第1話:斧の少女
「こりゃ駄目だな」
登校途中に突き刺さったであろうガラスの破片を恨めしそうに眺めながら溜息をつく。夏休みだというのに補習で呼び出され一番の移動手段であるマイ自転車までパンクさせるなんて本当についていない。まだ日も傾いてはいない為、本来であれば自転車屋に寄って行きたいところだがあいにくあまり金もない。
「仕方ない。自転車は置いて帰るか」
帰りのバス代くらいはあったはず。俺は寂しい財布の中身を確認しながら駐輪場の脇にある通路をとぼとぼと歩く。
「う〜ん、どうしよう。困ったな……」
ん?
その時、駐輪場の片隅でしゃがんでいる女の子の姿が目に入り立ち止まる。ただ女の子が自転車の傍に座っているだけならば日常でもよくある光景だ。しかし俺の目は釘づけになっていた。それもそのはず、その子の脳天には立派な斧が深々と突き刺さっていたからだ。
(なんだ? コスプレの一種?)
まるでポニーテールのように斧の柄を後頭部にぶら下げている。それによく見ると斧のコスプレだけではなく他校の制服だ、もしかして演劇部の合同練習か何かでウチの学校に来たのかな? 斧の少女は一人自転車の前で困った困ったと呟いている。
「あの、どうかされましたか?」
本当に困っている様子だった為、見て見ぬふりもできずに声を掛ける。
「あ、すいません。実は自転車がパンクしてしまったみたいで」
こちらを振り向いた少女の容姿にドキッとする。
か、可愛い……ぱっちりとした目に整った顔立ち。腰まで伸びた黒髪は清楚な雰囲気を漂わせる。夏だというのにほとんど日焼けしていない白い肌と制服の上からでも分かる豊満な胸、それになんだかいい匂いも……ってこれじゃあまるで変態だ。とにかく目の前の少女は斧のコスプレがなくとも人の目を引くには十分な美少女だったのだ。
「あ、パンクですか。奇遇ですね、実は俺も自転車がパンクしちゃって、はは」
奇遇という言葉は本来こういう時に使うものではない。しかし、ど真ん中ストライクの容姿についつい浮かれ気分になってしまった俺に言葉を選ぶ余裕があるはずもなかった。
「そうなんですか。すいません、そんな大変な時に気を使わせてしまって」
そう言ってペコリとこちらにお辞儀をする。
「あ、いや別にどうって事ないですよ。一応軽度なパンクくらいなら直せるかもしれないのでちょっと見せてもらえますか?」
「ほんとですか!? ありがとうございます!」
少女はパァッと弾けるような笑顔を見せる。か、可愛い……
ちょっといい所を見せたいという衝動にかられただけだったのだが、こんな表情を見せられてやっぱり無理でしたとは言いにくい。俺は少し緊張しながら自転車の前にしゃがみ込む。その様子を同じくちょこんとしゃがみ込んで真剣な表情で覗き込む斧コスプレの美少女。ちょっ! 顔近いから!
