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欠落の翡翠  作者: 大西洋子
1/1

翡翠

 

 

 イトはムラ長の邸から、少し離れた薪置き場の陰へと連れ出された。

「隠れて」

 イトを連れ出したその娘が囁く。ほどなくして先程までイト達がいたムラ長の邸から大男が現れ、辺りを見回した。その大男は耳右を押さえながら、誰かの名を叫びながらその者を罵る。

 と、そんな大男の後ろからしがみついた影があった。

「お母……」

 イトは思わず声をあげかけ、娘が慌ててその口を手を塞いだ。

「離せ!」

「離しません。それに、あの御方は……」

 娘の唇がゆがみ、眉が怒りの形に変貌していく。

「……いい? あなたは、これから何が起ころうとも、ムラの信用できる大人が来るまで、ここを動いては駄目よ。声も出してもいけないわ」

 イトはその言葉に頷き、娘は隠れていた薪置き場から足早に去っていく。

 イトはその人に言われた通り、小さな身体をさらに小さくして息を殺す。母と大男の争う声が続いている。と、イトの母の後ろから若い男が現れるなり、イトの母の頭に手に持っていた何かを振り下ろした。

(あっ……)

 イトは目を閉じた。それとほぼ同時にイトの額に、小さな塊が当たった。

 その塊が当たった瞬間、イトの視覚が激しく上下し、ゴッという鈍い音と共に、生暖かくぬるりとした感触を感じた。

 イトはさらに目を固く閉じる。だが、どうしたことか。激しく上下に動く視覚が、数歩先で起こっている出来事をまざまざと見せつけてくる。

「誰か、誰か!」

 だが、イトの母の助けを求める叫びは、ムラの中心からあがる歓声にかき消されてしまう。    

 と……

 ピィィィーー……

 鋭く甲高い音が、薪置き場の端から響き渡り、激しく上下するイトの視覚がピタリと止まった。

(お母さん、お母さん!)

 イトの目を閉じても見える視覚は、母の額から頭頂部にかけて、赤く滲んでいる様を捉えた。

「くそっ!」

「離せと言っとるだろが!」

 発せられた大男と若い男の声は、ムラの誰の声でもなかった。

 ふわりとイトの視線が大きく持ち上がると、イトの母の額に向かって視覚が急降下し、鈍い音と同時に何かが潰れる音がして、イトの視野が真っ赤に染まった。

(いやっ……)

 真っ赤に染まった視覚の僅かな隙間から、大男の脚にしがみついていたイトの母の身体が、地面に崩れ落ちるのが見えた。

(あぁ……)

 ピィィィーー……

 イトの近くで、再び甲高い音が鳴り響いた。イトの耳はムラの中心で沸き上がる歓声が、少しずつざわめきに変わっていくのを捉えた。

「姫は諦めろ。逃げるぞ」

 イトの視覚が再び動きだした。視覚はムラの外の生い茂る森に向かって、駆け抜ける風のように動いている。

 と、イトの視覚が動きとは逆の方を向いた。視覚は髪の毛を長く伸ばし、乱れた服装をした娘が追いかけてくる様を捉えた。

(この人は、白の姫様!)

 白の姫は走りながら、首飾りの一部を唇に当て、甲高い音を鳴らしている。

 と、突如、イトの視覚がグッと上にあがった。

「おい、それを捨てるな! こっちによこせ!」

 イトは緩やかな下降と共に、目を閉じても見える視覚は闇に包まれた。

 トトトト…… ピィィィーー…… ピィィィーー……

 イトが隠れている場所の近くを、足音と甲高い音が通りすぎていく。やがて、その音は遠くなっていった。

 それからどのくらい時間がたっただろう。複数の足音共にイトの母の名を呼ぶ声がした。

「ヤナ様……」

 ヤナはムラの祈祷師で、このムラ長を始め、皆から信頼を寄せている人物だ。イトはヤナの呼び掛けに答えながら、薪置き場の陰から、よろよろと抜け出した。

 そしてイトは見てしまった。地面に倒れ、その額からじわじわと血を流しているイトの母の姿を……

「お母さん、お母さん…… ああっ!」


 それは、今から五年前、イトが七つだった時の出来事。

 

 

 

 

 

 

 





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