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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
10. 側妃について
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復讐者たち アレクサンドル

 アレクサンドルと、アンドラーシと。そして突然に現れたバラージュ男爵カーロイと。三者は不穏な視線を交わし合った。


「承知の上、だと? よくも白々しく言えるものだ」


 だが気まずい沈黙も一瞬のこと。言いながら、アンドラーシは立ち上がった。視線は鋭く少年を捉え、剣を帯びてはいないものの油断なく身構えて予期せぬ客のあらゆる動きに備えている。口元に浮かぶのは明らかな嘲けり、更に目の色がなぜか楽しげなのが危うく見える。


「どのような理由で非礼を押すというのだ? 来客中だと言われただろうに……! 親の躾が知れるというものだな」


 非業の死を遂げた父親をあてこする露骨な挑発に、少年の頬が更に赤く染まった。それを見てアレクサンドルも溜息を吐きつつ席を立つ。


 ――他人の屋敷で口を出すのも無作法だろうが……。


 分かってはいるが、彼は他の二人を合わせたよりも長く生き、それなりの経験を積んでいる。今のこの場は、どう考えても血気盛んな若者だけに任せて良いとは思えなかった。


「落ち着かれよ。経緯はどうあれイシュテンの臣下同士ではないのか。まずは話を聞いて――」


 両者の間に割って入りながら言おうとした仲裁の言葉は、アンドラーシの嘲笑によって遮られた。


「用件など知れているでしょう。先のミリアールトでの乱の件と、その論功に不満があるに決まっている。父の無能を棚に上げて――」

「父は無能などではなかった!」


 更にそのアンドラーシも、カーロイによって遮られる。


「父は勇敢で忠義に篤い武人だった! 誰に聞いても同じ答えを返すはずだ!」


 少年の悲痛な叫びはアレクサンドルの胸に刺さり、彼の父の最期を思い出させた。不始末の責任を負って、自ら剣を首筋にあてた姿を。

 生前の姿を多く知る訳ではないが――毅然として恐れも見せずに自裁して見せたのは、確かに並の胆力ではなかったのだろう。王が惜しんだのも、ティゼンハロム侯爵が密命を託したのも無理はないと思わせるほどに。


「そうかもしれない。だが最後の最後でその名を汚したのは事実だろう。陛下は名誉を保つ道も示されたというのに。そのご慈悲を撥ね付けたのはあの愚か者だ」

「口を慎まれよ! なぜ死者を貶めるのだ!?」


 それを思うと、アンドラーシの挑発的な態度はアレクサンドルの目に余った。カーロイの父は彼にとってもシャスティエにとっても敵ではあった。同時に、それを認めてなお、敬意を払うべき潔い最期を見せた男だった。

 先ほどからの言動への反発と、唇を噛んで俯いた少年への同情は混ざり合い、味方であるはずのアンドラーシへの叱責となって現れた。少年を挑発するこの男はやけに愉しげで、決して品のある態度には見えなかった。

 しかし、傲岸な青年はあくまでも悪びれなかった。


「陛下の敵ですから」


 いっそ朗らかに断言する青年に、アレクサンドルは絶句した。忠誠心が行き過ぎている、などという言葉では足りない。この男にとっては王こそが唯一絶対の正義であるようだった。

 傲然と、アンドラーシは屈辱に震える少年を指さした。


「バラージュはティゼンハロム侯爵家の忠臣でした。父親同様、この子供もそうに決まっている。陛下を恨み逆臣に与する者と、どうして馴れ合うことができましょう?」

「――違う」


 少年の声はあまりにも小さくて、溜息かと思うほど。それもまたすぐに嘲笑にかき消される。


「何が違う? お前の父親は無能でなければ反逆者だ。陛下に仇なす者と話す言葉などあるものか。文句があるならこんな回りくどいことはするな。いつでも相手になってやる」


 ――この男は……。


 アレクサンドルは不意にアンドラーシの意図に気付いて暗澹とした。要するに戦って蹴りをつけたいのだろう。ことさらに不愉快な態度を取るのは、相手を挑発するために違いない。対話を嫌って武力でことを片付けようとする、これこそ周辺国に悪名高いイシュテンの姿だ。


