第十七話 「迷子の子猫からのお礼は、推しとのお泊り切符のようです」
六限目までの授業が終わり、今は部活中。
今日の僕は、いつもよりも二倍・三倍やる気に満ち溢れている。
「まずは、シャトルラン十五本」
「うぉぉぉおお!」
「次はフリースロー十本」
「うぉぉおおお!!」
「次はワンonワン。負けた方はシャトルラン二本追加」
「うぉぉぉおおお!」
兄さんが出す指示通りのメニューをこなす。
いつもの僕なら、中盤あたりで根を上げているが今日はこの後楽しみがある。
そう考えたら、いつのも鬼メニュー何て楽しみという名のディナーを、より美味しくするスパイスにしかならないのだ。
「今日の凛、いつにも増して可笑しいよね兄貴」
「あぁ。どうしたんだ?何か知ってるか裕斗」
「いや、俺も分からないよ。本当にどうしたんだろう……」
三人が心配そうな目でこちらを見ていることにも気づかず、僕は追加された分のシャトルランを気合の入る雄たけびを上げながら走っていた。
勿論、部活が終わった後の後片付けも誰よりも動いて、普通なら三十分かかる所を今日は十五分で終わるというミラクルまで起こしてしまったのだ。
「それじゃ皆、今日の部活は此処まで。帰り道、気を付けて帰るようね」
「「はいッ!ありがとうございました!」」
兄さんの声掛けて部活が終了。
僕は、走って更衣室へと行き部活着を鞄の中に詰め込みながらバッシュを脱ぎ、急いで制服に着替えて一番に更衣室を出た。
更衣室を飛び出した時、丁度兄さんと秋兄に会い「今日は帰り遅くなるから!夜ご飯いらない!」とだけ言って横を走り去った。
後ろから呼ぶ声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
そして、僕は全速力である場所へと向かったのだった。
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「やってきました、映画館!」
五限目後の休み時間、買い物がてら他に行く所を考えていると、たまたま映画館の上映スケジュールを押してしまい、目に着いた恋愛映画が僕の大好きな女優さんが出ているものだと知ったので見に来たのだ。
これは見るしかない!と思い最終上映時間には間に合わせようと全速力で走ってきたのだが、冷静になって考えたら男一人で恋愛ものの映画を見るのって割と目立つのでは?
だって、さっきから周りを歩く女の人とかにチラチラ見られてる気もするし………。
どうしよう、今回は諦めて別の映画を見ることにする?
チケット売り場の前で一人悩んでいると、
「え?これじゃ足りないの?」
「うん、小学生は九百円するから……親御さんとかいる?」
「いない。今日一人で来たから」
「そう……どうしようかしら……」
目の前のチケット売り場で子供と店員さんが揉めているのを発見した。
あの様子だとチケットが買えないのかな?
僕も映画を見るなら早くチケット買って席に行かないとだけど……。
気づいてしまった以上放っておく事もできず、僕は困り顔の店員さんと今にも泣きだしそうな様子の子供の元へと向かった。
「あの、どうしたんですか?」
「あ、お客様お待たせしてしまい申し訳ありません。今、実は……」
説明しずらそうに、チケット売り場前で俯く男の子へと視線を送る店員さん。
男の子は、涙を拭いながらただ黙って俯いている。
うーん、どうせ一人で恋愛映画なんて見るメンタル僕には無いし人助けでもして帰ろうかな?
「おーい、僕。良い物あげるよ」
膝をついて男の子と同じ目線になるように屈み、鞄の中から棒付きキャンディーを取り出し、笑顔で男の子へと差し出す。
すると、男の子は俯いていた顔を少し上げ、僕とキャンディーを交互に何度か見た後「ありがとう」と言って受け取ってくれた。
黒い髪にパッチリ二重の茶色い丸い目、優しい印象を与える笑顔。
美少年だ。
小学生でこの顔立ちは将来期待できる。
それにしても、少し誰かに似ている気がするんだけど……誰だろ?