「どれどれ」
柔らかそうな唇に気を取られながらもパンクした自転車と相対する俺。目の前の自転車の前輪には斧が深々と突き刺さっていた。
……こ れ は 無 理 だ。
「どうですかね?」
眉をしかめながら問いかけてくる少女に俺は冷静に応対する。
「うん、まずこれはパンクとは言わないですね。いや、パンクはパンクなんだけどもっと大事な事がありますよね」
「あ……やっぱり、そうですよね。最近ブレーキのかかりも悪かったし、買い替え時なのかなぁ」
いや、斧が……
「いつからこんな状態なんですか? 警察には届けました?」
「警察?? えっと、二週間くらい前からです。その頃から少し違和感があって、油はさしたんですけど……」
「ブレーキの話じゃないよ!」
惚けた回答についツッコんでしまう。いかんいかん、この子もきっと気が動転して頭が回っていないのだろう。タチの悪いイタズラだ、無理もない。
「どっちにしてもこの斧は危ないから抜いて捨てた方がいいですよ。俺がやりましょうか?」
「あ、でも斧が可哀想だし捨てるのはちょっと」
え……もしかしてこの子ちょっとズレてる? 斧のコスプレといい斧マニアか何かなのだろうか、裏表を感じさせない真剣な眼差しで答える少女に少し気圧される。
だが可愛いは正義だ! 大体の事がその一点により許されてしまう現代社会において唯一無二のチートスキル。当然俺もそのスキルの前では成す術があるはずもなく、ちょっと不思議な感じも可愛いなぁ……という感想で脳内が埋め尽くされるのに時間は掛からなかった。
「それにしても斧好きなんですね、斧コスって言うんですかね? そういうの」
「えっ? そういうのって?」
「いや、ほら頭に飾ってある斧のコスプレの事ですよ。もしかして今流行っていたりするんですかね、実はあんまり女子と話す事もないからそういう流行に疎くって、はは」
「あの……もしかして『見えて』ます?」
「そりゃ見えてますよ? すごく精巧に作られていますよね、まるで本物みたい……」
そう言って軽いスキンシップのつもりで頭に刺さっている斧に触れる。
スカッ……
確かに斧を掴んだはずの手が空を切る。
あれ? おかしいな。
もう一度右手を差し出して今度は少女の後頭部に垂れている斧の柄を掴みに行く。
スカッ……
「あ、れ?」
確実に掴んだはずの斧に触れた感触すらない。今度は血の気がサーッと引く。
「な、な、な、な、なんじゃこりゃぁぁぁぁ!!」
「やっぱり『見える』んですね、凄い!」
何が凄いのかさっぱり分からないがこれはマズイ。幻覚が見えるなんて完全に夏バテだ、早く病院に行かないと。
「あ、でも困ったなどうしよう。もっとお話したいのにバイト遅れちゃう」
小さく呟いたその言葉を俺は聞き逃さなかった。
も っ と お 話 し し た い の に……だと!?
自分を卑下するわけではないが正直俺の容姿は取り立てて際立っているというわけではない。チビではないが高身長でもなく、髪も1000円カットで済ませておりオシャレでもない。呪文でいうならベギラマだ。そんなザ・普通男子高校生と話がしたいという美少女が目の前にいる、こんな好機を目の前にして体調不良を理由にその場で別れを切り出す愚者が果たしているだろうか? いやいない! 少なくとも俺はそんな男を知りはしない。夏バテがなんだ、幻覚がなんだ、夏に咲いた一輪のカスミソウを愛でずして何を愛でる!
「バ、バイト先ってここから遠いんですか?」
俺はこの機を逃してはならないと言う切迫した思いから積極的に話を切り出す。
「いえ、そこまで遠くはないんですけど……実は私、こっちに越して来たばかりでここら辺の地理に疎くて」
そう言って申し訳なさそうに縮こまる。
「ちなみにバイト先の場所ってどこですか?」
「えっと、御伽山って分かります?」
「あぁ御伽山」
御伽山か。この近所では有名な山だ……悪い意味で。
正式名称は湧夢山、しかしその呼称では認知されていない。湧夢山は昔から浮浪者のたまり場として有名でありお世辞にも治安が良いとは言い難い。その為、山に寄り付かないようにこの地域に住む子供たちはある地方伝を聞かされて育つ。
その山に近寄る事なかれ、迷い込んだら最後、不思議な世界に誘われ永遠に出る事は叶わない……迷宮の頂御伽山、と。
子供の頃にこの話を聞いて随分と怖がったものだが今になって思えば作り話には意味があるものなんだなぁと妙に納得がいく。
「私のバイト先、その御伽山の洞窟の中なんです」
唐突に出てくる洞窟という単語。
え? 何言ってるのこの子。何しれっと洞窟とか言ってるの? 金脈を掘り当てるバイトでもしてんの? い、いや、きっと俺の聞き間違いだな。
気を取り直して優しく話しかける。
「御伽山ならバスで10分ってとこかな。乗り間違えてバイトに遅れたら大変です、なんならついて行きましょうか?」
「えっ、いいんですか?」
「別に暇ですし」
心臓をバクバクさせながら平静を装う。女の子は少し考えた後、ペコリと俺に頭を下げる。
「ありがとうございます、本当に助かります。近くまで行ったら場所も分かると思うので」
よぉぉぉぉし!
