商人ギルドと家探し
身形と資金を調えまして、向かったのは商人ギルドです。職人街からほど近い、一際大きな石造りの建物になります。
チトセ様はフリシェンラスで特殊な糸を紡いで売る……いわば紡ぎ士として生計を立てていくことになりますので、都市で商売をするにはギルドへの登録が必須なのです。
正面扉を潜ると、落ち着いた重厚な色合いの木で整えられており、鉢植えの木と椅子が置かれて待合室になっておりました。
仕事や土地家屋の仲介も行っている場所なので、そういった情報が大量に貼られた掲示板や、それを目当てに来たらしき人々の姿も見えます。
分厚い板を使用したカウンターの向こうは防衛魔法が施されていて、大量の金貨や書類を捌いている職員の姿が見えます。
受付へ近づくと、女性職員が対応してくださいました。
「いらっしゃいませ。受付担当のケリィと申します。本日はどのような御用件でしょうか?」
「今日この街に来たので、登録をお願いします」
「かしこまりました。新規ですか? 他の町からの移転でしょうか?」
「新規です」
「では起業ですね、おめでとうございます。こちらに氏名と業種の記載を、それから初回登録料として銀貨3枚必要になります」
差し出された書類にチトセ様が記載します。
チトセ様は異世界出身のお方ですが、不思議な事に言語は違うそうですが読み書きは問題なく行えたそうです。
やはりチトセ様はこちらにいらっしゃる運命だったのでしょう。痛々しい御不幸がきっかけだったことは悲しいですが、この世界そのものが選び祝福し招いた存在なのだと思えば、言語が通じるのもおかしくないような気がしてきます。
「はい、魔力パターンも確認できました。かなり珍しいパターンですね」
「そうなんですか? 遠い国の出身だからですかね」
「ああ、なるほど。民族の違いはパターンに大きく現れますね」
てきぱきと書類が整えられていきます。その澱みない慣れた手つきは、任せておけば大丈夫、という安心感すら覚えるもの。チトセ様も不安を感じずに手続きができるというものです。
「紡ぎ士……となるとメインは職人ですね。職人紋はお決まりですか?」
「職人紋?」
「あ、出身国にはございませんでしたか? こちらでは職人が作った制作物には固有の職人紋を魔法印で焼き付けるのが一般的なんです」
「それは偽造防止目的です?」
「そうです。魔力パターンと職人紋をこちらに登録しておくことにより、市場で偽造問題が発生した際、職人の手を煩わせる事無くこちらから担当憲兵へ資料の提出をするようになっております」
「へぇ~」
しっかりしてますね、とチトセ様は呟きながら手帳を取り出し、そこに挟めていた一枚の紙を取り出しました。
「これでも大丈夫ですか?」
白い上等な紙に描かれていたのは、ひとつの図案です。
車輪──おそらくは糸車の物でしょう──それを下地の円にして、円の半分程の大きさで腹部が糸巻きになっている蝶が配置されている、不思議で美しい図案でした。
「おおー! 図案も珍しいですね……これなら大丈夫です! これを元に、魔道具職人に魔法印を作ってもらってください。そうしたら後日でけっこうですので、書類に捺しに来てくださいね」
「わかりました」
いつの間にご用意されたのだろうと私が見ていると、チトセ様はその視線に気が付き、微笑んで教えてくださいました。
「家の家紋なの。必要な機会がちょくちょくあるから持ち歩いてたんだ。こっちでは私しか使わないだろうから、ちょうどよかった」
なるほど、お家の紋章でしたか。
「工房の場所はお決まりですか?」
「いいえ。住む場所もまだなので、その辺りの情報もいただけたらと」
「かしこまりました。後で係の者を呼びますね。工房の名前はいかがいたしますか?」
チトセ様はしばし思案なされましたが、諦めたように首を振りました。
「……ん~、考えてなかった……今じゃないとダメですか?」
「いいえ、職人紋を捺しに来てくださる時で構いませんよ」
「あ、よかった……じゃあそうします」