「僕、何があったのかお兄さんに話してくれる?」
頭を撫でながら、出来るだけ優しく問いかけると男の子はホッとしたのか涙を流しながら口を開いた。
「………僕、えいが見ようと思って……でも………おかねない…から……見れないって……」
やっぱりそうだったか。
でも、小学生が一人でこんな時間に映画って………。
もう夜の八時。一人で出歩くには流石に危ない時間だ。
首にぶら下げているキャラクターのお財布の中身を僕に見せながら泣く男の子。
少しの小銭が入っているのを見ると、自分のお小遣いを持って来たんだろうか。
「その中身は、君のお小遣い?」
「……うん……」
こんな小さな子が自分のお小遣いを貯めて、見たい映画を一人で見に来るなんて。
どんな感動映画よりも、今の状況の方が泣けてくるぜ。
「よし!君が見たい映画ってどれ?」
「え?あ、あれ……」
男の子が遠慮うがち指したのは、如何にも小学生が見そうなヒーローアニメの映画だった。
きっと学校で話題になってるんだろうな。
僕も小学生の時は、母さんや兄さんに駄々こねて連れて行ってもらってたもんな。
「よし、ならお兄さんが買ってあげるよ」
「え?!だ、駄目だよ!」
「ん?どうして?」
「知らない人におごってもらっちゃダメって、兄ちゃんが……」
お兄さん、貴方は素晴らしい教育をなさっている。
まぁ、この時間に出歩かせるのは如何なものかと思うが。
「僕の名前は霧島凛。近くの星城高校に通う二年生です。君は?」
「ぼくは……かける……」
「かける君か、宜しくね!じゃこれで僕達は知らない人じゃ無くなった訳だ!そこで、ちょっとお兄さんのお願い聞いてくれない?」
「おねがい…?」
「お兄さんも実はこの映画見たかったんだけど、ちょっと一人で見るのは恥ずかしいと思っててさ……良かったら一緒に見てくれない?」
顔の前で手を合わせて小さく頭を下げてお願いすると、かける君は泣いていた目を擦る「うん!いいよ!」と元気のいい声で了承してくれた。
弟が居たらこんな感じなのかな?
いつも兄さんと居て、僕の方が下だから何だか新鮮な感じだ。
「それじゃ、お姉さんチケット二枚お願いします」
「あ、はい!かしこまりました!」
お姉さんにお礼を言われながらチケット代を払い、僕ははぐれない様かける君と手を繋いで映画館へと向かった。
向かう途中、映画とコラボしているポップコーンをかける君が欲しそうに見ていたので、僕はそれも買ってあげ、二人仲良く上映されるスクリーン室へと入った。
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「おもしろかった!」
「そうだな!ヒーローものとか久しぶりに見たけど、面白かったわー!特に登場シーンがカッコよかった!」
「だよねだよね!」
映画が終わってすぐ、かける君がお腹を鳴らしたので、ショッピングモール内にあるファミレスに入り少し遅めの夕食を食べながら映画の感想を語っていた。
「おにぃさん、今日はありがとう」
「いいよいいよ、僕も楽しかったし気にしないで」
「うん……」
「どうしたの?お腹いっぱい?」
さっきまで、美味しそうにハンバーグを食べていたかける君が突然俯いた。
それにモジモジと落ち着かない様子だ。
どうしたんだろう?ハンバーグ美味しくなかったのかな?
それとも、ファミレスが気に入らなかった?!
「ぼく、兄ちゃんに怒られるよね……」
「あぁ‥……」
なるほど。ご飯も食べて冷静になったら、次はそっちが心配になった訳だ。
本当に小学生の頃の僕を見ているみたいだ。
まぁ、こんなに美少年ではなかったけど。
「此処から帰り道は分かる?」
「うん」
「それじゃ、僕もお家まで一緒に行ってお兄さんに謝ってあげるよ」
「え?でも………」
「最初から送って行くつもりだったし、気にしなくていいよ!今は気にせず、そのハンバーグを食べなさい!」
頭をクシャクシャと撫でて笑ってあげると、かける君は安堵の表情を浮かべ美味しそうにハンバーグを食べ進めた。
そして、ファミレスを出た後、かける君の案内でかける君家へと向かった。
かける君は僕の事を凄く信用してくれたようで、向かっている最中色々な話を聞かせてくれた。
お母さんとお父さんは、かける君が小さい時に亡くなった様で今までずっとお兄さんと二人だけで暮らしていること、お兄さんは学校の先生をしていること、今日映画を見に来たのは学校で見ていないのが自分だけだったからクラスメイトの話に入りたくて友達と遊んだ後慌てて来たこと、などなど。
歩きながら明るく話してはくれるけど、自分よりも小さな子がこんなに苦労している話を聞いて僕は心が痛んだ。
一緒に暮らしているお兄さんもきっと一人でかける君の面倒を見るのは大変だろう。
僕には、想像すらできない程に。
「あ、おにぃさんここ!」
「お!」
目の前には立派な一軒家。
庭も丁寧に手入れされてるし、花壇には綺麗な花が咲いている。
お兄さん、相当しっかりしてる人なんだろうな。
「よし。それじゃ、かける君。準備はいい?」
「う、うん」
