第9話 偽られた過去
小さい頃の俺と小野寺の写真を見つけた俺は、母さんにそれを見せる。
母さんは動揺を隠せない様子で、こう言った。
「な、なんで…あの時の写真は全て処分したはずなのに…」
おそらく、今の発言は無意識に出たものなのだろう。
そのせいか、余計に腹が立った。
「処分したってことは、やっぱり小野寺のことを知ってるんだな?」
「駄目よ和樹!あんな家の人たちのことを思い出す必要なんて…」
「必要ならある!」
俺の怒鳴り声に、母さんは体をビクッと震わせる。
「俺は今日、小野寺と会ってきた」
「なっ!?」
「俺はあいつと、何か約束をした…でも、俺はそれを忘れて、小野寺を傷つけた…これ以上あいつを傷つけたくないんだ…だから、教えてくれないか?母さん」
俺の言葉を聞いた母さんは、最初は躊躇していたが、沈黙した空気に耐えられなかったのか、全てを話すと言ってくれた。
「まず、最初に言っておくことがあるわ。十年前に、私はあなたに事故があって、数週間気を失ったと教えたわよね?」
「ああ。それがどうしたんだよ?」
「あれは、嘘よ」
「……はっ?」
俺は最初、何を言っているのかわからなかった。
そんな俺の心中を察したのか、母さんはそれについて説明を始めた。
「あなたは十年前に、小野寺さんのところの主人に酷い暴力を受けたのよ。それで、その主人は刑務所に送られ、小野寺さんは引っ越したわ」
「ちょ、ちょっと待て!でも俺は、目を覚ます前のことを一切覚えてないんだぞ!そんなことがあったんなら、何かしら覚えてないとおかしいだろ!」
俺は信じられなかった。
そんな強烈な出来事、十年前だからと言ってきれいさっぱり忘れられるはずがない。
そう思っていたことを、母さんの一言が打ち砕いた。
「和樹、あなたはあの事件のショックで、記憶を失ったのよ…」
……今、何て言った?
記憶を、失った?
「は、はは…母さん…冗談にもほどがあるぞ?記憶喪失なんて、そんな馬鹿なことが…」
「残念ながら、真実よ」
母さんの目は、嘘を言っている人の目をしてはいなかった。
「医者の話ではね、根本的な治療法はないとのことよ。だから、私たちは諦めたの。あなたの記憶を取り戻すことを…そして、あなたにそれを悟られないように、あんな嘘をついた…」
ただ、今の言葉は、嘘だとハッキリとわかった。
「……嘘つくなよ」
俺は母さんの胸ぐらを掴んで言った。
「俺があの人たちを忘れてた方が好都合だから隠してたんだろ?小野寺も、香織さんも、俺に暴力を振るったやつと同じ人間だと勝手に決めつけて!」
「当たり前じゃない!あんなやつを愛した女と、その娘よ!?そんな人たちがまともなわけがないじゃない!」
「小野寺も香織さんも、そんな人じゃなかった!ちゃんと人の痛みを理解できる人たちだったぞ!あんたと違って!」
「!?」
母さんは俺の言葉を聞いて、思いきり頬をビンタした。
「この親不孝者!あなたのためにやったことなのに、そんなこと言うなんて!」
「誰もそんなこと頼んでねえだろ!あんたらのその判断のせいで、小野寺が苦しんだんだぞ!」
「自業自得じゃないの!親があんなことしたのだから、当然の報いよ!」
「なっ!?テメエ!」
母さんの言葉にブチキレた俺は、無意識のうちに母さんの顔を殴っていた。
母さんは吹き飛ばされ、壁に激突して腰を落とす。
「あんたなんかもう母さんなんかじゃねえ…俺は!絶対あんたらを親だとは認めねえ!」
俺はそう言い捨てて、家を飛び出した。
家を飛び出した俺は、公園のブランコに座りながら、途方にくれていた。
これから行くあてがない。
誰かの家に泊まろうか考えたが、俺の都合で迷惑をかけるのは何だか気が引けた。
かといって、あの家に帰るのだけは絶対に嫌だ。
家を出たことは後悔してないが、こんなことになるなら前もって準備しておけばよかったなと思う。
まあ、そんなことを言っても仕方がないので、とりあえず今日一日だけ誰かに泊めてもらって、その後のことはその間に考えるとしよう。
とは言っても、誰に頼もうか…
こういうことを相談できるのは、普段なら楓なのだが、事情が事情なだけに、今回だけは避けたいところだ。
となると、他にアドレス交換したやつと言えば…
そう考えてスマホの画面を立ち上げると、十件を越える数のメールと着信履歴が送られてきていた。
送り主は全て柊によるものだった。
内容を見てみると、まだ用は終わらないのかといったものだった。
そういえば終わったら家に寄ってくって言ったな…
とりあえず電話だけでもしておくか。
俺が電話をかけると、一回のコールで通話状態になった。
まさか、ずっとスタンバイしていたのか?
