プロローグ
美しい鳥の囀りと、温かな日差しに照らされ僕は目を覚ました。
体を起こし、何となく部屋を見渡す。
僕はあくびをしながら、ベッドから降り一階へと向かう。
リビングへと行くと、兄がテーブルに二人分の食事を並べていた。
「おはよう、兄さん!」
「おはよう。先に顔を洗っておいで。食事にしよう」
そう言ってエプロン姿で美しい微笑みを向けてくのは僕の兄『霧島祐斗』
容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群といったイケメン三要素を完璧に兼ね備えた自慢の兄だ。
天然茶髪のサラサラヘアーに二重のパッチリと大きな瞳。
身長も高く、バスケ部のエースとして活躍する姿は、弟としても一部員としても、一瞬で目を離せなくなったものだ。
僕は「はーい」と返事をし、トボトボと洗面所へと向かう。
扉を閉め、鏡に写る自分と向かい合った。
「やっぱり夢じゃないのか…」
鏡に写る兄と似た自分の姿に僕は溜息をついた。
なにが夢じゃないのか。それを今から説明しようと思う。
先に結論を言わせてもらうが、僕『霧島凛』の中身は『川島咲』という名前の腐女子である。
そして、ここは腐女子であった僕が世界で一番大好きだった、『BLゲーム』の世界である。
どうしてこんなことになったのか。
それは、つい昨日のこと。
僕が、川島咲であった世界での話から始まる。
その日は、とくに何も変わり映えのない日だった。
いつも通り自分の通う高校へと行き、友達らの他愛もない話を聞き、まるで眠りへと誘い込むような先生達の授業を受ける。
ここまでは、何も可笑しな所なんてなかった。
ここまでは…
それは、放課後の部活動でのことだ。
僕は、向こうの世界でもバスケ部に入部しており、実力はそこそこだった。
運動だけはできるという偏った人間だったのだ。
いつも行っている練習メニューをこなし、いつも遅れてくる監督の到着を待つ。
そして、監督が体育館に着き次第、試合形式のゲームをやる。
そう。事件はここで起こったのだ。
いつものように僕へとパスが回され、相手のゴールへと一気に突っ込む。
フェイントを使いながら一人、また一人と相手を抜いて行く。
そして、ゴール下まで来た僕はダンクを決めようと飛んだ。
その時だ。
部の中で一番体がでかい。通称マウンテンゴリラに突撃され、僕は呆気なく吹っ飛んでしまった。
そのまま地面に頭を強打した僕は、その場で意識を失った。
それから、どれくらい時間が経っただろう。
近くで誰かが呼ぶ声がして、僕は目を覚ました。
始めに俺の目に映ったのは、真っ白な天井だった。
薬品のような匂いが鼻をくすぐる。
ボーッとその白い天井を眺めていると、カーテンの隙間から男がヒョッコリと顔を出した。
そして僕の姿を見るなり、慌ただしく駆け寄り「大丈夫?」「俺が誰だか分かる?」「気分は悪くない?」など、機関銃のように質問を浴びせてきた。
でも、僕はそんな質問よりも目の前の光景に驚いた。
心配そうに問いかけてくる目の前の男の姿には見覚えがあったからだ。
この人を見たのは現実の世界じゃない。
僕が愛してやまない『R18』指定された『BLゲーム』
『SweetDays~麗しき騎士と白き鳥の箱庭〜』
に登場する攻略キャラの一人、霧島祐斗だ。
自分の目に容赦なく飛び込んできた夢のような光景。
たぶん僕は今、凄く間抜けな顔をしているに違いない。
だって、他にどんな顔をすればいいか分からないんだから。
「本当に大丈夫?お兄ちゃんのこと分かるか?」
「…え?」
茫然とする僕の頭にさらに衝撃な事実が加えられる。
霧島祐斗が『お兄ちゃん』だと?