「――違う!」

「同じことしか言えないのか。それともリカードに逆らう気概があるとでも?」


 とはいえ呆れてばかりもいられない。若い少年にこの挑発を流せというのは無理だろう。カーロイの用件が何であれ、それぞれに地位のある貴族が勝手に争うのは外聞の良くないはずだ。


「良い加減に――」


 強引に制止しようと声を上げかけた瞬間だった。少年がす、と目を上げて真っ直ぐに二人を見据えた。その眼差しの真摯さに、アレクサンドルは――アンドラーシさえ――言葉を失って彼を注視した。


「そうだ、と言ったら? 私は――我が家はティゼンハロム侯に離反して陛下につくつもりだと」

「……何?」


 呆けた溜息のような声は、アンドラーシの口から漏れたものだった。落胆したようなその調子に、そんなに戦いたかったのかと呆れ果てる。続けて諦め悪く吐いた嫌味も、どこか歯切れの悪いものだった。


「父親の失敗でリカードに睨まれたか? 肩身が狭いから……?」

「そのようなことではない!」


 少年は憤然と叫び、今度こそアンドラーシを黙らせた。


「父の最期のことは聞いたし背景も理解している。陛下を妨げ、ミリアールトの姫を退けるための企みに利用されたのだと。反逆に手を染めたのは恥ずべきことだが――」


 父を偲んでか、怒りあるいは悲しみを抑えるためにか。カーロイはまた唇を結び、一旦顔を伏せた。


「……だが、そうさせたのは私の未熟だ!

 父があくまでもティゼンハロム侯に殉じたのは、私の身を案じてのことだった。裏切り者として侯爵に憎まれれば、生き残ることはできないから、と。だから陛下を――ましてミリアールトの姫を恨むなど思いもよらない。

 父の死はティゼンハロム侯爵の卑劣な命のため。更に告発もできず汚名を着ることになったのは私のせいだ!」


 アレクサンドルの耳に、少年の父だったという男の声が蘇った。


『今の陛下のお力ではティゼンハロム侯から息子を守り切ることはおできになりませんでしょう』


 なるほど、あの男の能力は確かなものだったらしい。自身の名誉と息子の命を天秤にかけ、更には王の力を冷徹に見切り。採り得る最善の道を選んだのだろう。


 ――王の立場はそれほど危ういか……。


 故人の器に感嘆しつつ、王の傍にいるシャスティエを思うと不安が腹に(しこ)るのを感じずにはいられない。王よりも諸侯の力の方が大きいと、まだまだ傍目にも明らかなのか。そのような状況だからこそミリアールトも彼女自身も重用されるだろう、とシャスティエは語っていたが。果たしてそれは本心からの言葉だったのだろうか。


「……で、俺を訪ねたのは何のためだ」


 ティゼンハロム侯爵について語った時のシャスティエの表情を思い起こそうとする間に、アンドラーシはカーロイに問いかけていた。さすがに思うところはあったのだろう、嘲るものから値踏みするようなものへと目つきを変えていた。


「私はリカードに復讐したい。そのためにも、いずれ陛下が奴と対決する時には必ず陛下にお味方する。そして力を認められれば、父の汚名を(すす)ぐことにもなるだろう」

「だからと言ってなぜ俺なのだ」

「私がひとりで陛下にお目通りする機会も口実もない。ゆえに口添えを頼みたかった。特に貴殿を選んだのは――」


 カーロイは言葉を切ると、いたずらっぽく笑った。初めて見せた、少年らしい溌剌とした表情かもしれない。


「まさか貴殿と話し合いに行く者がいるとは誰も思わないだろうから。まだリカードの疑いを招かない方が良いことくらいは弁えている。怒鳴り合って殴り合って追い返されたと噂されるくらいでちょうど良い」

「なるほど!」


 少年の説明に得心がいったので、アレクサンドルは力強く頷いた。アンドラーシが横で嫌な顔をしたので必要以上に力が入っていたかもしれない。ともあれ彼自身反論できるところではないと納得したらしい。やや顔を顰めつつカーロイに向き合う。


