第十一話 「フラグ回避は大変です!」
荷物を持ってくれている秋兄と共にショッピングモールから出ている水族館行きのバスに乗り込んだ僕。
だが、バスの中は意外にも混雑しており、僕はまるでおしくらまんじゅうされているような苦しい状況になってしまっている。
秋兄はというと、僕から少し離れた場所で荷物を持ちながらも涼しい顔でスマートに立っている。
乗り込んだ時に離れてしまったが、その分遠くから見て感じる。
年の差何て殆ど無いのに、この計り知れない差は一体何だ。
これが、モブと攻略キャラとの差だとでも言いたいのか!
そんなことを考えていると、ふと僕は自分のお尻に違和感を覚えた。
発車してずっと感じていたことなんだが、さっきからお尻に何か当たってる?
満員だから、人との距離が近くなるのは仕方ないと思うんだが……。
まさか、この期に及んで女の子ではなく男の僕のお尻が狙われるなんてこと……。
視線をそっと後ろへと向けると、息を荒くした四十代ぐらいのサラリーマンぽい人と目が合った。
狙われてたぁぁあ!!
てか、何でそんなに息が荒いの。
どうして目が合ったの?!
慌てて視線を前へと戻し、何も知らないフリを続ける。
だが、さっきまで当たっていただけの何かが、突然ギュッと僕のお尻を掴み上げた。
「………ッ?!」
漏れそうになった声を、慌てて両手で抑え込む。
揉んだ。ついに僕のお尻を揉みやがった。
身動きが取れないこの状況では何もすることが出来ず、今はただ終着点まで耐えるしか選択肢が思いつかない。
だが、そう思う反面体を正直で微かに足が震えだす。
「どうしたの?気持ちよかったのかな」
いやぁぁああぁぁ!!!!!
なんということでしょう。
痴漢が僕の耳元で、とんでもない吐息交じりの声で囁いてきたではありませんか。
一瞬で体が硬直する。
感じる悪寒と、全身に鳥肌がたったのが分かる。
誰か今の僕の腕を見て下さい!
多分、人生で見たことのない程の鳥肌が見れますよ!
囁いた男は、僕の耳元で「はぁはぁ」と吐息を吐きながら、少しずつお尻にあった手を股の間へと滑り込ませていく。
アカーン!!!
流石の僕でも、そろそろ危機感を感じる。
いや、危機感以上にめちゃくちゃ怖い。
この前ニュースで、痴漢にあった女の人が犯人を捕まえて駅員を呼んで、痴漢をした男は逮捕されたってのを見たけど、女の人はどうしてそんなに逞しいんだ。
どうしたら、そんなに逞しくなれるのか教えて頂きたい。
秋兄の方を見てみるが乗り込んだ時に離れたせいで、助けを求められそうにない。
かと言って、周りの人に『痴漢にあってるので助けて下さい』とか男で言うのは聊か勇気がいる。
どうしよう。
何の策も浮かばず、顔を下に向け必死に我慢をする。
震える体を片腕で抱きしめ、熱くなる目をギュッと閉じた。
此処で泣いたら相手の思うつぼだ。
そんな僕とは反対に痴漢の行動はどんどんエスカレートしてくる。
嫌だ。キモイ。怖い。
もう駄目だ。
このまま僕は、漫画とかでよく見る痴漢を題材にしたR18指定のBL本そのものになってしまうのか。
漫画のような最悪の状況には頼むからなってほしくない。
そんなことを願ったのも束の間、後ろから伸びてきた手がついに僕の服の中へと入ってきた。
終わった。
僕の中で終了のお知らせのアナウンスが鳴り出す。
体が震えだし、堪えていた涙が頬を伝う。
誰か、助けて………
「アンタ、何してんだ」
「なッ?!」
後ろから、ちょっと掠れた低めの声が聞こえたと同時に服の中に侵入してきてた手が何処かへ消え去った。
助かった………のか?
