恋心2
一日降り続いていた雪も、夕刻にはぴたりと止んだ。兵達がぱらぱらと本陣に戻りはじめていた。
だが、空が藍色から墨色に変わる時刻になっても、レナートは戻ってこなかった。
なにかあったのだろうか。
不吉な予感ばかりがオディーリアの頭をよぎる。
「やっぱり戦は勝ったって! でも戻ってきた兵達はレナート様のことはわからないって……」
情報を聞き出してきたクロエの報告に、オディーリアは肩を落とす。
勝利は嬉しいが、レナートが戻らないなら意味がない。
クロエは慌てたように、つけ足した。
「あっ、でもねでもね。大将の怪我とかの情報って普通はあっという間に広まるんだって。だから、なにも耳に入ってこないってのは無事の証だって、みんな言ってる!」
必死に励ましてくれるクロエにオディーリアは微笑んだ。
「そうよね……ありがとう」
「大丈夫よ! きっともう帰ってくるからさ」
クロエがそう言った瞬間に、前方の兵達がザワザワと騒ぎ出した。
「おっ、将軍だ! レナート将軍ばんざーい!ナルエフ軍ばんざーい!」
そんな声があちこちから聞こえる。兵達は長引いた戦の終わった安堵感と勝利の喜びで興奮気味だ。
「ほら、帰ってきた」
クロエはオディーリアに笑いかける。オディーリアはたまらず駆け出した。
「レナート!」
満面の笑みで彼の元に走ったが、マイトに肩を借りて歩く彼の青ざめた顔を見た瞬間、言葉を失った。
レナートはオディーリアに気がつき、ふっと口元を緩めた。が、その唇に色はなく、言葉は出ないようだった。
「ごめん、オデちゃん。説明は後で。怪我してるから、天幕に運ぶよ。アスラン、お湯と薬持ってきてね」
マイトがてきぱきと事を進めていく様子をオディーリアは呆然と見つめていた。
「命にかかわる怪我ではない……と言いたいところだけど、出血がひどくて体力の消耗が激しいから油断は禁物だね」
天幕内の清潔な寝台にレナートを寝かせたマイトが、オディーリアにそう説明してくれる。勢いのあった流れ矢が背中から貫通し、傷はかなりの深さだということだ。
「まぁでもわずかに急所は外してる。強運だったよね」
その言葉にオディーリアはようやく息をついた。油断は禁物だが、助かる可能性のほうが高いというところなのだろう。
「……運じゃないぞ。当たる寸前にほんの少し身体を反らした」
苦しそうな声でレナートが言った。
「ドヤるぐらいなら、完璧にかわしてくださいね。最後の最後で、なに油断してるんですか」
「いつになく厳しいな、マイトは」
「だって……レナート様の身体の傷
は、ほぼすべて僕がつけたものでしょう。一番深い傷が流れ矢ごときだなんて……これ以上ない屈辱です」
「そうか。それは……すまないな」
レナートの身体に数多ある傷は戦の最中ではなく、マイトとの稽古中についたものであるらしかった。
マイトは憎まれ口をたたいているが、その本心には主を守れなかった悔しさがあることにオディーリアは気がついていた。
「なんかさ、やっぱあのふたりあやしくない? 流れてる空気、ピンク色じゃない?」
オディーリアは美しい主従関係と見ていたが、クロエのフィルターを通すとまったく違うものになるらしかった。
「えーっと……喋れるくらい元気で、安心しました」
「え~オデちゃん、甘ーい! 心配して待ってた妻を差し置いて、若い男とイチャついてるのよ。もっと怒るべきよ」
「……オディーリアとはこの後たっぷり時間を取るから、問題ない」
レナートの言葉にオディーリアは首を振った。
「ご無事なら、それでいいんです。今夜はゆっくり休まれてください。私は邪魔にならぬようクロエの部屋に行きますから」
「ダメだ。そばにいろ」
「でも……」
「急に悪化するかも知れないだろう。そばについて、見ていてくれ」
オディーリアが戸惑っていると、マイトが言った。
「レナート様はイチャつきたいから言ってるんだろうけど、急激に悪くなることはたしかにあるから一緒にいてあげて。クロエじゃ余計心配だけど、オデちゃんの看病なら安心だし」
「はい。では……責任を持って看病します!」
「うん。あ、イチャついて無駄に体力使わせないでね」
「そんなことしません!」
オディーリアが叫ぶと、すかさずクロエが茶化す。
「え~しないの? 勝利の夜なのにもったいない」
「はい、はい。クロエはもう行くよ」
マイトに引きずられるようにして、クロエは出ていく。
天幕の中で、ようやくレナートとオディーリアはふたりきりになった。




