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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
9. 冬の嵐
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説得 シャスティエ

「女王陛下……!」


 自身の前に跪いた男たちを見て、シャスティエは恐れ困惑した。


 ミリアールトの女王を名乗り、その価値を持って反乱を収めて見せるとイシュテン王に豪語してはみせた。しかし、その本当の意味は彼女自身でさえ分かっていないと思い知らされた。

 シャスティエが――二十にもならない小娘が――現れたというだけで、命を懸けて戦うつもりで集った男たちが一斉に頭を垂れて膝をついた。ただ王家の血を引いているというだけで、彼らの命も忠誠も捧げられてしまった。そのことが、震え上がるほど恐ろしかった。

 マントの下に隠れて、拳を固く握り締める。爪が掌に食い込むほど。


 ――私は、この方たちを利用しようとしている……。私を崇めてくれる人たちを、意のままに操ろうとしている……。


 いいや、違う。このままでは彼らは必ず殺される。ファルカスが殺す。

 そうならないための、ミリアールトが生き延びるための道を、彼女は示しに来たのだ。そう、シャスティエは必死に自分に言い聞かせた。

 そして、平静を装って跪く老臣に命じる。


「グニェーフ伯。立ってください」


 かつて王女だった時は、シャスティエは彼のことをアレク小父様と呼んでいた。長く王家に仕え、兄や従兄弟たちに剣を教えることもあった人だから、半ば祖父のように親しんでいた。今も、本当は小父様と叫んで抱きつきたい。けれど、この場では女王として接するべきだと計算していた。この後の説得をやりやすくするためにも。


「陛下……」


 立ち上がったグニェーフ伯は、記憶にあるよりも小さくなってしまった気がした。白に近い金髪も、氷のような淡い青の目も。思い描いていた姿よりも褪せてしまったように見える。武人だけに体格も良く、熊の小父様と呼んだこともあったのに。

 籠城の疲れか、と痛ましく思った時、シャスティエは思い出した。砦に籠った者たちが、彼女についてどのような誤解をしているのかを。老臣の顔色からして、彼女の推測は当たっていたようだ。殺された前総督は、やはり、彼女について何かとてつもなくひどい不埒な嘘を吹聴していたらしい。


 臣下を安心させてやろうと、シャスティエは晴れやかに微笑んで見せた。


「どうしましたか? 私が戻ったのが嬉しくないのですか?」

「そのようなことは……」

「貴方たちの心配は分かると思いますが、無用のことです。私は傷一つ負っていません。イシュテン王は誓いを破った訳ではないのです」


 落馬させられて打撲を負ったのと、毒を飲んで倒れたのと腹を蹴られて肋骨を痛めたのを別にすれば。まあミリアールトの者に伝えても益はないし、とにかく王の意思によるものではないのだから全くの嘘ではないだろう。


「ですが、あの総督は――」


 グニェーフ伯の顔に希望の色が差し、すぐに陰る。あまりにも都合の良い言葉だから、やすやすと信じることなどできないのだろう。その思いを承知しつつ、シャスティエはあえて高慢に眉を上げる。


「その者のことは私も知っていますが、どのような者でしたか? その言葉は私のものよりも信が置けるのですか?」

「……いえ……」

「ならば事実は自明でしょう」

「は……」


 グニェーフ伯の顔に広がる表情は何とも複雑なものだった。女王の無事を喜んで良いものか、まだ信じきれないでいる。そしてあの総督の言葉を偽りと受け入れたとしても、虚言を信じて乱を起こしたことへの戸惑いと、これから起きる事態への不安が来るだろう。

 ジュラやアンドラーシが予想した通りだった。


 ――彼らは貴女の死を覚悟して挙兵したはず。貴女の無残な姿で団結しようとしているはず。貴女が生きて現れるだけでも十分に士気を削ぐことになる。

 ――貴女の無事な姿を見れば、死なせたくないという欲も生まれる。おのずと戦意は鈍るでしょうね。


 予想通りとは言っても、まだ喜ぶことなどできないのだが。跪くミリアールト人たちを興味深げに眺めるアンドラーシを軽く横目で睨んでから、シャスティエはグニェーフ伯を見上げた。


「使者の方たちに害を加えてはなりません。休んでいただけるようにしてください」

「は……」

「それから、イシュテン王の言葉を皆さまに伝えます。主だった方たちを集めてください」


 丁寧な言葉遣いではあるが、限りなく命令としての言葉だった。反射的にかグニェーフ伯は頷きかけ――慌てたように首を振った。


「獣の言葉に耳を傾けることなどありませぬ! 何を考えて貴女様を寄越したのかは分かりませぬが、こうなった以上はイシュテンの獣どもの中には決して陛下を返したりなどいたしませぬ。必ず、無事なところへ落ち延びさせて――」