「おっさん、こんな公共の場で子供に痴漢とかよく出来るな」
「わ、私は痴漢何てしていない!」
「よくゆーぜ。なんなら撮ってた動画、今此処で再生してやろうか?」
「ど、動画?!」
僕を置き去りにしたまま、後ろで繰り広げられる痴漢の事情聴取。
誰が助けてくれたんだろう。
助けてくれたヒーローにお礼を言わないと。
そう思うも、いくら頑張っても足が震えて動くことが出来ない。
何とも情けない。
すると、僕の耳元で「コイツ捕まえるか」と痴漢とは比べ物にならないイケボが聞こえてきた。
もし、この痴漢を捕まえたとしてきっと僕も事情聴取される。
男が男に痴漢されて警察にお世話になりました。何て笑い話じゃすまない。
それに、僕にはこれから大切な使命がある。怖かったし、情けない話、今だって震えが止まらないけど、痴漢にかまってる暇なんてない。
「いや、大丈夫です」
「そうか」
僕の返事を聞いたヒーローはバス停車のボタンを押し「次は無いと思えよ」とリーマンを脅し、バスから強制退出させた。
何てカッコいい人なんだ。
リーマンを強制退出させたヒーローは人混みを掻き分け、もう一度僕の後ろへと戻ってきた。
助けてもらったわけだしお礼をちゃんと言わないと。
僕は、まるで生まれたての小鹿野ように足を震わしながらも後ろにいるヒーローへと体を向けた。
そして、顔を上げてから僕は唖然とした。
どうして、どうして此処に最後の攻略キャラである『不知火 太陽』がいるんだ。
彼は、このゲーム唯一のヤンキーキャラで裏の業界でも名の馳せる極道一家の長男坊。
吊り上がった目と頬に大きく着いた傷、オールバックにされた黒髪は誰も寄せ付けない圧を纏っている。そして、誰も知らないが実は背中には昔、恋人を庇ってついた大きな切り傷があって、これを知っていいのは勿論主人公である千紘だけだ。
設定では、僕達のが学校に転校してくる所からルートが始まるはずなんだけど……。
まさかのフライング登場?
というか、どうして坊ちゃんが公共交通機関何かに乗っているんだい。
迎えの車はどうしたんだ。
茫然とする僕を不知火さんが心配そうな目で見降ろす。
「おい、大丈夫か?」
「え……あ、はい。さっきは、ありがとうございました」
「あぁ。別に良いが、お前男だろ?男がヤラれっぱなしでどうすんだよ」
「……仰る通りです」
まさに返す言葉もございません。
不知火さんが助けてくれなかったら、僕は今頃あのリーマン痴漢野郎にヤラれていたかもしれない。
そう思うとやっぱり怖くて、震えが収まらない。
男の癖にこんなんで本当にどうするんだ。
僕は自分の腕で自分の体を抱きしめ俯いた。
すると「しゃーねーな」という声と共に僕の体は暖かいものに包まれた。
耳元で聞こえる心音と僕の体に回る逞しい腕。
顔を上げると、少し耳を赤くした不知火さんが「満員だし、少しの間辛抱しろ」とそっぽを向きながら言い放った。
その暖かさと心音が妙に落ち着いて、僕は不知火さんのご厚意に少しの間甘えることにした。
あ、でもちゃんとお礼言わないと。
「あの……何から何までありがとうございます」
「おう」
ぶっきらぼうに答える不知火さんに抱きしめられたまま終着点まで着き、何故かそのまま腕を引かれバスを降りた。
体の震えもいつの間に収まっており、僕は不知火さんと向き合い頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
「もういいって。何回礼言うんだよ」
「何回言っても足りないくらいですから」
改めて思うが、こんな状況になってなきゃ僕みたいな凡人が関わる機会なんて無さそうな人だな……。
「そういえば、お前名前は?」
「……霧島凛です」
「凛か……。俺の名前は不知火太陽だ。もしまた会ったら、そん時は飯でも付き合えよ」
「え?あ、はい!」
ゴツゴツとした手で僕の頭を少し乱暴に撫でた後、不知火さんは踵を翻し背を向け去っていった。
カッコいい。
今まで出会った攻略キャラとは、また違ったカッコよさとオーラがある。
しかも、出会い方も一番カッコよかった。
立ち去る不知火さんの背中を見送っていると、後ろからポンと肩を叩かれ、驚いた僕は勢いよく振り返った。そこには、肩で息をし、少し慌てた様子の秋兄がいた。
「あ、秋兄?!どうしたの?」
「大丈夫か?」
「ん?何が?」
「さっき、明らかにガラの悪い奴に絡まれてただろ」
バスの中から不知火さんと話をしていた僕を見て慌てて降りて来たのか。
「あれは絡まれてたんじゃなくて、助けて貰っただけだよ」
「助けて貰った?」
頭にハテナマークを浮かべる秋兄にバスの中での出来事を短縮して話した。
「よし、取り敢えずその痴漢を捕まえに行くか」
「いや、待って待って!本当にもう大丈夫だから!」
「本当か?俺が一緒に居たのに、肝心な時に助けてやれなくれごめん。怖かったよな」
僕の頭を撫でながら、小さな声でそう言った秋兄の顔は凄く辛そうに見えて僕は秋兄の頬にそっと手を添えた。
「凛?」
「秋兄が気に病むことじゃないよ。この通り結果的に何もなかった訳だし。だから、そんな顔しないでよ」
「……そうだな。怖い思いしたお前なのに俺が慰められてどうするんだって感じだよな」
ぎこちない笑顔を見せると頬に触れていた僕の手を取って口を開いた。
「よし、今からさっきのことを忘れるくらいお前を楽しませるぞ!」
「なにそれ。変なのー」
秋兄の提案に笑いながら僕達はイルミネーションへと向かった。
だが、この後は兄さん×千紘のフラグを折らなければいけない。
楽しむよりも先に自分の使命を全うしなければ。
水族館に着いたら、良い感じであの二人が居る場所まで秋兄を誘導しよう。
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辺りがうっすらと暗くなり、一部だけ異常な人だかりを作り出す此処は僕達の目的地である水族館である。
周りを見渡せばカップルや家族連ればかり。
男二人が手を繋いで歩いている今の状況は、ある意味この場に溶け込んでいるのかもしれない。
僕は腐を愛する男だが、僕自身の恋愛対象は何度も言うが女の子だ。
僕は見る専門であって、その領域に踏み込みたいとは一切思っていないのだ。
手を振りほどくことも出来ないし、取り敢えずは、この人混みの中から二人を見つけ出さないと。
僕は耳を澄ませ、二人の声を拾おうと集中する。
今こそ第七感を開放する時だ!
