第十八話 「懐かしい匂いの正体は、愛の籠った朝食です」
暑苦しさとお腹にのしかかる圧迫感で目を覚ました僕。
そんな僕の目の前に一番に飛び込んできたのは、かける君の太陽のような眩しい笑顔と明るい挨拶だった。
「おはよう、おにぃさん!」
「お、おはよう」
毎日、こんな笑顔に起こしてもらえてる先生が羨ましい。
カーテンの隙間から日差しが差し込んでいるのを確認して、時計に目をやると針は丁度六時半を指している。
今日は普通の平日。
ここから学校まで何分かかるか分からないし、勿論経路も分からないのでスマホのマップで調べながらだと迷う可能性もある。
そろそろ起きた方がいいだろう。
それに、泊めて貰ったせめてものお礼に朝食の用意ぐらいはしたい。
僕に跨るかける君を降ろして、隣で眠る先生を起こさない様慎重にベッドから出た僕は、かける君と手を繋いで一階へと降りた。
昨日は、あまりよく見ていなかったが先生の家のキッチンはリビングが同室になっている。
僕の家と同じ作りだから、料理をしながらでも家族の様子が見れる。
きっと先生は料理をしながら、かける君が宿題をしている様子を見ていたりするんだろうか……。
「うん、いい」
「何がいいの?」
「おふッ!」
危ない、また心の声が漏れてしまった。
腕まくりをして、壁に掛けられたエプロンを付ける。
いつも兄さんがご飯を作ってくれるから、エプロンを付ける何て小学生の頃以来だ。
「かける君は、何時もご飯とパンどっち?」
「パン!パンー!」
「了解!」
勝手にキッチンや食材を使ってもいいのだろうか。
分からないが怒られた時は、スライディング土下座でも何でもするとしよう。
冷蔵庫を開けて中を確認すると、色々な食材が沢山買いこまれている。
だが、こんなに食材があっても僕は兄さんの様にスペックが高い訳では無い。
出来る範囲は、具体的に言うと中学生の家庭科の授業レベルだ。
「簡単な物しか作れないんだけど……良いかな?」
「いいよー!おにぃさんが作るお料理楽しみー!」
え、可愛い。
スクランブルエッグ、ベーコン、サラダ、コーンスープ、パン。
お皿に盛りつけてると豪華な朝食に見えるけど、スクランブルエッグとベーコンは焼いただけだし、パンはオーブン、サラダは野菜をちぎっただけ、コーンスープはインスタント。
うん、これは胸を張って言える。
中学の家庭科の授業よりもレベルが低い。
そんな事を考えている途中で僕はある物を見つけてしまった。
それは、洗浄機の中に入ったお弁当箱だ。
「かける君、先生って毎日お弁当作ってるのかな?」
「うん!お昼ごはん、いつもお弁当みたいだよ!」
「そっか………」
ここは作ってあげるべきか?
いや、流石にスペックの無い人間が人様の家で、しかもお弁当を作る何て難易度マックスのクエストそのものじゃないか。
止めておこう。
自ら進んで危険な窮地に踏み込む必要何てない。
先生、今日は購買に売ってるパンで我慢して下さい。
「もしかして、おにぃちゃんのお弁当作ってあげるの?」
「え?あ、いや………」
「作ってあげるの?」
キラキラした目で前のめりに僕を見つめるかける君。
こ、この笑顔は………反則です。
こんなキラキラした眼差しで見られたら、断るに断れないじゃないか。
「………作ります。作らせて頂きます」
「わぁい!にぃちゃん良いなー!」
「いや、良いかどうか分かんないよ。本当に。かける君は朝ご飯を食べてて」
出来上がった朝食はかける君に並べて貰い、僕は先生のお弁当作りに取り掛かる。
と言っても何を作ればいいんだ。
てか、先生は何が好きで何が嫌いなんだ。
分からない。
ゲームキャラ情報を持ってしても、ハムサンドが好きなことしか分からない。
これだと、一品しか無理じゃないか。
取り敢えずハムサンドは作るとして。
他は………。
リビングに置いたままの鞄の中からスマホを出し、お弁当定番メニューを調べる。
たまご焼き、ウインナー、スパゲティー、野菜炒めでイイかな?
これなら作れそうだ。
時計を確認するともう七時過ぎている。
急いで作らないと!
「かける君、ご飯食べ終わったら先生起してきてくれるかな?」
「うん、わかった!」
よし、頑張れ穆。
先生のことは、かける君に任せて僕はこの最高難易度のクエストをクリアしようではないか!
