第8話:幸せの形
肩を寄せ合いイチャイチャと牛歩の歩みを見せるバカップルを尻目に、俺は一足早く斧子さんの元へと到着する。村の中にいくつかある建物、その中でもしっかりとした造りの木で出来た小屋があり斧子さんはその入口の前に立っていた。
「一体どうしたんですか? 急に村へ駆けて行ったと思ったらこんな小屋の前で……」
「ごめんね、何も言わずに急に走り出しちゃって。でも確信があったから」
そう言って斧子さんは「来て」と俺を誘導しながら小屋の中へと入って行く。
「斧子さん?」
小屋の中は簡素なつくりのログハウスだった。木造りの椅子、木造りの机、木造りのベッド……部屋の散らかり具合から誰かが使っている事も見て取れた。まあ、誰かというか村人Aしか該当者はいないのだが。
「この『金の斧と銀の斧』って200ページに渡る超大作の絵本なんです」
小屋の中のある扉の前で立ち止まった斧子さんが急に話しかけて来る。
「そういえば結構分厚い本でしたもんね」
「その内70ページに村人Aの排便シーンが描かれているのですが」
「子供向けの絵本に何を描写してんだよ!」
軽くトラウマになるわ! やっぱりあの店長、頭おかしいよ。
「いえ重要なのはそこではありません」
「重要だよ! 絵本の内容の3分の1が排便シーンとか童心を利用した高度なセクハラだよ!」
「あ、でも排便シーンのページには必ずイチゴの香りがする紙を使っているのでむしろいい匂いがするんですよ」
「逆に不快だよ! 配慮すべき場所を著しく間違ってるよ!」
「落ち着いて眼真くん。ほらこんな時にはシステマ呼吸法です!」
「フ――! フ――!」
絵本からも童話からも逸脱したモラルに対してついつい興奮してしまった俺は斧子さんに促されるがまま旧ソ連軍が生み出した癒しを超えた最強の呼吸法で息を整える。
「落ち着きましたかね?」
「フ――! フ――……フ――フ――……」
「大丈夫そうですね。こほん、では本題です。私の後ろにあるこの扉、この扉の先には何があるでしょ~か?」
本題というか問題風に俺に質問してくる斧子さん。話の流れ的にも扉の中から流れ出てくる臭気的にも正解を導き出すのは容易であった。
「……トイレ?」
「ブーポーン!」
そう言って額の上で気功砲のような三角マークを作る斧子さん。
「どっちだよ!」
「惜しいです、正解は……」
左手でバーンっと勢いよく扉を開ける。
「水洗トイレでした」
「え? 正解じゃん?」
「違いますよ~、正解は水洗トイレです」
「?」
「王子店長が童話で描くトイレは時代背景を一切無視してウォシュレット付きの水洗トイレです。これは鉄板なんです」
「はぁ……?」
何を言っているんだ斧子さん。
「女神さまには今日からこの水洗トイレで暮らしてもらいます」
何を言っているんだ斧子さん!
「水も結構きれいですし、ここなら村人Aさんといつも一緒にいられますしね」
「絶対駄目だよ!」
「やっぱり少し狭いですかね?」
「そうじゃないよ! 気心を許しても一緒に居たくない場所ってあるよ!」
考え付く限り最低の解決策だ、百年の恋も一糞で覚めるわ!
ガタン……
その時、俺の後ろで物音がする。そう、劣悪な水の都への転居を勧められようとしている女神さまだ。流石の女神さまも怒りを隠せないのかカタカタと小刻みに震えている。
「あ、あの女神さま。斧子さんが今言っていたのは冗談で……」
「な、なんて事なの……こんな、こんな場所があったなんて」
「はい?」
俺を押しのけてトイレの中へと駆けこむ、そして小さく身を屈めて便器の中へと体育座りでズッポリ嵌まる女神さま。
「やっぱり、ジャストフィットだわ」
そう小さく呟く。親が見たらさぞ悲しむ光景だろう。
「あの……女神……さま?」
恐る恐る便器と合体を果たした女神さまに声を掛ける。しかしこちらから話を振る必要はなかった。至極の幸福を得たかの顔をした女神さまが俺たちに感謝の意を述べて来たからだ。
「貴方たち……本当に何とお礼を言ったらいいのか。これだけの水があれば乾燥肌の私でもきっと生きていけるわ!」
「おめでとうございます女神さま、村人Aさんと幸せになってくださいね」
「ありがとう、斧の女の子とレッドアリーマ」
おいぃぃ、誰がレッドアリーマだ! お前の目に俺はどんな姿で映ってんだよ!
