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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
8. 宴の始末
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後始末 ファルカス

 ファルカスは玉座の下に集った臣下たちを見下ろした。そこに跪くのは、リカードやハルミンツ侯などとは違う、信頼に足ると認めた腹心と呼べる者ばかり。


「ご苦労だった。礼を言う」


 ゆえに彼らにかける労いの言葉も、簡潔ではあるが心からのものだった。


「陛下のお役に立つことが我らの喜びでございます。何ほどのこともございません」


 代表するように答えたのはジュラだった。彼らの言葉も忠誠も疑わないが、お互いに顔には疲労が色濃く滲んでいるだろうとは思う。


 ――年の初めから相も変わらず面倒ばかり続くことだ。


 愚痴めいた言葉は誰に対しても、独り言としてさえ口に出すことはできなかった。そのようなことは彼の矜持が許さない。しかし、言葉にできないからこそうんざりとした思いは泥のように彼の内に堆積し、疲れを増すのに一役買っている気がした。




 宴での茶番劇の後、ファルカスは大貴族たちを王都に留め置き、更に腹心たちに命じて密かに領地へ戻る者がないように徹底させた。領地から兵を呼び寄せられるのを警戒してのことである。

 リカードもハルミンツ侯爵も彼らの一族も、更にはその他の派閥の者たちも。宴に際して伴っているのは最低限の従者のみ。つまりそれぞれの領地から新たに兵を集めることさえ防げば、王都を中心に武力でのぶつかり合いが起きることは避けられるはずだった。

 真冬のこの時期に好んで内乱を招こうなどとは誰ひとり考えてはいないだろうが、その場の勢いというものがある。イシュテンにおいて怯懦が忌み嫌われるのは何も王に対してのことだけではない。閥を率いる名家の当主にも同様に強く断固とした態度が求められるのだ。


 よって、王妃毒殺未遂事件の後始末は、当然のように各家の思惑がぶつかり合う醜い言い争いの場になった。

 リカードは毒を用意した寡妃太后と、その実家のハルミンツ侯爵家を責めた。対するハルミンツ侯は、実際に毒を盛ったイルレシュ伯はリカードの一門だと反論した。相手の罪をより重くし、あわよくば優位に立とうという肚だ。

 反逆の咎で死を賜ったイルレシュ伯の領地が宙に浮いたのも争いの種になった。幾らかはミリアールトの総督を務めている息子を呼び戻して継がせるとして――ティゼンハロムとハルミンツ、二つの侯爵家から嫌われて生き抜くのは茨の道だろうが、誰も気にかけはしなかった――、召し上げる分をどのように配分するかで議論は白熱した。

 誰もがそれなりに体面を保つように、なるべく――どこからも、というのは不可能なので――不満がでないように調整するのは地道かつ面倒な難題だった。何度戦って勝った方が持っていけと口に出しそうになったか知れない。決闘の結果で正義を定めるなど、イシュテンにおいてさえ野蛮と考えられているから慎んだが。何よりこのように下らないことの調停のために人命を散らすのは無駄極まりない。


 ――昨年ミリアールトを攻めたことも影響していたな。若造が調子に乗っていると見て牽制に来たか。


 若い王の増長をへし折ろうという一点において、貴族たちの意向は一致しているように見えた。そのためだけに絶妙の駆け引きで調停を長引かせたと考えるのは穿ちすぎだろうか。確かに年寄りどもの力はいずれ必ず削いでやろうと思っているから、彼らの警戒も決して的外れではないのだが。


「リカードにもハルミンツ侯にもひとまず話はついた。皆、それぞれの領地のことも滞っていることだろう。先の命は解くから下がって良いぞ」


 剣によらず言葉で戦うのは、戦場での戦い以上に気疲れするものだ。ファルカスもこの場に集めた者たちも若いからなおさらだろうと思う。彼らが疲れた顔をしているのも、体力の問題などではなく――彼の腹心にそのような惰弱者はいない――横柄な大貴族の一行相手に剣を抜くのを抑えようとした結果だろう。

 この埋め合わせはいずれ必ず、と心に決めながら立ち上がりつつある臣下たちに言い添える。


「ミリアールトの総督がまた空くことになる。次こそは信頼のおける者を推すつもりだ。お前たちの中から選ぶこともあるから心しておけ」

「──ははっ」

「光栄でございます」


 臣下たちの顔が輝き、力強く頷くのが嬉しかった。信頼していると伝えただけで喜ばれたのだ。主君としては格別の幸せと言って良いだろう。

 だが、喜んでばかりもいられなかった。とりあえずの役目を終えた臣下たちと違って、彼にはまだやるべきことが幾らでも残されている。そしてその多くは楽しくもなければ気が進むことでもない。だが、だからといっていつまでも後回しにする訳にもいかない。