「グニェーフ伯。女王の言葉が聞けないのですか?」


 老臣が訴えるのを冷たく遮り、顎を反らし目を細めて見つめるとグニェーフ伯は鼻白んだように唇を結んだ。


「言った通りにしてください」


 祖父のような歳上の人に高圧的な態度を取ることに心を痛めながら、それでもシャスティエは改めて命じた。




 シャスティエたちを砦へ送り出す時、王は言った。


『明日の夜明けまで待つ。夜明けと共に答えを出させろ』


 さりげなく期限が短くなっていくのには気付いたが、シャスティエは指摘せずに従順に頷いた。どうせ王が望んだことではなくて、臣下たちの声を取りまとめた結果そうなったのだろうから。抗議したところで猶予が延びることはないだろう。


『承知いたしました。必ずミリアールトを無傷で陛下にお渡しいたします』


 シャスティエが不服を申し立てなかったのがまた気に障ったらしく、王は軽く顔を顰めていた。つくづく面倒な気性の男だった。


『……あくまでも逆らうなら周辺の村を焼く。砦から引きずり出した上で叩き潰してやると伝えろ』


 王の言葉が描く残酷な図に、シャスティエは唇を噛み、この男への憎しみを追い払おうと努めた。王も好き好んでそうしようとしている訳ではないはずだった。何より、彼女はそうさせないために砦に赴くのだ。


『ご忠告はありがたく存じます。ですが砦の者へは伝えません。私の言葉だけで十分なはずです。憎しみを抱きながら恐怖で従う者など必要とされていらっしゃいませんでしょう?』


 王の目は生意気な、とでも言いたげだったがそうと口にすることはなかった。代わりに王はごく低い声で、風に紛れさせるように囁いた。


『――あてにしている』


 間近で聞いたシャスティエでさえ、聞き違えかと思うほどの抑えた声だった。頼む、とさえ言っていない。だが、臣下の手前でイシュテン王が口にできるギリギリの線だとは理解できた。女の自分を、そこまで信用しているのだと。

 だからシャスティエは口に出して答えることはしなかった。イシュテン王が女に頼ったなどと思われるのは屈辱だろうから。ただ、小さく頷いて、アンドラーシの馬に乗せてもらった。


 そうして彼女は祖国の者たちが立て籠る要塞を訪れたのだ。




 シャスティエは砦の中の広間に通された。戦うための建造物だから、もちろん優雅さなど欠片もない、石の壁がむき出しの無骨な空間だ。グニェーフ伯は恐縮したが、彼女は気にしなかった。ここへは遊びに来たのではないのだから。


 アンドラーシを始めとするイシュテン人たちは塔の上階にひとまず監禁されるらしい。話の流れ次第で命を奪われてもおかしくないというのに、彼らは誰ひとりとして恐れも動揺も見せなかった。アンドラーシ同様、王に心酔しきっている者たちなのかもしれない。


 ――話が決裂したら砦を内から破るつもりなのかしら。


 今は――初めて戦いを経験する身には恐ろしい程の緊張感が漂っているとはいえ――まだ平穏な砦の内部が血に染まるところを想像して、シャスティエは身震いした。たかだか十数人で砦の兵全てを相手にしようなどと正気の沙汰とは思えないが、アンドラーシならやるだろうという気がした。あの男の王に対する忠誠はそれほど強い。イシュテン側の犠牲を少しでも抑えるためならば簡単に命を投げ出すだろう。


 ――全て、私次第……!


 ミリアールトの未来も、砦に集った者たちの去就も。アンドラーシや、イシュテン軍の命でさえ。

 決して失敗は許されないと改めて肝に銘じ、シャスティエは広間に集まった男たちを見渡した。反乱に加わっただけあって、グニェーフ伯以外の者たちも、彼女がよく知る重臣ばかりだった。これは、果たして彼女に利するだろうか。

 不安を見せないように努力しつつ、シャスティエは口を開いた。


「まずは私のために立ち上がってくれたことに対して感謝を述べます。女王として、皆さまの忠誠を大変嬉しく思います」


 全員が着席する中、彼女はひとり起立している。小柄さゆえに、座ってしまうと男たちに圧倒されてしまいそうだったから。女王であることへの言及も、立場を強調するためだ。


「ですが――」


 逆説の言葉を口にすると、心臓の鼓動が早まり、額に汗が滲むのが分かった。


「今回のことは単に賞賛するだけで済ませる訳にはいきません。ミリアールトが寛容に遇され、私の身が庇護されていたのは、服従と引き換えであったはず。反乱を起こせば私の命が危ういと分かっていたことでしょう。なぜ、女王を危険に晒したのですか!?」


 強い調子での詰問に、その場の全員の視線がシャスティエに集まる。驚き、そして傷ついた眼差しがシャスティエの胸に突き刺さるよう。


「――陛下の御為です」


 責められるなど考えてもいなかったのだろう。絶句した男たちの中で、最初に言葉を発することを思い出したのは、やはりグニェーフ伯だった。


「陛下が無事に守られていると思えばこそ屈辱を耐え忍ぶこともできたのです。なのに……! 総督を名乗ったあの獣が何を語ったか、陛下のお耳に入れるのも汚らわしい! 神掛けた誓いを踏みにじるような輩に従うなど、ミリアールトの誇りが許さない。例え滅んでも最後の一兵までも戦い、陛下を取り戻そうと――」