「だがお前を陛下に推薦などできないぞ。口ではどう言おうと、共に戦ったこともない者など信用できぬ」

「当然承知している。証拠もなしに信じろなどとは言わない。だから――人質を連れてきた」


 カーロイが背後を示したので初めて、アレクサンドルは彼がひとりで訪れたのではないことに気がついた。


「人質……?」


 アンドラーシの不審げな声に応えるように進み出たのは、まだうら若い女性だった。シャスティエと同じくらい――あるいは一つ二つ歳上といったところだろうか。

 男ふたりの鋭い視線を浴びながら、その女性は優雅な所作で膝を軽く折る礼を取った。


「エシュテルと申します。カーロイの姉でございます」

「姉を人質だと!?」

「はい。弟を疑われるのもごもっともですもの。女の身ではありますが肉親ですから、(くびき)としては十分ではございませんか?」


 アンドラーシが助けを求める視線を投げてきたので、アレクサンドルは仕方なく少女に問い掛けた。この軽薄な男が怯むのも分からないではない。それほどに、姉弟の申し出は無茶なものなのだ。


「若い娘が軽々しくそのようなことを口にするべきではない。……弟がさせているならそれも問題だが。恐らく未婚だろうに、妙な噂が立つような真似は――」

「父の汚名を雪がないことには嫁ぎ先などございません」


 少女はにこやかに、けれどきっぱりと断言してアレクサンドルに言葉を失わせた。冷静に状況を分析して行動する辺り、父の血を引いているということなのだろうか。

 エシュテルという少女は表情を真剣なものに改め、アレクサンドルとアンドラーシを交互に見つめながら続けた。


「それに、父の死については私にも咎があるのです。

 私はかつて王宮で王妃様と王女様にお仕えしておりました。ですがある時王女様から目を離してしまって――その不始末を理由に王宮を追われました。父は、そのことでティゼンハロム侯の不興を買ってしまっていたのです」


 姉の激情を抑えた表情は、ティゼンハロム侯への憎悪を語る弟のそれとそっくりだった。優しげな――整ってさえいる容貌なのに似合わない負の感情に歪んでいる。


「私のことさえなければティゼンハロム侯も父を選んで謀を命じることはしなかったかもしれません。……そう思うと無為に過ごすことなどできません。復讐を望んでいるのは弟だけではございません。女でも、非力でも。できることはあるはずです。

 どうか私に、父の仇を討たせてください!」


 ――この娘も、シャスティエ様と同じか……。


 美しさも気迫も遠く及ばないが、娘の目にはシャスティエと同じ種類の光が宿っていた。ミリアールトの砦で、女王として復讐にその身を捧げると宣言した時の彼女と。

 無謀とは知っていてもなお挑まずにはいられない、激しい想いがそこにはあった。


私は(ヤー・)復讐を(クリャースタ)誓う(・メーシェ)、か……」

「あの方が、何か?」


 思わずこぼれた呟きが聞きとがめられたので、アレクサンドルは密かに慌てた。イシュテンでは、この一連の響きは意味のある文ではなく主の婚家名として認識されているのだ。

 取り繕うべく、彼はぼんやりと胸に浮かんだ思いつきを無理に言葉にまとめ上げた。


「ちょうど良いかもしれぬと思った」

「は?」

「弟に対する人質ならば簡単に手に届かぬところが良いだろう。しかもこの娘は王宮に勤めていたことがあるという」

「クリャースタ様に仕えさせるのですか? 信用できるかも分からないのに!」


 アンドラーシは彼の案を正しく理解し、その上で非難するように眉を顰めた。しかしもちろんその問題は分かりきっていることだ。


「しばらくは私のもとに引き取ろう。あのお方のご気性も教えておいた方が良いだろうし――もちろん、見極めも兼ねて。その上で問題がないようなら――」

「あの、お言葉ですが」


 困惑したように口を挟んだのは、話題となっているエシュテルその人だった。アレクサンドルとアンドラーシとを見比べる表情は困りきっっていて、憎しみを露にした先ほどまでのそれとは違って歳相応に可愛らしく見える。


