第7話 忘れた約束
小野寺に呼び出された俺は、彼女に助けてくれと頼まれた。
「お、おい。助けてくれって、どういうことなんだ?」
「えっと、ちょっと待ってください」
小野寺はそう言うと、屋上をウロウロし始めた。
「えっと、何してんの?」
「人がいないかなって思って…聞かれたら困る内容なので」
そういえば、手紙に一人で来てくれって書いてたっけ。
「それで、人はいたか?」
「いなかったので大丈夫です。それじゃあ本題に入りますね?」
「おう」
「えっとですね、ステラって知ってますか?」
「ステラって、あの顔を出さずに活動してる歌手のことか?」
「はい、そのステラです」
「もちろん知ってるさ」
なんてったってデビューしたときからのファンなんだからな。
「でもどうしてそんなことを?」
俺がそう尋ねると、小野寺の口から信じられない言葉が飛び出した。
「えっとですね、私がそのステラなんですよ…」
「……はっ?今なんつった?」
「だから、私はステラとして活動してる歌手で…」
聞き間違いかと思って聞き直してみたが、やはり結果は変わらなかった。
だけどなぁ…
「いきなり自分がステラだって言われて、はいそうですかと信じるやつはいないぞ」
「じゃあ、どうすれば信じてくれますか?」
そうだな…
「じゃあ、ここで歌ってみてくれよ。ステラだって言うなら、歌えるだろ?」
「わかりました。それじゃあ歌います」
そう言うと、小野寺は一度咳払いをし、最近出た新曲を歌い出す。
その歌声は、とても透き通った声色で、それでいて人を元気にする明るさを感じた。
この歌声は、間違いなく本人のものだった。
俺は今、デビューの頃から聴いてきた人の歌を、間近で聴いている。
ファンとして、これ以上の喜びがあるだろうか?
俺は感動のあまり、涙をこぼす。
断言しよう。
今この時間で俺以上の幸せに浸っている者は存在しないと。
小野寺は曲を歌い終わり、俺に尋ねた。
「どうですか?これで信じてくれましたか?」
俺は興奮のあまり、小野寺の手を両手で掴む。
「ああ!信じるよ!まさかこんな身近にステラがいたなんて思わなかった!」
「そ、そうですか…それならよかったです」
小野寺の動揺してる様子を見て我を取り戻し、手を離す。
「あ、悪い。興奮しちまって…」
「いえ、大丈夫です。本田君が私のファンだったなんて、ちょっと嬉しいから」
社交辞令だっていうのはわかっているが、それでもステラにそう言ってもらえるのはやはり嬉しい。
と、この調子じゃまた興奮してしまいそうなので、俺は話を元に戻す。
「それで、ステラが俺に助けてっていうのは、どういうことなんだ?」
「えっとね、足を捻っちゃった後、安静にしてろってことで仕事をしてなかったんです。それで仕事が溜まってるから、人手が足りなくて…」
「それで俺に手を貸してほしいと…」
「はい。本田君なら、私の正体をバラすこともないと思ったから」
なるほど、事情はわかった。
「でもよ、どうして俺なんだ?俺たちはあの日以来関わってなかったはずだぞ?それなのにどうして俺を信用したんだ?」
「……えっ?」
俺は素直な疑問を口にすると、小野寺は口を開けた状態で固まっていた。
「……もしかして、覚えてないの?私のこと」
「えっ?」
小野寺は、涙目になって俺の両肩を掴む。
「本当に覚えてないの!?あの時一緒に過ごしたことも、約束のことも!」
えっ、えっ?
俺が小野寺と約束?