####
昔の夢を見た。
僕が上京して大学に入学当日。
登録されていない番号から電話が掛かってきた。
『もしもし』
『海ヶ丘病院なのですが、前野拓海さんのお電話でお間違いないですか?』
『あ、はい。そうですけど』
『実は………』
その電話で告げられたのは、両親が事故にあい重症だという報告だった。
頭が真っ白になり、周りの音が遠のく中でハッキリと聞こえてきたの弟の泣き声。
何度も思い出す。くり返す、同じ夢を。
「……ぃちゃん‥兄ちゃん!」
「………ッハ!」
俺に跨り笑顔を見せる弟の頬に触れながら確かめる。
ちゃんと近くにある。この温もりが。
腹にかかった圧迫感と小高い声でいつも通り目を覚ました僕は、隣に眠っていた凛の姿が無いことに気が付いた。
帰ったのだろうか…‥‥…。
「にぃちゃん、おにぃさんなら下にいるよ!」
「え、あぁ。そうか」
体を起こし、眼鏡をかけ、時計を見ると針は七時半を指していた。
こんなに熟睡したのは何時ぶりだろうか。
自分の腕の中に残っている凛の温もりを思い出す。
暖かかったな………。
「かける、腹減ったよな。すぐに準備するからな」
「もう食べたよー!おにぃさんが作ってくれた!」
「お兄さん?……凛が?」
「うん!にぃちゃんの分もあるよ!早く行こ!」
ベッドに座る僕の手を引っ張り下に行こうと促すかける。
こんな嬉しそうな顔は、久しぶりに見たな。
「そんな焦らなくても行くよ」
階段を降りて一階へ着いた僕は、リビングの前で足を止めた。
「あ、あれ?ちょっと焦げたかな?え、形悪くない?」
腕まくりをして、キッチンで慌ただしく料理をしている凛。
誰かが料理している姿は新鮮だな。
「おにぃさん、今にぃちゃんのお弁当作ってるんだよ!」
「弁当を?どうして……」
「ぼくがにぃちゃんは、いつもお弁当作ってるよ!って教えてあげたんだよ!」
「そっか」
僕の手を放し、料理をする凛の方へと歩み寄っていく。
食卓に並んでいる一人分の食事。
自分じゃない誰かが作ってくれた食事か……。
「おにぃさん、お弁当できた?」
「な、なんとか……。あ、先生!おはようございます!」
ボーッと扉の前で佇む僕の姿を見つけた凛がニコリと笑った。
その笑顔を前にして僕の心臓がドキンッと音をたてた。
なんだ、これ……。
「勝手にキッチンや食材使っちゃたんですけど、良かったですか?」
「あ、あぁ。大丈夫だよ」
「簡単なのしか作れなかったんですけど、良かったら食べて下さい!」
「…‥‥あぁ」
「先生?」
首を傾げ顔を覗き込んでくる凛。
近くで見ると綺麗な顔してるな……。ん?頬に何か付いてる。
そっと手を伸ばし、凛の頬に触れる
男なのに案外柔らかいんだな。
唇も柔らかそうだ‥‥…‥‥。
「せ、先生?」
「え?あ………」
顔を赤くして僕を見上げる凛の呼びかけでハッとした。
僕は何を考えているんだ。
僕には既に心惹かれている子が居る。
なのに、何だこの鳴りやまない心臓の音は。
「さ、先に顔を洗って来る」
「あ、はい」
######
背を向け洗面所へと姿を消した先生を見送り、僕は両手で熱くなる自分の顔を隠した。
ドクンドクンと大きな音をたてる心臓がうるさい。
寝起きというのもあるのだろうが、童顔だからと言って舐めていた。
大人の寝起きの顔は、色気が格段に違う。
「おにぃさん、大丈夫?」
「う、うん!大丈夫、大丈夫!かける君もそろそろ学校の支度した方が良いんじゃないかな?僕も今から準備するし」
「うん!あれ?でも、おにぃさんごはんは?」
「あ……いつも朝ご飯は食べないんだよねー」
「そうなの?」
嘘ですと言いたい。
こんな純粋かつ真っすぐな眼差しで見られたら、嘘だと言ってしまいたい。
だが、人様のキッチンと食材を勝手に使った挙句、自分の分の朝食まで用意する何て僕にはそんな厚かましいこと流石に出来ない。
学校に向かう途中にでもコンビニに寄ってパンでも買おう。
あ、ついでに昼食も買わないと。
顔を洗い終わった先生は眼鏡からコンタクトへと変わり、そのまま僕の作った朝食を黙々と食べ始めた。
先生と入れ違いで、僕とかける君が洗面所を使い学校の支度をする。
歯磨きをして顔を洗い僕は昨日脱いだ制服へと着替える。
かける君は僕より先に出て、自分の部屋に戻り着替えと持ち物の準備をしに行った。
寝ぐせを直し身だしなみを整えた僕は、脱いだ服を持ってリビングに戻った。
「凛、何で脱いだ服持ってるんだよ」
「あ、これ洗って返そうと思って」
「いいよ。洗濯機の中に入れといてくれたら」
「分かりました。ありがとうございます」
言われた通り洗濯機の中に服を入れた後、僕はスマホで時間を確かめた。
七時四十五分。
そろそろ出ないと不味いかな。
「先生、色々ありがとうございました。お弁当キッチンに置いてるので良かったら食べて下さい!あんまり自信はないですけど…‥‥…」
「あれ?朝ご飯は?」
「えっと、途中で買って学校で食べようかと……」
「自分の分は作らなかったのか?」
「まぁ、はい。自分の家じゃないので」
「ご馳走様」と丁寧に手を合わせた先生は、僕の頭をポンと手をのせた。
なんだ?