僕がピーンポーンとインターホンを押し、かける君が「ただいま」と扉を開けながら小さな声で言うと、中から凄い音を立てながら、一人の男の人が着崩れたスーツ姿で走ってきた。
かける君と僕は二人揃って「ヒィッ!」と声を上げ、静かに扉を閉めた。
「か、かける君。今のは……」
「た、たぶん兄ちゃんだとおもう……?」
もう一度開けてみようと僕がドアノブを握ると同時に、勢いよく中から開かれ扉はそのまま僕の顔面へとクリーンヒット。
そんな僕はそっちのけで、中から飛び出してきた男の人は「かける!」と声を上げ、かける君を強く抱きしめた。
この様子からするに凄く心配したんだろうな。
そりゃ、仕事から帰ってきたら荷物だけあって弟が居ないとなると焦るよな。
「かける!こんな時間まで一体何処に行ってた!」
「えいがかん……」
「映画館?!こんな時間に小学生が一人で何考えてんだ!」
「ひとりじゃ………ない……」
「一人じゃない?何言って……え?」
かける君が扉に顔をぶつけ転がる僕を指さした。
切羽詰まった顔でこちらを見たお兄さんは、目を見開いて「霧島君?」と小さく呟いた。
どうしてこの人は僕の名前を知っているんだ。
ていうか、ぶつけた顔が痛い。
動かないお兄さんの腕から抜け出したかける君は転がる僕に「大丈夫?」と声を掛けてくれる。
お兄さん……取り敢えずそのガン見するの止めて下さい。
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我に返ったお兄さんに「取り敢えず上がって下さい」と家の中へと促され、僕は今綺麗に片付けられたリングのソファーでかける君と座っている。
「かける君、僕はそろそろお暇したいんだけど……」
「なんで?ゆっくりして!」
かける君、僕も普通の状況なら待たせてもらってたんだけど、君のお兄さんは確実に僕の担任であり、推しカプの前野先生だった。
さっきのゲームで見ていた先生とは全く違う喋り方と姿に僕の思考はシンプルに追いついていない。
「えっと……待たせてごめんね、霧島君」
「いえいえ!お疲れ様です!」
スーツからパーカーに着替え眼鏡をかけた前野先生はお茶を持ちながら気まずそうな面持ちで僕の前に姿を現した。私服をカッコよく着こなしているのはゲームで見てたけど、こんな緩い恰好は初めて見た。
イケメンだからどんな格好でも似合っているが、凄く複雑な気持ちだ。
ま、久しぶりにご登場の心の中の一眼レフカメラではしっかり撮らせて頂きます。
「まずは、かけるが迷惑をかけてごめんね。それと色々とありがとう」
「いえいえ!僕もかける君と凄く楽しい時間を過ごさせてもらったので!全然気にしないで下さい!」
「えいがとかポップコーンとかごはんとか、おにぃさんいろいろしてくれたー!」
「え………?」
かける君楽しんでもらえたのは良かったけど、今は要らないこと言わないでー!
僕、早く此処から出たいからお願いだよ!
「いくらかかった?!払う!」
「いえいえ!本当に大丈夫です!ほんっっとうに大丈夫なので落ち着いて下さい!」
「いや、そういう訳には……!!」
「マジで大丈夫です!」
ゲームの様なスマートな大人な感じからかけ離れた今の姿に僕は唖然としてしまう。
それに……いつもの優しい口調の前野先生から発せられる荒っぽい言葉使いは……一体………。
「一つだけいいですか」
「どうした?」
「本当に……前野先生ですよね?」
「あぁ……」
ラフな格好をしていても見た目のイケメンさが変わった訳ではないので、前野先生ご本人であることは分かるのだが、やっぱり話し方のギャップが衝撃的過ぎて今でも信じることができない。
「いつもと話し方が………」
「えっと……普段は学校通りの話方なんだが、弟の前だと流石に……」
「どういうことですか?」
チラリとかける君に目をやった後「少し待ってて」と言って前野先生は部屋を出て行った。
僕の隣では首をコクコクさせながら、寝かかっているかける君。
時計を見ると、もう十一時半を過ぎている。
流石に帰ったら僕も怒られるな……。
今はスマホを見るのも怖いので、何も考えないことにしよう。
そして少しして戻ってきた前野先生は、手に一冊のアルバム(?)のような物を持っていた。
中をペラペラと捲った先生は、複雑な表情であるページを僕に見せてきた。
そこには、学ランを着て髪は茶髪に染めた如何にもヤンキーと思われる人物の写真があった。
だが、流石前野先生の知り合いだ。
この前、僕に絡んできたモブヤンキーとは顔面偏差値が違いすぎる。
「凄いカッコいい人ですね。この人がどうかしたんですか?」
「……これ僕なんだ」
「あぁ、なるほど……はい?」
「この写真に写ってるヤンキー、昔の僕なんだ」
え、ちょっと衝撃的過ぎて頭が本当についていかない。
どうなっているんだ。
ゲームの中では、前野先生に弟が居た事もさることながら、元ヤンであったことなんて記載されてないし、ましてやキャラクター設定にも含まれていなかった。
なのに、何だ。
さっきから、次々に表ざたになるこの衝撃的事実たちは。
っていうか、前野先生が元ヤン?