「あっち綺麗だね」
ん?
今、ほんの少しだが兄さんに似た声が聞こえた気がする。
僕は聞こえて来た方向へと歩き出そうとしたが、
「おい、凛。何処行くんだ?順路はこっちだぞ」
「あー、あの桜のイルミネーション凄く綺麗だから近くで見たくて!」
「あれか?順路通りに歩けばちゃんと見れるからこっち来い」
「おっ……」
ニコニコ笑顔で僕の腕を引いていく秋兄に連れられ人混みの中を順路通りに歩き出す。
どんどん太陽は沈む、周りを暗闇が包み込み始める。
やばい。
スマホを取り出し、時計を確認する。
このイルミネーションの最後のトリであり、イベント発生の合図でもある打ち上げ花火まで残り時間三十分。
急がないと本気でヤバイ。
フラグを折れなかったら、本当にルートが兄さんエンドへと向かってしまう。
「秋兄!最後の花火まで時間ないし、もう少し早く進もうよ!」
「お、おい。突然どうした」
「この人混みだとちゃんと見れないし、もう少し人が少ない所で見たいなーと思ってさ」
「まぁそれもそうだな。なら最後にお前が見たがってた桜の木を見たら抜けるか」
「うん!」
殆ど流し見の様に進み、順路の最後にある桜の気まで早足で向かう。
この調子なら間に合う。
でも、最後まで気を抜かづにいかないと。
桜の木に着いた僕はほんの少しだけ足を止めた。
さっきは、まだ周りが明るかったが暗闇に包まれた今は想像以上に綺麗でついつい見入ってしまう。
スマホを出し写真を撮ると、突然秋兄が僕の肩を抱いた。
回された腕の中にすっぽりと僕が入る。
「凛、顔上げろ」
「顔?」
言われた通りに顔を上げるとカシャという音が目の前から鳴り、耳元で「イイ感じだ」という秋兄の声が聞こえた。
「え!今写真撮った?!」
「おう!今日の思い出にな!心配すんな後でお前の所にも、ちゃんと送っといてやるよ!」
そういうことじゃない。
撮るなら前もって言ってくれ。絶対間抜け面してたから。
「その写真消してよ。もう一回取り直そう」
「嫌だ。俺はこれがいいんだ!」
なんでだよ!
何のこだわりだよ!
満足気にスマホを見ながら歩く秋兄と共に人混みを抜け花火が良く見えそうな公園へと移動してきた。
そう。この水族館から少し離れた公園こそ二人を結び付けるイベントが行われる場所なのだ!
もう時間がない。
早く見つけ出さねば!
腐名探偵凛が推測するに、この公園から花火が見えるのは多分この辺り。
イベントシチュでは二人はベンチに座っていたし、周りをよく見れば見つかるはず。
僕は必死に暗闇に浮かぶ無数の人影から兄達を探し出す。
「………」
いた。
前方斜め右方向にターゲット確認。
すまないがお二人さん、幸せな時間は此処でお開きだ!
僕は自分の使命の為、貴方達の時間をを邪魔させて頂きます。
ベンチに腰掛け、楽しそうに話をしている二人の姿を見定め、先程から僕の隣でずっとスマホを見て笑っている秋兄の袖を引っ張った。
というか、何が面白くてそんなに笑ったいるのだ!