「向かう所は一緒だし待っててくれるか?僕の車で行こう」
「いやいや、そこまでお世話になる訳には!」
「遠慮はなし。弁当もありがとな」
ゲームの中の推しキャラである前野拓海は、童顔で優しくて無邪気な笑顔が特徴で、千紘の元家庭教師で攻略キャラ。
なのに、今回のお泊りで見た前野先生は、弟持ちで元ヤンで眼鏡かけてて、大人の色気があって、何かを抱えてるゲームとは違う前野拓海だ。
最近ストーリー通りの様で少し違ってきている。
先生が部屋に戻って準備している途中で、ランドセルを背負って駆け下りて来たかける君が「そろそろ行ってくるね!」と言ってリビングに顔を出した。
「忘れ物はない?」
「うん!大丈夫!」
僕はかける君を見送ろうと玄関へと向かった。
座って靴を履いたかける君は、立ち上がるとニコッと笑顔を見せた。
「行ってきます、おにぃさん!」
「いってらっしゃい、かける君!」
手を振って玄関を出たかける君を見送った後、僕はもう一度リビングに戻った。
そして、少しして先生がいつも通りスーツ姿で降りてきて、車のキーを見せながら「お待たせ。それじゃ行こうか」と学校で見せる優しい笑顔で言った。
先生には何かスイッチがあるのだろうか。
そのまま先生の車に乗り込み学校へと向かう最中、話す内容もなく僕は外を見て過ごした。
何度か運転する先生の横顔を拝見させて頂いたが、変わらず美しかったので心の中の一眼レフに納めさせて貰い、朝から僕は胸一杯だ。
途中でコンビニにも寄ってくれ、朝ご飯と昼食を適当に買った。
買ったと言っても何故か用もないはずの先生も店の中に入ってきて、僕がお会計する時に颯爽と現れて代金を全て支払ってくれるという大人かつスマートな対応をしてくれた。
僕も彼女が出来たら、何事もあんな風にスマートにしたい。
そう心の中で思った。まぁ、実際できるかは別問題だ。
だってタイミング分かんないし、下手して失敗したらカッコ悪い処の騒ぎじゃない。
それに、やっぱりこういう事はイケメンがやるから価値がある。
そんなことを考えながらコンビニを出た僕は、また沈黙の続く車内で外を眺めて学校に到着するのを、ただ大人しく待っていた。
#####
八時十五分。
教員用の駐車場に先生が車を止め、僕達はいつもの校舎へと二人で向かった。
今日は、何時もとは違う意味の注目を浴びてしまったが仕方ない。
そりゃ、誰でも一度は乗りたいであろうイケメン新任教師の車に冴えない男子高校生が一番に乗ったとなると女子の嫉妬は計り知れないだろう。
現に今も、校舎中の女子生徒の視線が僕へとフォークの様に突き刺さる。
痛い、痛いよ。
職員室に向かう先生と自分の教室へと向かう僕は方向が違う為、途中でお別れをし鋭い視線の中を僕は一人歩いた。
今のこの僕のポジションが、もし他の女子生徒だったらどうなっていたんだろう。
女の争いというモノが始まっていたんだろうか。
あぁ、考えただけで恐ろしい。
兎に角、月日が経てばこの話題も静まるだろう。
それまでは我慢だな。
自分の教室に何時も通り「おはよー!」と言いながら入っていくと、クラスメイトだけは全く気にしていない様子だった。
それだけでも救いだ。
何て思いながら、先に来ていた千紘とホームルームが始まる時間まで話をして僕の一日は幕を開けたのだった。