「もしかして、私をミリアールトの姫のもとへ、との思し召しでしょうか。ですが、不始末があって王宮を辞した身に、そのような……」

「それに、姉を知る者も王宮にいるでしょう。怪しまれるのではないですか」


 姉弟が揃って丁寧な口調で接してくるので、アレクサンドルは安堵にも似た感慨を覚えた。アンドラーシが懸念する通り、無条件で信用することなど思いもよらないが――少なくとも、礼儀を知る若者たちであることは確かなようだった。


 ――この男よりも好感が持てるというものだな。


 アンドラーシを横目で見てから、アレクサンドルは姉弟に対して口を開いた。不安げなふたりが安心できるように、こちらも信用してもらえるように。


「務めについて明らかにしておこう。貴族の令嬢には不釣り合いなことではあるが、クリャースタ様が探しておられるのは侍女ではなく召使だ。身の回りの世話だけであれば、王妃に仕える者の目に留まる恐れは少ないだろう。

 それに、あのお方に勧めたい理由はもう一つある」


 もはやアンドラーシも口を出さずにことの成り行きを見守っていた。何かと口の悪いこの男も、姉弟の本気は伝わったらしい。だからアレクサンドルは十分に息を整えることができた。相手の心を痛ませると分かっていることを口にするのは気が重いものだから。


「クリャースタ様はそなたたちの父の死をご自身の責と考えていらっしゃる。無論、わだかまりが皆無ということもないだろうが――ティゼンハロム侯を第一に憎むというのが真実ならば、少しでもあの方のお心を軽くすることができるだろう」


 父の死について他人の口から言及されて、姉弟の顔が一瞬強ばった。しかし、まずは姉の方が大きく頷いてくれる。


「あのお方のせいではありませんのに、お優しい方でいらっしゃると存じます。私でよろしければ、是非お仕えさせていただきたく思います」


 続いて弟のカーロイも姉にならった。


「それで信じていただけるなら、私も異存はありません。姉を召していただけた暁には――」


 後半の言葉はアンドラーシに向けたもの。縋るような視線を受けて、王の側近である男は顔を顰めつつもはっきりと頷いた。


「……その時は、陛下にお伝えしよう」




 姉弟を返してから――エシュテルを引き取るにしても荷物の準備などは必要なので――、アンドラーシはアレクサンドルに向き直った。


「願ってもない、ということになるのでしょうかね」


 言葉とは裏腹に表情が明るくないのは、戦えなかったのが残念なのか、話が美味すぎると思っているのか。その両方かもしれない。


「そうであって欲しいものだ」


 彼としては相手の心情などどうでも良いことだったが。重要なのはシャスティエの傍に信頼できる者を置けるかどうか。バラージュ姉弟の思いが真実であれば、彼らは女王のまたとない味方になるかもしれない。


 復讐の思いは強いものだから。無邪気な姫君に過ぎなかったシャスティエに、憎しみを教えて自らを犠牲にする選択をさせるほどに。

 アレクサンドルらミリアールトの忠臣だけではシャスティエを守るのに力不足だ。動機は違えど、決して裏切らない味方を何としても増やさなければならない。


 心の裡は見せないように、アレクサンドルはイシュテンの若者に答えた。


「あの令嬢の見極めは任せて欲しい。これでもそれなりに見る目はあるつもりだからな」

「私は料理人の方を、ということですね。あたってみましょう」

「よろしく頼む」


 穏やかに言葉を交わしながら、彼はアンドラーシがカーロイに告げたことを反芻していた。


『共に戦ったこともない者など信用できぬ』


 ミリアールトでは共に冬を過ごしたことのない者は真実の同胞とはみなされない。イシュテンでは同様に、共に剣を取ったことのない者を信じることなどないのだろう。非常に理解しやすい感情だ。


 であれば、アレクサンドルも王やその周囲から万全の信頼を得ている訳ではないのだろう。ぽろりと溢れたことだからこの男の本心に違いない。そもそも降伏したばかりの者を安易に重用するようではその方が危うい。


 ならば彼もイシュテン王のために戦わなければなるまい。


 ――シャスティエ様は、嘆かれるだろうが……。


 ミリアールトにこれ以上血を流させないという、女王の意志に反するとしても。

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