「私の死体を取り戻そうとしてくれたのですね」


 冷たく切り返すと、グニェーフ伯は再び言葉を失った。

 これも、イシュテンからの道中に考えていた通りだった。死んだ方がマシなほどの屈辱を与えられたと信じたとはいえ、自分たちの選択によって女王の命運を定めたのだ。シャスティエへの忠誠心が篤いほど、罪悪感も強いに決まっている。――まずは、そこを抉るのだ。


「その汚らわしい言葉とやらの真偽を確かめることもなく。先ほども言った通り、私はイシュテンで手厚く守られていました。貴方がたの行いこそ、私の命を脅かしたのです!

 それに、民に対してもどのように申し開きするつもりですか? どうしてまたイシュテンの騎馬を呼び込むようなことができたのでしょうか? 真冬の戦など……春が訪れるまえに全ての民に飢えて死ねとでも言うつもりだったのでしょうか?」


 次々と問い詰めながら、シャスティエの背を冷や汗がとめどなく流れている。

 答えなど全て分かっているのだ。

 グニェーフ伯も、ついさっき例え滅んでも、と言った。怒りに我を忘れるのは、シャスティエ自身も覚えがある。王を殺され、服従を強いられ、人質として渡した女王が虐げられた。それは、死んでも良いから報復したいと願うほどの恨みと憎しみになるのだ。

 シャスティエの存在は、ミリアールトの者たちにとってそれほどに大きいものなのだ。


 ――私は、私のために命を懸けてくれた人たちの行いを否定している……。


 それも、祖国の苦境を横目に自身はイシュテンの王宮で安穏としていたというのに。この場にいるのは彼女よりも遥かに年長で、長年国に尽くしてきた人たちばかりだというのに。


 相手にも同じ思いがあるのだろう。シャスティエの声に鞭で打たれたような顔をしていた者たちの表情が、変わっていく。打ちのめされ驚くばかりだったのが、怒りと悔しさに取って代わられる。

 集った男たちが、口々に叫ぶ。


「――ですが、見過ごすことなどできませんでした!」

「あの男の統治は気まぐれで残忍なものでした。イシュテン王が約を違えたと判断するには十分だったのです!」

「シャスティエ様があの獣の手の内にあるなど――耐え切れるものではございません!」


 そしてその感情でさえ、シャスティエではなくイシュテンに向けられたものなのだ。()()()()()()臣下の心を乱しているのに果てしない罪悪感を抱きながら、シャスティエはそれでも微笑んだ。自信たっぷりに見えるように、艶然と。


「ええ、貴方がたのお気持ちも分かります。だからこそ私がこうして説得に出向いたのです」

「説得……?」


 不審と不満も(あらわ)な呟きを無視して、シャスティエは集った者たちひとりひとりと目を合わせるように頭を巡らせる。


「イシュテン王は――軍を率いては来ましたが――ミリアールトを滅ぼすつもりはありません。先の総督の暴走については王の本意ではなかったのです。武器を置いてもう一度服従を示せば、王命に背いた者を王に代わって罰しただけのこととして今回のことは不問にする。――それが、イシュテン王が私に託した言葉です」

「バカな!」


 叫んだのはグニェーフ伯だった。そして沸き起こったシャスティエの言葉に対する反応は、先ほどの詰問に対するそれの比ではなかった。

 椅子を蹴立てて立ち上がる者。卓を拳で叩く者。各人が身に着けた鎖帷子(くさりかたびら)や剣が立てる、金属が擦れる耳障りな音。さながらこの広間に戦場が現れたかのよう。


「甘言に乗ってはなりませぬ、陛下!」

「降伏したところを皆殺しにしようという腹に相違ありません!」

「必ず我らがお守りしますゆえ――」


 臣下たちが口々に訴えるのを、シャスティエは鋭く遮る。


「イシュテン王の本心からの言葉です。信じても良いと考えています」


 シャスティエが――ミリアールトの女王が侵略者に屈するなど、誰も予想もしていないことだろう。恐らく、彼女は誇り高く折れることのない気性と思われているはずだから。意外すぎる発言によって、臣下たちの意気をくじき、言葉を奪うことができるはずだった。

 その場の誰もが息を呑み、彼女の挙動を窺う中、シャスティエは一層声を張り上げた。


「女王として、私は彼と同盟を結びました。王と王との間の約束です。違えることはないでしょう。――もちろん我らの方からも、守らなくてはなりません」


 ――大変な反応が起こるのでしょうね……。私が裏切ったと思われるのかしら。


 自らの言葉が引き起こす結果が恐ろしかった。それでもシャスティエは既に決意を固めている。

 痛いほどの沈黙を裂いて、シャスティエは高らかに宣言した。


「その証として、私はイシュテン王の側妃になります」

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