「どうした?」
「あれって兄さんと千紘じゃない?」
「え?」
僕が指さす方向を見た秋兄は、少し目を見開いた後顔を顰めた。
二人を見つめる横顔には先程までの笑顔はなく、寂しさの色が滲んでいる。
ちょっと悪いことしたかな。
なんて罪悪感を感じさせるくらいの表情に僕は慌てて言葉を繋げた。
「二人何してるんだろうね!僕、声掛けてくる」
「え?あ、おい!」
後ろから聞こえた秋兄の制止の声を無視し、楽しく話をする二人へと駆け足で近づいた。
よし、よかった。何とか間に合った。
「兄さーんー!千紘ー!」
大きく手を振りながら近づくと、向き合って話していた二人の視線が一斉に僕へと集まる。
目を見開く千紘とバツが悪そうな顔で視線を外す兄さん。
ごめん兄さん。
こんな邪魔ばかりする弟で本当にごめん。
でも、そんな顔されても僕は邪魔することを止める訳にはいかないんだよ。
「り、凛がどうしてここに?」
「秋兄と出かけてて、最後にイルミネーション見に来たんだ!」
「兄貴と二人っきりで出かけてたの?」
「うん、そうだけど?」
少し前のめりに聞いてくる千紘。
兄さんはというと、ベンチに座ったまま黙って僕を見上げている。
兄さんの表情から今の心情を読み取りたい処だが、何を考えているのか分からない。
まさに『無』という表現が似合うほどに。
ただ一つだけ分かることがある。
それは、兄さんの機嫌が確実に悪いということだ。
そりゃー肝心な所で邪魔されたら誰でも機嫌が悪くなるだろう。
「兄貴は?」
「秋兄なら後ろに居るはずだよ?」
振り返り後ろを見ると、気まずそうに頭を掻きながら秋兄が此方へ向かって歩いて来ている。
凄く居心地悪いこの雰囲気。
そりゃー兄さんからしたら人生最大の賭けに出る瞬間だったんだもん。
こんな雰囲気になっても仕方がない。
だが、やはり耐えきれない僕はこの場の空気を変えようと口を開いた。
「そういえば、もう少しで花火が始まるよ!絶対綺麗だよねー!な、千紘」
「……ッ?!」
嘘だろ。と言わんばかりの視線を僕に投げる千紘。
主人公なら、こんな窮地も果敢に乗り越えるだろう。
「そ、そうだね!今年初の花火だし楽しみだなー!」
「だよなだよな!しかも殆ど人がいない特等席で見れるなんて最高だよ!」
「確かに!俺たちだけだもんね!」
「「ハハハハハハ!!」」
僕の話に全力でノッてくれた千紘に感謝しなくてわ。
流石主人公。対応力と、素晴らしい臨機応変さだ。
このまま他の二人も話に入ってきてくれたら良いのだが、やっぱり気まずい空気は変わらなくて兄さんは秋兄を連れて「飲み物買って来る」と行ってこの場を離れてしまった。
「空気悪いね」
「本当に……悪すぎるよ」
溜息を付きながら並んでベンチにダラリと座り込む。
「てか、何で兄貴と二人なの」
「兄さんも千紘も出かけて暇だったから、寂しくお留守番する秋兄を構ってあげようと思ってさ」
「なにそれ」
「僕らのことより、二人はこんな所で何してたのさ」
「部品買いに行って、ついでにイルミネーション見ようって話しになって来ただけ」
「それだけ?」
「それだけ」
お互い意味のない会話をしながら、二人が帰ってくるのを待つ。
「二人……特に兄さんの機嫌が直ってると良いんだけど」
「大丈夫じゃない?」
「だといいんだけど……」
暫くして、ホット珈琲を持って帰って来た二人には、さっきまでのピリピリした雰囲気はなく、いつも通り穏やかな空気が流れていた。
兄さんが「凛は甘いやつだよね?」と手渡してくれた珈琲は、いつもより温かく感じた。
多分、いつも通りに戻った兄さんを見てホッとしたからだろう。
だが、そのまま一つのベンチに並んで座る四人の高校生の絵図は、あまりにもシュールで腐を愛する僕からしたら有難い状況と光景ではあるが、その中の一員に僕もなっていることに非難の声を上げたい。
モブの僕をこの絵図に入れてはいけない。
皆様お分かり頂けるだろうか。
イケメン達の中に、こんな凡人で何の変哲もない高校生が入ると悲しい程に浮いてしまう。
でも、まぁ、ちょっとしたトラブルはあったものの無事にフラグ回避をすることが出来て良かった。
しかも、フライングではあったが最後の攻略キャラとも話すことが出来たし、意外に今日の一日は充実していたように思う。
暫くしてバーンッと大きな音と共に打ち上がった花火は本当に綺麗だった。
本当に。涙が出るほどに。
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