その言葉を聞いた瞬間、僕の頭にさっきよりも激しく痛み出した。
そして、まるでビデオを見ているかのように色々な景色が声が流れ始めた。
それは幼い頃の記憶のようで、僕がさっきまで持っていた川島咲の記憶をまるで塗り替えるように映し出されていく。
記憶が書き換えられる感覚を始めて味わった。
暫くして頭の痛みが消え、それと同時に川島咲としての過去の記憶も消え、僕の中に唯一残ったのものは三つ。
1、ここが僕が最愛するBLゲーム『SweetDays~麗しき騎士と白き鳥の箱庭ー』
の世界であること。
2、この世界に来た動機と名前。
3、腐女子として培われてきた『BL』への知識。
だった。
やはり腐女子のしての記憶だけは消すことができなかったか。
そうだろう、当たり前だ。
これほど素晴らしい知識を消そうという方が可笑しいのだ。
そして新たに分かったことというのは、僕が攻略対象キャラの一人である”霧島祐斗”の弟であること。
普通なら今の状況は受け入れ難いものかもしれないが、僕の場合はほとんどの記憶がさき程の激痛の際に書き換えられた為、受け入れることにさして時間はかからなかった。
僕は、心配そうにこちらを見る兄さんに「大丈夫だよ」と笑顔を見せると、半泣きになりながら「良かった」と言われ、少し戸惑いを覚えた。
その後、兄さんから部活中に突然倒れたことを聞かされ、顧問の先生にも「今日は帰るように」と促された為、僕は兄と共に家への家路を歩いた。
「凛、本当に大丈夫か?」
「うん。もう頭も痛くないし大丈夫だよ」
「そうか…」
安心したようにふわりとした笑顔を見せる兄さん。
え…可愛すぎないか?
霧島祐斗のエンジェルスマイルを生で見ることができるなんて……
こんなの、こんなの興奮するじゃないかぁぁぁ!!!!
僕の心の中で、そんな雄叫びをあげた。
家に着くと、兄さんは「夕飯の支度をするから着替えておいで」と言いキッチンへと向かっていった。
僕の足は迷いなく二階への向かい、廊下を突き当りにある部屋のドアを開けた。
扉を閉め、制服を脱ぎハンガーへと掛ける。
タンスの中からジャージを引っ張り出し、テキパキと着替え、兄さんがいるリビングへと向かった。
そして、二人でなんだかんだ話をしながら夕食を済ませ、風呂に入り、今日は色々あって疲れた僕はそのまま部屋へと戻り、まるで沈むように眠りについた。
#
そして、今の状況にいたるわけなのだが……
僕の中では、この世界は幼い頃から暮していた場所となっている。
昨日の記憶操作のせいだ。ま、ゲームでは見れない兄さんの可愛い姿を知れたからいいけどさ。
だから、僕の中で此処がゲームの世界だという実感が全くと言っていいほど湧いてこない。
「ま、そんなの気にするだけ無駄だけど」
それよりもだ。
BLゲームの世界であれば、最終的には誰かしらと運命を共にする結末になるはずだ。
なんて言ったって『B・L』なのだから!!
その相手は勿論、このゲームに出てくる攻略キャラ、総勢七人が対象となり、その中から一人を主人公が選ぶわけだが、僕としてはすでにくっついて欲しいと願うカップリングができている。
腐を愛するものであれば、必ず持つ願望。
そう。自分が溺愛するカップリングを成立させ、生でそのイチャコラを目撃することだ。
普通なら決して叶わないことだが、僕にはそれが叶う。
あぁ、神様。貴方は僕に最高の贈り物をしてくれました。
そうなるとだ。
攻略キャラ総勢七人、僕の推しキャラを外せば六人は失恋エイディングに突入してもらう必要がある。
だが、これがそんな簡単な話ではない。
何故なら、各キャラには主人公との親密度向上させる為のイベントが備えられている。
そのイベントと主人公の選択次第で、ハッピーエンドと言う名のレットカーペットを歩く相手が決まってしまうのだ。
僕が直視したいカップリングはただ一つだ。
ならば、僕が成さねば成らぬことも一つしかあるまい。
「推しカプ以外のイベントを全て潰し、完璧かつ確実にフラグを折る」
蛇口から勢いよく流れる水の音が狭い部屋に響く。
荒く顔を洗い、顔を上げると鏡に写る自分と目が合った。
前髪の間から除く瞳は、まるで獲物を狙うオオカミの様な鋭い眼光を放っていた。
必ず僕が理想とするエンディングにしてみせる。
そして必ず、この目で彼らのイチャラブを見届けさせてもらう!
濡れた顔から滴り落ちる水滴をタオルで拭き、僕は一つ大きく深呼吸をしてから、これからの学園ラウフに大きな期待と決意を胸に洗面所の扉を開けた。
これから始まる、『恋愛』と言うの名の『戦争』に向かうために。