 その中の一つを片付けるべく、ファルカスは退出し始めている臣下たちの中、もの問いたげに彼の様子を窺っている男の名を呼んだ。


「アンドラーシは残れ」

「はっ!」


 相手の方でも呼ばれるのを待っていたのだろう。アンドラーシはいっそほっとしたような表情で彼の前に進み出た。宴の一幕では期せずしてこの男も当事者になった。なってしまった。どうしてその事態に至ったかについて、何も言わずに済ませることはできないのだ。


 ――そうは言ってもどうしたものか……。


 改めて跪こうとするアンドラーシを指先の動きで立たせ、対応を決めかねたままファルカスは切り出した。


「お前にはあの娘を守るように命じていたが――」

「陛下の命を全うできませんでした。お叱りは、如何様にも」


 珍しく神妙な表情の腹心に、ファルカスは内心で軽く目を瞠った。驚くほどの殊勝さだった。


 ――一応反省はしているのだな。


 なまじ自身の能力に対する自負心が高いからか。あるいはその割に身分ゆえにままならないことが多いからか。はたまた最終的な責任は主君のものだと投げているのか。この男は不測の事態に対する諦めが呆れるほどに早い。思うようにならないのは周囲が悪いと考えている節さえある。

 今回の件でも、狂人の胸の裡など測れなくても仕方ない、くらいのことは言いかねないと思っていた。それならば流石に叱責しない訳にはいかないと、密かに懸念していたのだが。


「お前の行動は最善ではなかった」

「御意。何があっても姫君をあの者の言いなりにさせるべきではありませんでした。加えてあのように狼藉を許す始末。決して言い訳できぬことと、弁えております」


 悔恨に満ちたアンドラーシの声と表情に、ファルカスは一層驚いた。この男が過去を省みることができるようになるとは、嬉しい成長だった。例えそれが、この男が側妃にと目論む女のためであっても。

 だからファルカスは幾らか肩の力を抜いて、告げた。


「幸いにあの娘は無事だった。そして結果的にとはいえ王妃の命も救われた。だから今回は特に処罰を加えることはしない」

「はあ」


 アンドラーシは曖昧な表情で頷き――すぐに眉を顰めた。


「ですがそれでは他の者に示しがつきますまい。寵臣だからとか、遊び仲間だから甘い対応で済ますのだとか、陛下への不信を招きかねぬと存じますが」


 いつも飄々としている男が困惑する姿は面白く、これはこれで罰になるのではないかとさえ思えた。そんな中でもさりげなく寵臣を自称するのは流石と言えたが。

 お陰でファルカスの機嫌もやや上向き、冗談めかす余裕もできた。


「気が済まぬと言うならしばらく遊びは控えて身を慎めば良い。後は……口の利き方に気をつけることだ。風向き次第ではお前の首を刎ねなければならぬところだった」


 俺ならもっと上手くやる、と。アンドラーシはあの時口を滑らせた。イルレシュ伯の()()が、計画とも呼べないお粗末なものだったのは確かだが、王妃への叛意と取られかねない明らかな失言だった。リカードあたりが聞き咎めていたら、どう悪用されていたか分からないところだったのだ。


「……仰る通りでございます。迂闊なことでございました」


 ――まあ、傍から見れば押さえつけられたイルレシュ伯に対する心象の方がよほど悪かっただろうがな。


 だからいち早くイルレシュ伯を取り押さえたアンドラーシの行動は、ある意味手柄であるとも言えた。図に乗らせることになるから本人の前で言うつもりはなかったが。


「――時に陛下。あの姫君のご容態はいかがなのでしょうか」


 現にアンドラーシは性懲りもなくあの娘のことを話題にし、ファルカスの眉を顰めさせた。

 叱責はないと言ったのは彼自身だから仕方ないが、あの娘のことなど聞きたくも考えたくもないというのが彼の本音だった。


「良くはないが悪くもない。静養すれば何事もないということだ。傷や後遺症が残るようなことでもない」

あの愚か者(イルレシュ伯)はあの方を利用しようとしていました。まかり間違えばあの方が王妃に毒を盛るところで──リカードがそれを理由にあの方を害そうとなどは考えるようなことはないでしょうか」

「害したくてたまらない様子ではあった。が、あの女が王妃を守ろうとしたことは明らかだ。だから、恩義を弁えろと諦めさせた」


 ジュラに聞き取らせたことによると、元王女はイルレシュ伯の言葉の端から不審に思って毒の混入を疑ったらしい。更にどうして自ら毒を飲んだのか問い質せば、王妃に飲ませる訳にはいかないと思ったとのこと。リカードはあくまで元王女が気に入らない様子だったが、娘を救った恩を仇で返すのかと一喝したのだ。


「それはよろしゅうございました」


 それを聞いて、アンドラーシは嬉しそうに破顔した。だが、ファルカスはそれほど気楽になれない。

 人質の命が保たれたのは喜ぶべきことだが、あの娘はまたも怪我をした。それも、何をどう考えたのかは分からないが彼の妻を守るために!


