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第8話 思い出せない約束

 午前七時半。

 俺たちを乗せた車はレコーディングスタジオに到着し、駐車場に停車した。

 車から出ると、黒いスーツを着た女性が俺たちを出迎えた。

「来たわね、茜。それに…」

 女性は俺の方を見ると、とたんに申し訳なさそうな顔をする。

「久しぶりね、和樹君」

「久しぶり?もしかして、小野寺の母さんですか?」

「ええ、茜の母の、小野寺香織です」

 香織さんは丁寧な挨拶とともに、軽く頭を下げる。

「あの時は酷いことをしてしまったのに、それでも手伝いに来てくれて感謝します。本当にありがとう」

 酷いこと?

「あの、酷いことってどういうことですか?」

「えっ?どういうことって、それは…」

「母さん、本田君はもう、全部忘れちゃったみたいなの」

「忘れた?本当に?」

「……すみません」

 俺は香織さんの問いに、申し訳なさそうに答える。

「いえ、十年も前ですものね。忘れてても不思議ではないです」

 俺たち三人の間に、重い空気が充満する。

 それを打ち払うため、俺はなるべく明るい声で話題を切り替える。

「それより、今日は何を手伝えばいいんですか?」

 俺の行動の意図を察してくれたのか、香織さんは俺の話に笑顔を浮かべて乗ってくれた。

「え、ええ。今日は茜のスケジュール管理と、周りの手伝いをお願いしたいの。お願い出来るかしら?」

「大丈夫ですよ。最初から忙しいのは承知の上ですから」

「ありがとう。これがスケジュール表だから、これの通りにお願いね」

 香織さんはそう言って、手帳を俺に手渡した。

 手帳を開くと、予定が夜まで埋められていた。

 漫画とかで見る、現実離れしたスケジュール表ほどではないとはいえ、学業に励んでいる女子高生には酷だと思う程度にはハードな内容だ。

 なるべく小野寺に負担がかからないようにしなくちゃな…

 俺は手帳を胸ポケットにしまう。

「後、一応の注意なのですが、人前ではステラと呼ぶのはやめてください。顔を出さずに活動しているので」

「わかってますよ。大丈夫です」

「それでは早速始めましょうか。二人とも着いてきて」

 香織さんに導かれるまま、レコーディングスタジオの方へ向かった。

 

 

 

 小野寺が発声練習をしている間、俺はスーツに着替えさせられていた。

 今日の予定の中には、月刊誌の取材もあるようなので、私服でいるのはよくないと香織さんに言われたからだ。

 着替えが終わり、小野寺のところに向かうと、すでにレコーディングが始まっていた。

 小野寺の顔を見て、俺は気づいた。

 今あそこで歌っている女の子は、小野寺茜ではなくステラなのだと。

 普段の俺なら、感動していた場面なのに、小野寺や香織さんの言葉が原因で集中して聴けない。

 屋上で小野寺と話したときは、仲のいい関係だと思っていたが、俺の両親や香織さんの様子を見る限り、違う可能性が出てきた。

 十年前といえば、俺がまだ幼稚園児のときのはずだ。

 あのときにあったことと言えば、俺が事故にあって数週間寝込んでいたということくらいしか記憶にない。

 原因までは覚えていないが、もしかしたらそれは小野寺が関係しているのだろうか。

 ……駄目だ、どれだけ考えても思い出せない。

 ひとまず今は、小野寺の手伝いに集中しよう。

 俺は小野寺が歌い終わったときのために、飲み物と飴を用意しに控え室に戻った。

 

 

 

 午後零時四十分。

 四時間のやり直しを繰り返し、ようやくステラのレコーディングが終わった。

 時間を空けたせいでうまくいかなかったらしく、いつもより時間がかかっていたと香織さんが言っていたが、無事に終わって何よりだ。

「お疲れ様、小野寺。これ、いるか?」

 そう言って、俺はスポーツドリンクと飴を差し出す。

「あ、ありがとう。頂くよ」

 小野寺は俺からドリンクと飴を受け取り、ペットボトルの蓋を開けて口をつける。

 六分の一ほど飲んだ辺りで口を離し、蓋を閉めた後に飴を口に放り込む。

「うん、おいしい。ありがとう、本田君」

「礼はいらないさ。今の俺は手伝いで来てるんだからな」

 俺は手帳を胸ポケットから取り出し、次の予定を確認する。

 次の予定は、二十分後に月刊誌の取材を行うといったものだった。

「次の予定までギリギリだな…疲れてるところ悪いけど、ちょっと急ぐぞ!」

「うん、わかった」

 俺たちはあらかじめ用意させていた車に乗り込み、そこで昼食のおにぎりを食べた。

 