「かしこまりました。じゃあ後は……ジェルスさーん!」
呼ばれてやってきたのは、大きな垂れ耳が特徴的な犬系獣人の男性でした。
「私は書類を元にギルド証の発行をしてまいります。その間にこちらの者から物件の情報を聞いていてください」
そう言うとケリィさんは書類を抱えて去っていき、入れ違いにジェルスさんが大きな書類束を抱えながら正面に入りました。
「ギルド管理物件担当のジェルスです。えー……なるほどなるほど、工房をご希望。分類は……糸、服飾系ですかね。店舗や住居は兼ねますか?」
「店舗は……あれば嬉しいですが、無くても大丈夫です。住居は兼ねたいですね、住むのは私とメイドのアリアとの二人です」
「使用人付き、なるほどなるほど……」
内容を口の中で転がしながら、ジェルスさんは凄い勢いで書類をめくりはじめました。
馬車の旅の間にチトセ様と相談していたのですが、大きな店舗を構えてもお客様がいらっしゃるかわかりませんし、希少性の高い物を売るので露店は向きません。なので初めは作った物を他店舗へ持ち込むところから始めようと考えています。
「助手や弟子はすぐに取られますか?」
「いいえ、いずれは織り士の方や大きな機織り機等も入れたいと思っていますが、しばらくは考えていません」
「将来的には拡張を考えている、なるほどなるほど……」
ジェルスさんは他にも予算や立地希望等を確認すると、束からひとまとめの書類を抜き出しました。
「……この内容でしたら、まずはこちらに入って軌道に乗せてみるのがよろしいかと」
一番上の書類に書かれていたのは『商人ギルド所有』のスタンプが押された長屋でした。
「我々商人ギルドが駆け出しの職人向けに割安で提供している家具付き賃貸になります。棟ひとつは家が三つ並んでくっついた構造になっていますが、中は完全に分かれています」
ジェルスさんは、書類の中から簡単な図面を取り出し見せてくださいました。
「一階部分が小さめの店舗と奥に広めの作業場、ストーブを兼ねた調理スペースもついています。二階はほぼ屋根裏に近いので天井が斜めですが、ベッド二つとクローゼットは備え付けなので寝室には十分かと」
さらに取り出したのは、この建物が立っている区画の図でした。
「区画には同じ建物が三つ、北向きと東向きと南向きでそれぞれ通路に面しており、中央には井戸のある共有の広場。そして西側の小さめの建物がこの区画共有のシャワーとトイレです。これら全てまとめて『長鉢荘』と呼んでおります」
最後に職人街の地図を取り出し「場所はここです」と示してくださいました。
職人街の少し奥まった、しかし危険な裏通りからは遠い場所です。昼間歩いた様子だと寂れた区域でもないあたりでした。
「いかがでしょう? 使用人付きの方には手狭に感じるかと思いますが、駆け出しの針子はよくここを利用しますので作業場所としては問題ないと思われます」
「そうですね、ちょうど良さそう。アリアはどう? 私と同室にはなっちゃうんだけど」
「チトセ様が良しとするのであれば、私に否などございません」
あとは同じ長屋にどのような人物が入っているか、でしょうか。
それはチトセ様も気になったらしくジェルスさんに問えば、現入居者の情報なのでしょう、書類にピンで止められているメモを確認し始めました。
「えー、9室ある内、埋まっているのは、ひぃふぅみぃ……6室ですね。入居が最新の順から……革細工師、調香師、魔道具職人、楽器職人、帽子屋。そしてパン屋です。大きな問題を起こしている方はいらっしゃいませんよ」
ざっと聞く分には怪しい職業は見当たりません。チトセ様も明るい表情でうんうんと頷いていらっしゃいます。
その様子を見て、ほぼ固まったと判断されたのでしょう。ジェルスさんは書類に付随していた袋から鍵を取り出しました。
「なるほどなるほど……お時間あるようでしたら、このまま内覧に行けますよ。見ていただいて問題ないようでしたら、そのまま入居していただくことも可能です」
「わぁっ、ぜひお願いします!」