……とにかく、彼女的にはこの結果にご満悦のようである。人の価値観、ましてや女神さまの価値観なんてものは一般人の俺には想像もし得ないものなのかもしれない。そしてこの価値観は絶対に共感できるようになってはならないと強く心に誓う。
「いえいえ、運も良かったんです。この世界の水洗トイレが和式だったらと思うと……考えただけでもゾッとします」
洋式でもゾッとしてくれ。
「……そういえば村人Aさんはどこに行ったんですかね。一応彼の許可も取っておかないとマズイでしょ」
「何故? 最愛の私が一緒に住めるというのに反対するはずがないでしょう?」
最愛の人が自分の家の便器に同化するとかショック死レベルだろ。とにかく勝手に人の家の便器になるのは良くない。親しき仲にも礼儀あり……いや、すでに礼儀の問題でもないか。
「女神……?」
扉の外から声がする、当然その声の主は村人A。こちらから呼びに行くまでもなく村人Aは水洗女神となった最愛の人の姿を目にする事となる。
顔面蒼白の村人A……あ、それは元々か。だが手をわなわなと震わせて動揺しているのが分かる。流石にショックだったのかな……
「い、言い伝えは本当だったのか」
「言い伝え?」
「そう、我が家に代々伝わる言い伝えさ……菊が葉もろとも涸れ落ちて血塗られた緋の目の地に臥す傍らでそれでも貴方の優位は揺るがない遺る手足が半分になろうとも」
「それ団長の予言ですやん!」
今の状況とまったく関係ないんですけど、むしろ俺が怒りで緋の目を発動しそうなんですけど!
「いや失敬、変な事を口走ってしまったな。つい興奮してしまって……性的な意味で」
正直すぎるよ! ちょっとはオブラートに包めや!
「もう、村人Aったら。今度からトイレは命掛けだぞ。油断してると直腸抜き取っちゃうぞ」
照れ隠しからか、ぶりっ子っぽく女神さまがおどける。言ってる事は超怖いんですけど。
「はは、君と一緒に居られる幸せに比べたら直腸くらい安い物さ……でも、本気じゃないよね?」
「……」
「女神……本気じゃない、よね?」
「……」
「め、女神!?」
本音では滅茶苦茶びびってるじゃねーか! 女神さまも何か答えてやれよ、急に沈黙は怖いわ!
「もう、あんまり仲が良いとこ見せつけないでくださいよ。なんだか妬けちゃいます」
絶妙なタイミングで斧子さんが話に割って入る。
「では私たちはそろそろ帰りますね」
「あら……残念。もう少しゆっくりして行けばいいのに」
「ありがとうございます。でもあまり遅くなってもいけないので」
「……そう、分かったわ。貴方たちには貴方たちの世界があるのですものね。でも忘れないで、この恩は地獄の果てまで忘れる事が無いって事を」
おい、言い方!
「いえ、気にしないで下さい。女神さまの笑顔が見れて嬉しかったです。やっぱり童話はハッピーエンドじゃないと嫌ですから」
今までで一番の笑顔を見せる斧子さん。方法はともかくとして二人が幸せになれるようにと最も真剣に考えていたのは彼女だったのかもしれない。方法はともかくとして……
「お二人とお幸せに。行こう眼真くん」
そう言って手を差し出す斧子さん。俺は照れながら斧子さんの指先をちょこんと摘まむ。何はともあれ。これで元の世界に……って……
「斧子さん! 斧、斧!」
「え?」
「斧、ほら斧! この女神さまが投げつけた斧が頭に刺さってるんでしょ」
「あ、うん。えへへ、可愛いでしょ」
「違ぁぁぁう! その呪いを解くためにこの童話の中に入って来たんじゃないんですか!?」
そう、当初の目的は斧子さんの斧の『呪い』を解く為だ。そしてそのチャンスは今をおいて他にはない。恩人である斧子さんの『呪い』を女神さまが解かないはずがないからだ。
「あ、そう言えばそうでしたね。満足しててすっかり忘れていました」
「しっかりしてくださいよ。斧子さん自身の事なんですからね!」
「はい、すいません」
ペコリと俺にお辞儀をして身をひるがえした斧子さんは女神さまにお願いをする。
「女神さま。この斧、気に入ってはいるんですけど……やっぱりその……」
「分かっています、巻き添えにしてすいませんでした。さあこちらへ」
急に女神口調に戻った便器さまは斧子さんを手招きすると頭に突き刺さっている斧を優しく触る。すると斧が光だし、徐々に薄くなって行く。
「お、おぉ……」
「さぁ、では元の世界に帰しましょう。本当にお世話になりました、貴方たちに女神の加護があらん事を……」
女神さまがそっと呟く。すると俺の体全体が淡く光る。そして宙に浮いて空に吸い込まれるように地面が遠くなっていく。そして同時に意識も遠くなり目の前の世界がゆっくりと暗転して行った――
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きこりは木を切ります。
仕事を終えたきこりは家へと帰ります。
そこには待ってほしい人が安らぎの場で待っていました。
今日もきこりは木を切ります。
明日もきこりは木を切ります。
そんな永遠とも呼べる世界できこりと女神は幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。