『和樹!ようやく出たか!あまりにも返信がないから心配したんだぞ!』
「悪かったな。家族といろいろあって、忘れてた」
『……家族と何かあったのか?』
俺は出来る限り自然に話をしているつもりだったのだが、柊には、何かが伝わってしまったようだ。
「別になんでもないよ。親子喧嘩くらい、どこの家庭でもあるだろ?」
『…………………』
俺の言葉に、柊はしばらくの間を開けて答えた。
『和樹、今、家出してるでしょ?』
「はっ!?な、何を言って…!」
『だって、さっきから夜風の音が気になってしょうがないから、きっとそうなんだろうなって思って』
「いや、それは窓を開けてるだけで…」
『じゃあ聞くけど、さっきからたまに聞こえるギーコ、ギーコていうブランコによく似た音はなんなの?』
「そ、それは…」
俺は必死に誤魔化そうとしたが、柊には通用しなかった。
俺は潔く家出をしたことを白状した。
『やっぱりね…それにしても和樹が家出なんて、相当な大喧嘩だったんだろうね』
「まあ、な…」
『……ねえ、今、行くあてなくて困ってるんだよね?』
「えっ?ああ、そうだな」
柊は、少し照れ臭そうにしながら、こう言った。
『だったらさ、私の家に泊まらない?』
俺は、柊の家にやって来た。
最初は彼女の申し出は断ったのだが、最後の『泊まってくれなきゃ呪う』の一言があまりにも本気だったので、渋々ながら厚意に甘えることにした。
俺は家のインターホンを鳴らすと、玄関のドアが開いた。
ドアの隙間からは、雪ウサギがあちこちに描かれた白いパジャマを着た柊がいた。
「ようこそ、我が城、ダークキャッスルへ…」
ダークキャッスルって、この家、どう見ても真っ白だし、そもそも城と言うほどでかくない。
「こら。あまり人を困らせるんじゃありません!」
「イタッ!」
柊の頭にげんこつをくらわせたのは、茶髪のロングヘアーに、素朴な灰色のパジャマを着た女性だ。
「~~~~~!ママ痛いよ…」
ママ?今ママって言ったか?
「ごめんなさいね。花音がまた変なこと言っちゃって」
「いえ、いつものことですから」
「あっ!和樹、そんなことを言っては…」
「へえ…いつものことねえ…」
柊の母さんは、怖い目付きで柊を見た。
「あ、あの、お母様?」
こいつ、恐怖のあまり母親への呼び方が変わったぞ。
「まあ、今日は勘弁してあげるわ…今日はあなたが大人になる日みたいだし」
「なっ!?ちょっとママ!なに言ってるの!?」
この様子を見る限り、どうやら普段はママと呼んでいるんだな。
ちょっと意外だな…
「まあ、二人とも頑張りなさいな。背中は押してあげるからね」
「もう!ママは引っ込んでて!」
「はいはい。邪魔物は退散しますよ。後で事後報告してくれれば十分だからね?」
「一言余計!」
柊の母さんはそう言って、近くの部屋に入っていった。
俺は二人のやり取りを見てて、思わず笑ってしまった。
「どうしたの?」
「いや、二人とも仲いいなって思ってさ」
「そりゃあね。生まれてからの付き合いだもん。和樹も早く仲良くなれると思うよ?」
「……どうだろうな」
確かにさっき柊親子がやっていたような他愛のない親子喧嘩ならそうなのだろうが、今回は簡単にどうにかなる問題ではない。
そもそも、俺はもうあの家に帰るつもりと、仲直りするつもりもない。
小野寺に対する暴言を、どうしても許すことは出来ない。
「とりあえず上がってよ。空き部屋に案内するから」
「おう。ありがとな」
俺は靴を脱いで、案内された部屋に入る。
空き部屋と言うだけあって、布団以外は名にもないが、一日限りの泊まりなので、そこまで気にならない。
「じゃあ私は部屋に戻るからね、おやすみ」
「おう、おやすみ」
今日は疲れが溜まっていたのか、柊がいなくなった後、俺はすぐに眠りについた。