うん、まあ、なんかこの子危なっかしいし人助けだと思ってね。決して可愛いから優しくしているわけではないよ、マジで。
そんな自分への言い訳をかましながら心の中でガッツポーズを決める。
「あ、自己紹介していなかったですね。私、小野野乃子と言います。神栄女学院二年です」
おぉ、同学年か! しかも神栄女学院ってあの偏差値高いお嬢様学校だよな。
「友達からは名前を略して斧子って呼ばれています」
いやそれは名前を略してそう呼ばれているわけではないと思いますが。
「俺はこの晴海高校二年の御心眼真です」
「眼真くん……ですね」
おぉ! いきなり名前で!
少し変わった子だが性格も良さそうだし、俺のリア充ライフの幕開けか!?
「そういえば、野乃……小野さんはなんでうちの学校に自転車をとめていたんですか? 何か用事でも?」
「あ、はい。実は私のバイト先って今働く人が少なくて、それで店長に頼まれてバイト募集の張り紙を貼って回っていたんですよ」
「それは大変ですね。どこら辺に貼って回っているんですか」
「校内の掲示版とかです」
「へ~……って、駄目だよ!!」
なんで高校の校内にバイト募集の張り紙貼るんだよ! 大問題だよ!
「や、やっぱり他校に貼るのはまずかったですかね」
「母校でも駄目だよ!」
「一応、剥がされる事も考えて何枚かは校内美化の紙のシールをめくったら求人募集の紙が現れるというカモフラージュもしているんですが」
「隠しレアカードかよ!」
前言撤回。少しじゃなくてかなり変わってるなこの子。
「……ところで、そんなに働く人が来ない小野さんのバイト先ってどこ?」
まさか本当に金脈を探すバイトとかじゃないだろうな。
「えっと、古書店です」
古書店? 古本屋か。別に人なんていくらでも来そうなものだけど。
「俺、本結構好きですよ。といっても漫画しか読まないんですけど」
「あ、漫画もありますよ」
「へ~ちょっと俺もその古書店寄ってみてもいいですか」
「はい! 是非是非。店長も喜ぶと思います。あ、それと私の事は斧子でいいですよ~」
ドキーン!
嬉しそうな顔で答える少女の表情に心臓を鷲掴みにされる。
それにこんな可愛い女子をあだ名で呼んでいいとか……超最高! 斧子という呼び方には若干の抵抗はあるが些事な事だ。あだ名呼びは親愛の証、呼んでやろうじゃないか斧子と!
「お、お、斧子……さん。他にはどんな本があるのかなぁ?」
くっそ! 俺の馬鹿! 意気地なし!
「他ですか。う~ん、そうですねぇ。あ、絵本は沢山ありますよ」
「絵本?」
「絵本、というか童話? とにかく沢山あります」
両手をポンッと叩きながら楽しそうに本の話をする斧子さんはまるで幼女のような屈託のない笑顔を見せる。あぁ、この子は童話好きなんだなぁ。
「そうなんですね、童話かぁ。子供の頃よく読んでもらったなぁ」
「それもただの童話じゃないんですよ、なんと店長の自作です!」
は?
「え……自作って、店長が書いてるの?」
「はい。絵も話も店長の自作なんです。凄いですよね」
「それ書店で売ったらダメなやつだよ! コミケで売れよ!」
「あ、大丈夫です。話は自作といってもほとんど原作を模倣していますから出来はいいんですよ」
「余計駄目だよ!」
どんな怪しい書店だよ! 求人募集して誰も来ないのもちょっと納得だよ!
そんな興奮気味の俺の袖口を斧子さんがちょいっと摘まむ。
「あの、そろそろ行かないとほんとに遅れちゃうので……案内お願いできますか?」
ドキーン!
もじもじしながら上目遣いに話し掛けてくるその姿にまたも心を射抜かれる。くっ、変な子だがやはり可愛い。仕方がないこの子が変な物を取り扱う売り子にされていないか確認する必要があるからな、行ってやろうじゃないかその古書店へ!