僕の推しカプの片割れが元ヤンだって?!
「それって、新しいギャグとかですかね?」
「いや、事実だよ」
神様、これは一体どういうことですか。
何かが可笑しい。
僕の知っているゲームの世界とは、少しだけズレてきている気がする。
ヤバイ、頭を抱えそうだ。
だが、頭を抱える前にさっきから心配そうな面持ちで僕を見上げる前野先生に何か声をかけないと。
今の僕には考えて話す余裕なんてない。
此処は思ったことを言うしかない。
「正直驚きましたけど、別に良いんじゃないですか?」
「え?」
「前野先生が元ヤンでも、先生は先生なりに変わろうと努力して今がある訳ですし、今日かける君と過ごして先生に凄く大切に育てらてるんだって感じましたし、何て言うか……上手く言えないんですけど、そんな不安そうな顔するほど、気にすることじゃないと思いますよ」
そうだ。
確かに色々と予想外ではあったが、前野先生の過去がどうであれ今が大事!
僕の推しカプの片割れの優しい所や根本的な部分が全て違ったわけではないのだから問題はない。
そう、ポジティブに考えれば僕はゲームでは決して知ることの出来なかったシークレットゾーンをこの目で見る事が出来たのだから、これ程特別な事はないじゃないか!
「そっか、君はやっぱり優しいね」
「そうですか?普通だと思いますけど」
「うん、その普通を大事に出来ている君は本当に優しいよ。かけるの事もそうだけど、今日は色々ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ色々とご馳走様です!」
「ご馳走様?」
「あ、こっちの話です。お気になさらず……」
ついつい心の声が漏れてしまった。
そりゃ、寝落ちしてしまったかける君を抱っこして優しい笑顔を向けている前野先生の今の光景はお礼を言うしか無いに決まっているじゃないか。
何て美しい光景だろうか。
此処まで綺麗な絵面はなかなかお目にかかれない。
まだまだ、この美しい光景を眺めていたいが僕の兄が家で激怒している姿が脳裏にチラつき始めたので僕は、そろそろお暇させてもらうとしよう。
「こんな遅い時間までお邪魔してすみませんでした。僕はそろそろ帰ります」
「あ、もうそんな時間か。でも、流石にお礼をしないままなのも……」
かける君を抱いたまま、少し難しい顔を見せた前野先生は「ちょっと待っててくれる?」と言って、眠っているかける君と共に、また部屋を出て行った。
一体どうしたんだ。
少ししてスマホを片手に持って戻ってきた前野先生は、何処か楽しそうな顔をしていた。
この数分の間に一体何があったんだ。
凄いニコニコしてるじゃないか。
「霧島君、お家の番号教えてくれる?」
「え?家ですか?」
「うん」
疑問に思いながらも、スマホで家の番号を開き先生に見せると「ありがとう」と言って、次は僕のスマホも持って部屋を出て行った。
え、この、部屋に一人残しのループは一体なに?
「ごめんね、お待たせ」
「あ、いえ………」
鞄を持って帰る準備バッチリの僕は、前野先生からスマホを受け取り頭を下げた。
「本当にお邪魔しました。それじゃ失礼します」
「ちょっと待って」
さっきと同じニコニコ笑顔のまま僕の腕を掴んだ先生は、僕の手から鞄を取り、もう一度ソファーへと
促してきた。
いや、本当にそろそろ帰らないと兄さん怒る処の騒ぎじゃなくなるんですが。
「先生……」
「さっき、凛のお兄さんに電話して今日は家に泊めるって言っといたから」
「え?泊まり?てか、名前‥‥‥‥…え?」
また突然の出来事だ。
今日は僕を驚かせる為の日なのか。
「弟が世話かけて何の礼もしないなんて僕の気が済まないから」
「本当にお礼何ていいですよ。てか、話し方が……」
「凛がさっき”別に良い”って言っただろ?だから、弟の前と同じで楽に話すことにした」
「まぁ、言いましたけど…‥‥…」
急に僕に対して気を許しすぎじゃないですか?
