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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
10. 側妃について
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不本意な訪問 アレクサンドル

 新たに与えられた領地からイシュテン王都に駆けつけたアレクサンドルは、不機嫌だった。

 女王の呼び出しとあって参じたにも関わらず、当の彼女には不調を理由に面会を断られたのが理由のひとつ。それだけでも不安にさせられるというのに、シャスティエはこともあろうにアンドラーシという不遜な若者を頼るように伝言してきた。

 固く閉ざされた王宮の門を恨めしく眺めた後、彼は王都の中心、貴族の邸宅が集う一角を訪ねるしかなかった。




 目的の屋敷は、貴族街のやや外れに位置し、大きさも幾らか控えめなものだった。王の側近のものと考えるとはっきり言って見劣りする。イシュテン王にはまだ強力な諸侯に対抗する力が足りないという事実を思い出し、アレクサンドルの気分はまた沈んだ。


「領地の掌握にお忙しいでしょうに、わざわざお越しいただいて恐縮です」


 突然訪れた彼を、アンドラーシは笑顔で迎えたが――こんな軽薄な男と同列に見られているのかと思うと不満に思わないのは難しかった。初めて会った時から、この男はどこか人を苛立たせる目つきや表情をしている。馴れ馴れしくシャスティエに手を伸べていた姿も決して愉快な記憶ではない。辛うじて礼節ある態度を保つことができたのは、イシュテンでの人脈を広げることはシャスティエのためでもあるのだからと言い聞かせた結果だった。


 そうはいっても、勧められた席に着きながら述べた言葉には、全く刺がないという訳にはいかなかった。


「貴殿が畏まる謂れはない。シャスティエ様――クリャースタ・メーシェ様のご命令に従ったに過ぎないのだから」


 復讐を(クリャースタ)誓う(・メーシェ)、という。不穏極まりない一節を主人の名として口にすることに、彼はまだ慣れていなかった。だから言い直すことになってしまったのだが、それはアンドラーシの気に入らないようだった。


「まだ慣れていらっしゃらないのでしょうが、婚家名を授かったからにはそちらでお呼びすべきかと。イシュテンでは婚家名を無視するのは婚姻を蔑ろにしていると見做されます」


 ――側妃などという立場をありがたがっているとでも思っているのか!?


 整った眉を寄せて忠告顔で囁く男の表情は、彼の不機嫌を加速させた。イシュテン王への忠誠も篤い側近だということだが、自分たちがミリアールトに何をしたか忘れたかのような物言いは腹立たしいものでしかない。


「蔑ろにされているのはあの御方の方ではないのか。何しろ新しい名を授かって以来、私はあの方にまだ一度もお会いしていない」


 王の命によりイルレシュ伯爵の領地を賜ったものの、使用人や領民がそのまますぐにアレクサンドルに従うはずもなかった。幸い先の領主はそれほど人望が篤いようではなかったが、統治の慣習なども違って戸惑うことも多い。何より、突然()()の――実情はどうあれ彼にとっても多くの領民にとってもミリアールトとイシュテンは別の国だ――者を主として仰ぐのは中々受け入れがたいようだった。

 女王のためにも早くイシュテンでの基盤を固め、王に対しても他の諸侯に対しても発言権を得なければならない。その一心で、彼はここのところ領地のことに掛かり切りになっていた。だから、シャスティエの様子を常に案じてはいたものの、論功行賞の直後に王宮の住人となってから彼女に会うことはできていなかった。


 ――本当にただの不調なのか? 人に会えぬような姿にされているということはないか!?


 シャスティエは彼の主君であると同時に、生まれた時から成長を見守ってきた愛しい存在でもある。誠に不敬な感情ではあるだろうが、孫のようにさえ思っているのだ。復讐のためとはいえ仇の王の慰みものになっていることすら耐え難いのに、不当な暴力に曝されているとしたら。彼は剣を置くことでシャスティエを敵に引き渡してしまった自分自身を許すことができそうにない。


「私もお会いしてはおりませんが。新婚なのですから頻繁にお邪魔するのも無粋でしょう」


 顔を顰めるアレクサンドルを他所に、何を想像したのかアンドラーシはにやにやと笑って彼の怒りに火を注いだ。幸いにというか、頃良く侍女が茶菓を出しに現れたので、人の屋敷で怒声を発する無礼は免れることができたが。それでもこの男に対する印象は悪くなる一方だ。良い歳をして妻がいないようなのも――普通は来客の対応は夫人の役目だ――気に入らない。屋敷の中もそうだ。整ってはいるが生活の気配はどこか薄くて、どうせ遊びまわっているのだろうと思わせる。