ちょうどそこへケリィさんが発行されたギルド証と思しきカードを持ってきてくださいました。
「はい、こちらチトセ様のギルド証になります。フリシェンラスにおける商業許可証でもありますので、できるだけ肌身離さず持ち歩いてください。窃盗や紛失が起きた場合、速やかにギルドへの連絡をお願いします。再発行には銀貨3枚かかりますので注意してくださいね」
受け取ったチトセ様は、元々お持ちだったカード入れにそれをしまいました。職員の方が興味深げに目を向けましたが、そこはプロの方、特に話題に乗せずに説明が続きます。
「物件の内覧をしてその場で決まるようでしたらジェルスが店舗登録もいたしますので、こちらにお戻りなさらなくてもけっこうです。その場合は後日職人紋だけ押印にいらしてください」
「では、まいりましょう」
私たちはケリィさんに見送られ、ジェルスさんの案内で長鉢荘へと移動しました。
商人ギルドが職人街の近くにあるので、長鉢荘も徒歩でそうかからない位置にありました。
まずふわりと鼻腔をくすぐったのは香ばしくやわらかなパンの香り。
東棟の角に入っているパン屋の香りが優しく周囲を包んでいました。
店舗を兼ねている建物は白灰色の石の壁とレンガ色に塗られた木製の屋根。二階の住居スペースは一階よりもやや小さめなので、店舗の真上に可愛らしいバルコニーが見えます。
横に長い建物を三つに区切っているので、等間隔に扉と大き目の窓が並んでいるのが面白い景色を生み出していました。
私たちが案内していただいたのは、東棟の北側です。
鍵を開けていただき中に入ると、そこは図面で確認した通り、カウンターのある小さな店舗スペースでした。
「あれ? 思ったより綺麗ですね。全然埃っぽくない……」
「東棟のパン屋の店主が管理人を兼ねておりまして、共有スペースと空き室は定期的に清掃が入っています」
なるほど、そのまま入居もできるというのはそういう事だったのですね。
奥へ入ると、一階部分の残り全てを使った作業スペースに出ました。
木製の階段と竈を兼ねたストーブが壁に設置されています。何の職人が入っても良いようにしているのでしょう、それ以外は何もなく、壁も床も石でしっかりと作られていました。床石の一部が変色しているのは、かつて小さな炉を入れた方がいらしたのかもしれません。
二階へ上がると、そこは寝室です。
一階とは違い、木の床と壁。店舗側にはバルコニーへ出る小さめの扉があり、反対側には井戸のある広場が見える窓。備え付けのベッドとクローゼットはそれぞれ二つ置かれています。
まさしく、最低限の生活ができる工房、といった風情でした。
一通り見たチトセ様は嬉しそうに歓声を上げられたのです。
「寝室がロマンすぎる! もっと年期入った壊れかけを想像してたよ。十分どころかむしろありがたいくらい!」
屋根裏は圧迫感があるので忌避される事が多いのですが、チトセ様は大変気に入ったご様子でした。
嬉しそうなチトセ様のお姿に、私も心が温かくなるのを感じます。
ああ、お仕えする方の嬉しそうなご様子をお傍で見られるというのは、こんなにも幸せなことだったのですね。
「アリアは何か気になるところはあった?」
「そうですね……念のため調理場と工房とを仕切る衝立のような物があったほうがよろしいかと思ったくらいでしょうか。あとは、チトセ様が御満足であるのなら問題ございません」
チトセ様は私の返答を聞くと、にっこり笑ってうんと頷かれました。
「ジェルスさん、ここに決めます!」
「ご契約、ありがとうございます」
そうと決まれば、必要な物を揃えなければなりません。調理器具や食器、椅子やテーブル、洗濯や掃除の道具も必要ですね。
今までは全て揃ったお屋敷に入ってばかりだったので、主人と一から物を揃えるというのは初めての経験です。恐らく、そのような経験ができるメイドはほとんどいないのではないでしょうか? 私はなんて幸せ者なのでしょう!
頭の中で算段を立てながら、私の心は踊っていたのでした。