てか、千紘と親密度を高めて欲しいのに、これだと何だか僕との親密度が上がっている気が………。
そうして詳しい話も無いまま、僕はそのまま風呂場へと案内され、訳も分からないままシャワーを浴び先生が用意してくれた少し大きめの服に着替えてお風呂場を出ると、リビングで待っていた先生に腕を引かれ寝室へと連れて行かれた。
その一連の流れが、あまりにもスマートかつ速やかで僕は抵抗するタイミングも無く気が付けば先生と同じベッドの中。
今、僕の隣には無防備に寝息をたてて眠る前野先生がいる。
「え、僕何してんの」
僕の推しカプは前野×千紘だ。
ということは、その流れからいけば僕が攻略キャラの中で一番推しているのは前野先生ということになる。
そして今、その推しと同じベッドで横になっているこの状況。
皆さん、冷静で居られると思いますか?
断言しましょう、無理です。
しかも、少し話を遡って考えてみると、今僕が身に着けている服から下着、それら全てが今隣で眠る前野拓海の物であるという事実。
今にも発狂してしまいそうな、この状況。
「眠れない。こんな状況でどうやって眠れっていうんだよ」
勝手に泊まる流れになって、しかも一緒のベッドで就寝だって?
新婚カップルかよ!
これは、主人公である千紘とやるべきシチュエーションだろ!
何で僕と添い寝何てしてるんだよ、この人は!
兎に角、此処は起こさないようにベッドから抜け出しリビングのソファーをお借りするとしよう。
僕は隣で眠る先生を起こさない様、慎重に布団から体を滑らせ外へと出ようとした。
だが、隣から伸びてきた腕が僕の行動を一瞬で阻止してしまう。
ビクッと驚いた僕は、そっと後ろへと視線を向けた。
すると、眼鏡を外した先生が眠そうな表情のまま此方をジッと見ている。
え、まさかの無言の圧力を夜中にかけてくるんですか。普通に怖いですよ。
てか、どうして起きたんだ。凄く慎重に動いていたのに……。
「どうしたの?」
「え、あ、いや………やっぱり僕はリビングで寝ようかと」
「何で?」
「えっと……流石に男二人で同じベッドって色々とキツイ気がしたので」
それに、一番の理由は夜が明けるまでにきっと僕の心臓が緊張のあまり止まるかもしれないからだ。
「キツクないから、こっち」
「ち、ちょっと!!」
元ヤンの力は凄まじい事に、ベッドから抜け出していた僕の体は一瞬にしてベッドの中へ、そしてさっきよりも酷いことに先生の腕の中へと入ってしまった。
抜け出せないこの状況。
耳に先生の息がかかるし、シャンプーのいい匂いまで漂ってくる。
ヤバイ。僕の心臓が爆発寸前だ。
ドクンドクンと相手に伝わってしまうのでは無いかと思うほどに、大きな音を立てる心臓。
前野先生!流石にヤバイです。この状況は本当にヤバイです。
「先生、本当に……‥‥‥うそ」
顔を上げると、僕を抱きしめたまま爆睡している先生。
今日は、かける君のことで相当疲れていると思うからこれ以上睡眠の邪魔はしたくない。
仕方がない、今から僕は無になろう。
そうだ、自分の中にある邪念を全部払うのだ。
そう自分に言い聞かせ、僕は固く目を瞑り心の中で羊を数え必死に眠りについた。
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そして数時間後。
何故か息苦しさを感じ目を覚ました僕は、背中に回された腕が何かにしがみつくように力を入れられていることに気が付いた。
顔を上げると、何か怖い夢でも見ているのか顔を歪ませる先生の姿があった。
「……ぅう………かあ…さん‥‥…ごめ……」
寝言で謝りながら涙を流す先生に僕は息を呑んだ。
両親がすでに亡くなっている事をかける君から聞いたが、この涙と謝罪にはきっと何か深い意味があるんだろう。
だけど、モブの僕が首を突っ込む話でもないし、こういうのは主人公である千紘がカップリングを成立させて解決してくれたらいい。
ただ今は少し寝ぼけていたという言い訳をして、この涙を拭うことくらいは許されるだろうか。
僕は先生の頬にそっと触れ「大丈夫ですよ」と小さく、優しく声をかけたのだった。
前野先生が久しぶりに凛君と絡んだ気がします!
最近、出していなかった気がしていたので書けて良かった~(笑)
先生は、やっぱりどんな姿でも美男ですね!




