていいました。
「全部ください!」
「物好きだねぇ……」
* * *
「よし! まずはこんなもんかな?」
「はい、最低限生活は可能かと」
「あとは必要に応じて買い足そうね」
あれから何往復かして、私たちは必要な物を買い揃えました。ソファや椅子等大きい物や、今後大量に必要になるボビン等嵩張る物などは、明日店の方が届けてくださる手筈です。
古道具屋で頂いたビー玉入りの樽も工房に持ち帰っています。
ゼンマイ式の置時計を確認すると、時刻は午後三時を過ぎようかという頃合いでした。
「暗くなる前に長鉢荘の皆さんに引っ越しの御挨拶に行こうか」
「はい。手土産を用意します」
私には引っ越しの挨拶というものがピンとこなかったのですが、そういった心遣いができるチトセ様はやはり素晴らしいお方です。
買い出しの際に一緒に購入しておいた蜂蜜の瓶を取り出して手提げ籠へ移して。チトセ様と私は長鉢荘の挨拶周りへと出発いたしました。