 怒りを押し殺し、アレクサンドルは努めて穏やかな口調を保とうとした。


「婚家名といい、イシュテンの習いは私にはなじまない。どうもこの国の者は女の扱いが手荒いように見えるのだ」

「安心なさってください。陛下はお妃に乱暴を働くような方ではありません」

「私は貴殿ほどには王を知らない。先のミリアールト総督はイシュテンの国柄について良い印象を与えてはくれなかった」


 夜毎に違う女を呼び出しては痣や、時には骨折に至る暴力の跡を残して帰していた男を思い出して、彼の眉間の皺は深まった。あの屑の所業も、ミリアールトの民の怒りと不信を煽り、アレクサンドルらを反乱に至らせたのだ。イシュテン人としてもあの男は最低の部類なのだろうとは分かっているが、あの男の暴虐はシャスティエに劣情を抱いて叶えられなかったことに由来する節もあった。それほどに美しい女王を前に、王が常識を忘れることがないかどうか、何か邪な思いに捕らわれることはないか。老いた身には心配が尽きるということがないのだ。


「陛下をあのような(ゴミ)と一緒にしないでいただきたい」


 アレクサンドルが仄めかしたことは、アンドラーシに正しく伝わったようだった。眼前の男は整った顔を歪め、その声も尖る。しかしそれは彼も同様だ。


「一度でも無事なお姿を見れば信じられる。お目通りも叶わないほどのご不調など……ミリアールトではこのようなことは滅多になかった!」

「陛下が閉じ込めている訳ではないでしょう。言伝もあの方ご自身の手跡ではありませんでしたか? あの方が嘘をついておられると?」

「だからといってご無事とは限らない!」


 アンドラーシが何と言おうと、彼は退くつもりはなかった。懸念の通りに主君が王に乱暴を働かれているとしたら、彼女はその気配を見せることは望まないだろうから。シャスティエが無理をしているというなら尚更、強引にでも会わなければならないと思う。


 彼らはしばし睨み合い――どちらともなく目線を外した。この場で言い合っても何の益もないことに、お互い気付いたのだろう。

 気まずい空気のままにアレクサンドルは出された茶を啜り、勧められるままに菓子にも手をつけた。その間、アンドラーシは頭を冷やそうとするかのように緑の盛りの窓の外を眺めている。祖国に比べると、確かにこの国の初夏は一段鮮やかではあった。木々や草花の彩りは、シャスティエの心も慰めていると信じたいところだが。


 そしてアレクサンドルが茶器を置いて会話を再開する頃には、双方共に平静な声と表情を取り戻していた。少なくとも、表向きは。


「――クリャースタ様からのご依頼はご承知ですね?」

「召使と料理人を増やしたいと」


 その依頼の内容もまた、いらぬ想像をさせられるものだったので、アレクサンドルは声を低める。

 今雇っている者たちでは信頼できないというのか。特に料理人など、毒を警戒しているとしか思えない。信用できないのは王だけではない。王妃による嫌がらせも、彼が恐れていることなのだ。

 一方のアンドラーシは、少なくとも傍目には何の懸念も抱いていないかのように朗らかに見えた。


「料理人の方が簡単でしょうね。陛下のために力を尽くしたいというものは大勢おりますから。友人たちは声を掛ければ喜んで応じるでしょう」

「ご友人か……」


 呟きつつ、アレクサンドルは幾つかの顔を思い描いた。いずれもミリアールトからの帰途の間に見知った者たちだ。少なくとも、イシュテン王に熱烈な忠誠を捧げる側近が何人かいるのは確からしい。その者たちが推すのなら、信用できるといえるだろうか。

 アンドラーシは頷いてから、今度は首を傾げた。


「召使については――同じく候補は出せるでしょうが、あのお方は気難しくていらっしゃるでしょう。お目に叶う者というのは中々いないかもしれません」


 ――王女であったお方だ。気の利かぬ者など知らなくて当然ではないか。


 シャスティエのことを我が儘だとでも言いたげな口調は、アレクサンドルとしては面白くなかった。とはいえまた言葉尻を捕えて言い争うようなことも不毛と分かっていたので、口では別のことを提案した。