 

 

 午後二時。

 一時間における取材を終えた後、近くのカラオケでボイストレーニングを行った。

 そして午後五時。

 お偉いさんとのディナーまで一時間の余裕が出来た。

 どうするか尋ねると、小野寺は行きたい場所があると言って、二人で公園に来ていた。

「どうしてここに来たかったんだ?」

「ここはね、私たちが一緒に遊んだ公園なんだよ」

 ここで、俺たちが遊んだ?

「やっぱり、思い出せない?」

「……ごめん」

「ううん、こっちこそごめん。気にしなくてもいいって言ったのに…」

 俺はかける言葉が見つからず、黙り混んでしまう。

 すると小野寺が、切なさを感じさせる表情を浮かべて言った。

「短い間だったけど、砂場で遊んだり、ブランコで遊んだり、家の中だとトランプをやったりしたんだよ」

「……そうなのか」

「私にとって、二人で遊んだ時間は宝物だったの。本田君との約束は支えだったの。それなのに…」

 話している最中に、小野寺の瞳から涙が溢れた。

 そして俺の胸に飛び込んで、弱い力で何度も俺を叩く。

「どうして覚えてないの?私は、私は一日も忘れたことないのに…あの時間を支えに頑張ってきたのに…どうして…」

 ……俺は自分が情けなく感じた。

 小野寺がここまで大事にしてきた時間を、忘れてしまったことに…

 そして何より、目の前の女の子が苦しんでいるのに、何も出来ない自分の無能さに…

 今、小野寺を苦しめているのは俺だ。

 だけど、今の俺には彼女を支える力も資格もない。

 俺はただ、小野寺が泣き止むのを待つことしか出来なかった…

 

 

 

 六時のお偉いさんとのディナーも終えて、今日の分の仕事は全て終わった。

 小野寺は事務所に向かい、俺は香織さんに車で家の前まで送ったもらった。

「今日はありがとうね、和樹君。出来れば今後も手伝ってくれると嬉しいのだけど…」

 香織さんの申し出に、俺は首を横に振る。

「今の俺には、もう小野寺と会う資格なんてありませんよ…」

「……ねえ、和樹君。確かに貴方が約束を忘れて、あの子を苦しめたかもしれないけど、一つだけ言わせて」

 香織さんはそう言い、俺は耳を傾ける。

「あの子は、貴方が手伝ってくれることを喜んでた。忘れられて辛かったけど、それでも再開できたことは嬉しかったって、あの子は言ってたわ」

「あいつが、そんなことを…」

「だから、会う資格がないとか、そんなことを言っては駄目。それこそあの子を傷つけてしまうから」

「……わかりました」

「うん。じゃあ機会があればまた会いましょう」

 そう言って、香織さんは車を走らせ、姿が見えなくなるまで俺は手を振った。

「……喜んでた、か」

 俺はどうすればいいんだろう…

 あいつに会えば、傷つけてしまう。

 そう思って、今後は会わないようにしようとしていたのに…

 いや、違うな…

 俺はただ、無力な自分から逃げたかっただけだ。

 あいつに会うと、無力感が俺を襲うから、会いたくないと思ったんだ…

「はは…俺って、こんなにも醜い人間だったんだな…」

 俺は家の鍵を開けて、家に入る。

「おかえり。今日は遅かったわね」

 玄関の前で花瓶を持っているのは、母さんだった。

 おそらく水でも入れ換えるのだろう。

「ああ、ちょっと色々あったんだよ。そうだ、俺、今日晩飯は外で食って来たからいらないわ」

「そういうことは早く言いなさいよ!もうご飯作っちゃったじゃない!」

「ごめん」

 俺はリビングに行って、水でも飲もうと思ってテーブルの上のコップを取ろうとすると、アルバムが置いてあることに気づいた。

「あれ?これって…」

「ああ、棚の中を掃除してたら出てきたのよ。後で見ようかなって思って」

「へえ、そうなんだ…」

 俺は力なくアルバムをパラパラとめくる。

「!!」

 すると、とんでもない写真が目に映った。

「なあ、母さん…この写真、なんだよ…」

 俺がアルバムから取り出して、母さんに見せた写真には…

 

 

 小さい頃の俺と小野寺の二人が写っていた。

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