目撃
悍ましい夜が来た。私はずっと、目覚めと呼ばれるあの曖昧模糊とした、定かには記憶に残らぬ時刻に於ては、セグクレヒト408と云う呼称で同定されている個体に師事して〈万界鏡〉による観測を続けていたのであるが、〈迫り来り包囲する恐怖〉がじわじわと光学的な闇を伴い、確定されたマクロな勢力となって地上に襲い掛かり、僅か数百年の間に、通常生命として認識される全ての事象にその敵対的で圧倒的な力を揮ってゆくのを見ているのは、目撃の歓楽自体を考慮に入れたとしても、甚だ苦痛を伴う体験であった。凄まじい寒気と悲鳴とを撒き散らし乍ら拡大するこの心騒がせられる光景にも、我が師であればその平静を妄りに掻き乱さるゝこと私より少ないのであろうと思うと、我が師と同程度の深度と高度を持ち乍らも、判別された形を予め消化しておくのが不完全であった為に、「知」と呼び得る程には我が全霊の感知するものを対自化する術には長けていない我が身の未熟さが、実にこの局面に於てはほとほと厭わしく、呪わしかった。〈万界鏡〉が映し出す事実上無際限の事象の煌めきに比すれば、高々人類発祥の地であると云うだけで某かの重要性を持ったに過ぎないこの地球と云う一惑星の衰退と孤立、そして閉塞の一連の推移など無にも等しいものであると云うことは、私も承知してはいた。実際、終わりの始まりのほんの一世紀前には、よもや斯くも重大な危難の可能性が地球に対してあり得ると正しく予想の範疇に収められていた人間は僅か百にも満たなかったのであるし、地球とは既に完全に接触を絶っていた諸惑星の人々の無数の思考にとっては、地球の暗黒化と云う事態は何等意義のある変化を齎しはしなかった。今正に闇に呑み込まれつつある地球上に於てでさえ、人間の進化上の知恵は悉くその忌わしい事態を正確に認識することには失敗し続けていたし、地球と云う惑星のエネルギー推移そのものは、まだ若干の変容してはいるがそれなりに多様な生態系を維持し得るだけの形を留めていたし、それに何よりこの宇宙に於ては、人間と云う存在そのものが、極くつまらないちっぽけな存在に過ぎないのであった。だがその広大なる宇宙に於て、私と云う存在の発現を可能にし、諸々の素晴らしい可能性の物理的な基盤を成していたところの肉体と云う名の粘土が、私にとって有意味な差異とは何であったか、また何でなくてはならないのかと、この絶対無為にして変幻能わざる、拡大された〈現在〉へと、その期待された不可能性を超えて執拗に囁き掛けて来るのであった。いや、ひょっとしたらそれもまた〈万界鏡〉の映し出した無数の光景のひとつで、偶々私の認識形態がそうした様式でその光景に適合しただけかも知れぬのではあるが、生憎とそれを判別する為の線的な記憶を、今の私は持たない。
飢渇と義務と云うふたつの必要が要求して来る、その一時的に最終的となるパターンに於て、実に途方も無く厖大な量になる多種多様な形が、私の認知許容限界を遙かに超えてすっかり飽和状態を作り出してしまった為に、半ば虚ろな殻と化した儘で、私は破滅の光景を凝然と望見し続けた。全ての色彩を塗り潰し、閉じ込め、圧し潰そうとする強大な闇の中で、無数の歓喜と栄光が爆竹の爆発か明け方の潮面の煌めきの様に何重もの眩い輝きとなって一瞬世界へと姿を現し、また何事も無かったかの様に消えて行き、そしてまた次の閃光がその空席を埋めていった。闇が地上を覆い尽くして直ぐの頃は、その反動か煌めきの数はそれまでよりぐっと多くなったが、二百年もしない内に、今度は逆に、それの半数以下にまで減少した。減少傾向はその後も一時的な回復を時折思い出した様に挟んではいたものの継続的に進行してゆき、やがては根の絶えた畑の様に疎らな状態が続いていったが、しかしそうしている間にも、その通底を流れる力強い愛と知性のリズムは、より根源的な、より普遍的な、より抽象度の高い万有の性質を求めて藻掻き、苦しみ、葛藤し、号泣しつつも、その探求の手を緩めようとはしなかった。色とりどりの星辰の精神があちこちで絶叫し、旋回し、邪悪な哄笑に対して美しい踊りを踊ることで対抗していたが、それらを映し出した外宇宙の冷やかな眼差しの遡及点は、宇宙的無関心の裡に沈黙を守り続けていた。数々の疑問が渦を巻き、驚嘆と失意が、絶望とヘウレカの感覚と目紛しく入れ替わり、恐るべきものを恐怖する幾つもの顔が、複雑な構築美をその入り乱れたパターンで表現していた。
突如、一瞬にしてそれらはひとつの、たったひとつの大きな眼差しへと変化し、私は恐怖しつつそれにのぼせ上がった。頭上で我々を睥睨していた真ッ赤な熱砂の塊の様な月がその階調を変え、有無を言わせぬ圧倒的な力で私に回答を迫って来た。私は口籠り、戸惑い乍らも必死になって、自分が未来に置き忘れて来たのは果たして何だったのであろうか思い出そうと試みた………。