「ならば候補が揃ったところで私が会えば良い。振る舞いや性格など、あの方の御前に上げても問題がないかどうか見極めよう」

「それならば安心ですね」

「すぐに集まるだろうか。あの方にご不便があってはいけないが」


 王宮に上がることのできる娘となれば、身元のはっきりとした者でなければならないだろう。その上で、立場の危うい側妃に仕えてくれる者がいるだろうか。


 ――ミリアールトならばいくらでも名乗り出る者がいるのだろうが……。


 イリーナが迷わずそうしたように、雪の(コロレファ)女王(・シュネガ)の化身と名高いシャスティエのために、身命を惜しまない娘は多いはずだ。しかし、遠くイシュテンにあっては同じようにはいかないだろう。ティゼンハロム侯の権勢の強さは、彼も既に目にしている。好んであの老人の怒りを買う者がいるとは思えなかった。


 アンドラーシも心もとなげな表情で腕組みをした。


「妹が嫁いでいなければぜひ推薦したかったのですが。ちょうど子供が生まれたところなので間の悪いことでした」

「妹御が?」

「時機が合えば陛下の御子の乳母に、と思っていたのですが残念です」


 当然のように語る若者を眺めながら、アレクサンドルは果たしてその女性は兄の意図を知っているのだろうかと訝った。少なくともシャスティエが承知していないことは確実なように思われる。当事者たちの意向を無視して願うのは勝手が過ぎるのではないだろうか。


 ――忠誠心が行き過ぎている男なのだな。


 シャスティエがこの男を指名した理由が朧げながら見えてきたような気がした。これほど盲目的に王を信奉しているならば、その妃であるシャスティエに害を為すこともないだろう。彼女が生むであろう王子も、ミリアールトの後ろ盾も、イシュテン王には必要なものなのだから。


 ――非常に、傲岸ではあるが……。


 シャスティエの存在が王に利する限り、この男は裏切ることはない。ならば、多少の不愉快かつ無神経な言動も目を瞑らなければならないだろう。

 そう結論づけると、アレクサンドルはまた口論にならないように、口を出かかった批判を茶と共に呑み込んだ。言葉を交わすだけ考え方の溝が明らかになるだけだと、この短いやりとりの間に悟ったのだ。




 と、その時、部屋の扉が控えめに叩かれた。茶を替えるにしても先ほど侍女が給仕したばかり。来客中のところをあえて邪魔する無作法は、いったい何事なのだろうか。


「何だ、騒がしい」


 アレクサンドルの咎める目線に、アンドラーシも顔を顰めて扉から姿を見せた使用人を問い質した。その使用人も十分非礼は承知してのことらしい。アレクサンドルの方を窺いつつ、しきりに恐縮した様子を見せている。


「申し訳ございません、ですが――」


 アンドラーシの耳元で何が囁かれたのか、アレクサンドルには聞こえなかった。だが、屋敷の主人が浮かべた嘲笑に、そこに混ざった苛立ちに、楽しくない用件だろうと察することができた。

 使用人が全てを言い終える前に、アンドラーシは短く切り捨てた。


「追い返せ」

「ですが強引な方で――」

「約束もなく突然押し掛けるとは図々しいにも程がある。こちらも礼儀を守る必要はない」

「ですが」

「爵位への遠慮か? 無礼な若造に相応の対応をしたとして、一体誰が咎めると?」


 ――爵位を持った若者……?


 話を漏れ聞いたアレクサンドルの胸に、暗い影が落ちた。

 彼が知るイシュテン人は少ない。しかし、自身も十分に若いアンドラーシが若造と言い放ち、かつ爵位を持つ者となると相当珍しいのではないか。しかもその条件に該当する者に、彼は心当たりがある。更に悪いことに、その心当たりは彼ともアンドラーシとも――シャスティエとも浅からぬ縁があった。


「アンドラーシ殿。もしや――」


 だが、ことの次第を問いただそうと口を開いたものの、最後まで言い切ることはできなかった。廊下から響く言い争う声に注意を奪われてしまったのだ。アンドラーシも。あからさまに舌打ちをして扉を睨む。

 招かれざる客が、強引に彼らのいる部屋へと入ろうとしているのは明らかだった。


「急に失礼する。非礼は百も承知だが――どうしても話がしたかった」


 響いた声は、とても若い。止めようとする使用人たちを振り切って入室したその()()の、紅潮した頬も、また。


 アレクサンドルの予想は当たってしまった。

 その少年は彼が顔と名前を知る数少ないイシュテン人のひとりだった。その父親はシャスティエを消すべく降伏したミリアールトと戦端を開こうとし、その咎によって死を与えられた。少年自身も父を貶められ、領地を奪われ爵位を落とされた。


 乱入してきたのは、バラージュ()()カーロイだったのだ。

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