いや、俺たちは通学路で会ったのがが初対面のはずじゃ…
動揺を隠せない俺の様子を見て、小野寺は辛そうな声で言った。
「やっぱり、覚えてないんだ…私は、あの時の約束だけが支えだったのに…」
「……なあ、あの時っていつのことだ?」
「いいです。覚えてないってことは、本田君にとってその程度の約束だったってことですから」
小野寺の態度はそっけないものとなり、それが俺の罪悪感を駆り立てる。
「とりあえず、仕事を手伝ってくれるってことでいいんですよね?」
「あ、ああ…」
「それでは次の土曜日に、七時に公園に来てください」
小野寺はそう言って、教室に戻っていった。
家に帰った後、俺は過去の写真を漁っていた。
もしかしたら小野寺の写真があるのではないかと考えたのだが、それらしい写真はない。
卒業アルバムももちろん見たが、小野寺茜という生徒は存在しなかった。
俺の学校は、転校した生徒はいないはずなので、これに名前がないということは、少なくとも学校内で知り合ったわけではないことになる。
となると、学校の外ってことになるが、いったいどこで…
「はぁ…もう頭こんがらがってきた」
ステラが実は小野寺だったり、その小野寺と昔会ってたり、もうわけがわからん。
しかもそれを覚えてないから余計に混乱する。
いつのことかわかれば、もしかしたら何か思い出すのかもしれないが、小野寺はそれを言うつもりはなさそうだし、どうしたものかなぁ…
ブー、ブー。
悩んでいたときに、机の上の携帯が振動した。
画面を見てみると、柊から電話がかかってきたのがわかった。
俺は通話ボタンをタッチし、スマホを耳に近づける。
『和樹、次の土曜日は暇だろう?私とともに組織結成の祝いをしようではないか!』
いつ俺がお前の組織に入ったよ。
そして何で俺に予定がないと勝手に決めつけてんだ。
「悪いが土曜日は予定があるから無理だ。他の日にしてくれよ。ていうかそういうのは他のやつとやれ」
組織って言うくらいだから、他にも中二病仲間がいるんだろう。
『何を言っている!和樹が来てくれなければ、私一人でやることになるではないか!ただでさえメンバーは私たち二人しかいないのに…』
それ組織っていうのか?
「わかったよ。土曜日余裕があれば家に寄っていってやるから」
『ほ、本当だな!うそじゃないな!』
突然の大声に、俺は思わずスマホを耳から遠ざける。
「余裕があればだからな?行けるとは限らないからな?」
『ああ!約束だぞ!それじゃあな!』
柊はそう言って、通話を切った。
……約束か。
出会いは思い出せなくても、せめて約束の内容だけは思い出してやらないとな。
俺は再び写真の山を漁り、過去の記憶を掘り起こす。
土曜日。
俺は公園のベンチに座って、小野寺が来るのを待っていた。
あれから俺は、結局約束すら思い出すことが出来なかった。
一応両親にも聞いてみたが、そんな人は知らないと言っていた。
だがそのときの両親は、何やら挙動不審だった。
おそらく何か知っているのだろう。
俺は両親に問い詰めようとしたが、そうしたら『あんなやつらを思い出す必要はない!』と怒鳴られてしまった。
ますますわからない…
俺たちは一体どんな関係だったのだろう。
頭を抱えていると、近くから声をかけられた。
「お待たせしました、本田君」
声のした方を見ると、花がたくさん描かれた赤のツーピースを着た小野寺が立っていた。
俺は彼女を認識すると、ベンチから立ち上がる。
「あ、ああ…」
俺は今日、どんな顔をして小野寺に会えばいいかわからなかった。
手伝いの約束をしたあの時、俺は間違いなく彼女を傷つけた。
そんな俺が、小野寺に会う資格があるのか?
そんなことを考えてしまう。
「あ、あの、本田君。ちょっと言っておきたいことがあるの」
「言っておきたいこと?」
「うん…学校では、困らせちゃってごめんなさい!」
小野寺は、頭を深く下げて俺に謝罪をした。
「いや、小野寺は何も悪くないだろ。悪いのは、約束を忘れた俺なんだから…」
「でも、あれは私が大したことないのに、話をややこしくさせただけだし…」
「それでも、お前にとっては大事なことだったんだろ?それなのに、俺はそれを踏みにじっちまったんだ…責められはしても、謝られる資格なんてないよ…」
「本田君…」
小野寺は頭をあげ、それを見た俺は、彼女以上に頭を深く下げて謝罪する。
「すまない!大事な約束を思い出せなくて!」
「……今はその気持ちだけで十分だよ。だから顔を上げて?」
そう言われた俺は、頭を上げて小野寺の顔をまっすぐ見る。
「昔と変わってなかっただけでも、十分嬉しいよ…だから、あまり自分を責めないで?」
「だけど、俺は…」
小野寺は、俺に背を向けてこう言った。
「昔の私を思い出せないなら、今の私を本田君に刻めばいいことだもん。だから気にしないで?」
小野寺の背中は、どこか寂しさを感じさせるものだった。
どこか強がっている、そんな感じがした。
だが、いくら俺が気負っても、小野寺を傷つけるだけだろう…
そんな俺に言える言葉は、一つしかなかった…
「わかったよ。お前がそこまで言うなら…」
「よし、それじゃあ車が来てるから、早く乗りましょう!」
こうして俺たちは、車に乗って目的地に向かった。