 ――本気でミーナを慕っているというのか? 命を懸けてまで? 理不尽な!


「全く良くない。俺は神にかけてあの女を守ると誓ったのだぞ。それがこのザマだ」

「戦馬の神も、守られる側が自ら毒を口にしたのを咎められるでしょうか?」


 不機嫌に告げると、アンドラーシは首を傾げた。いかにもこの男らしい開き直りだった。だが、彼にはそこまで割り切ることはできない。


「余計に悪い。女相手に借りばかりが増えるなど不愉快極まりない」

「ならばいっそ側妃にした方が安全では?」

「くどい」


 数ヶ月に渡って鸚鵡(おうむ)のように同じことを繰り返し続けるアンドラーシに対し、ファルカスは苛立ちを隠す気にもなれなかった。

 ミリアールトの元王女は、今や彼にとって気に食わない女というだけではない。二度に渡って怪我をさせて誓いを守れないことになった。しかも今回は妻の命を救われた。借りなどという言葉では足りない。返せるあてのない恩義までも負ってしまった。そんな相手の意に染まないに違いないことを強いるなど、彼の矜持が許さなかった。

 しかも臣下に対してそう説明することもできないのだ。イシュテン王ともあろうものが女に負い目を感じているなど、口が裂けても言ってはならない。


「あまりうるさいとあの女をお前に下賜するぞ」


 だからファルカスはごく程度の低い脅しを使った。そして腹立たしいことにそれは効果覿面だった。アンドラーシは間髪入れずに、かつ心底嫌そうに答えたのだ。


「それはご勘弁を。屋敷に帰ったらあの方がいるなど落ち着かないではないですか」


 ――お前はそのような女をずっと俺に勧めているのではないか。


「ならば下がれ。口を慎めと言ったばかりなのを忘れるな」

「御意」


 元王女を妻に押し付けられるという想像がよほど嫌だったのだろう。アンドラーシは大人しく頷くと、仲間たちに続いて今度こそ主君の前を辞していった。




 ファルカスがやるべき面倒事の中には、妻の機嫌を窺うことも含まれている。

 王妃のミーナは彼より幾つか歳上だが、精神の方はずっと幼い。リカードたちの調停に掛かり切りで数日放ったらかしたのを、きっと寂しがって甘えてくるだろうと思っていた。


「ファルカス様。お会い出来て嬉しいですわ。……とても、お忙しくてお疲れでしょうに」


 だから控えめに微笑むだけの妻を見て、彼は内心首を傾げた。先にミリアールトから凱旋した時のように、こういう時は娘と同時に抱きついてくるのが常だったのだが。


 ――拗ねているのか? 顔も見せないのが不味かったか?


 目を細めて見つめても、ミーナの心を読み取ることはできなかった。父親が厄介なことを除けば、ごく分かりやすく扱いやすい可愛い女だと思っているのだが。


「元気がないな。しばらく会わない間に嫌われたか」

「そんなこと……」


 とりあえず抱き寄せてみると大人しく頭を彼の胸に預けてきたので、機嫌が悪い訳ではないと分かった。しかし変わらず浮かない顔だったので、彼は妻の頬に手を添えると軽く口付けてから問いかけた。


「では、どうした?」

「……太后様の仰っていたことを考えていましたの」

「あの女の言うことなどに取り合う必要はない」


 ファルカスは舌打ちを――しようとして、妻に聞かせる訳にはいかないと辛うじて思いとどまった。まったくあの狂女は余計なことをしてくれた。彼のためと(うそぶ)いたのは口実に過ぎず、頭にあるのは息子のことだけだと分かりきっている。父である先王はハルミンツ侯爵家をはばかって黙っていたのかもしれないが、妻を害されて喜ぶ男がいるはずはない。更に寡妃太后は――ハルミンツ侯も――ミーナに男児がいないのを責めた。気に病まないように外の噂は耳に入らないようにしていたのに、だ。

 沸々と蘇る怒りを、妻の身体を強く抱きしめて紛らわす。同時に耳元に囁いてやる。


「あの女は二度と太陽の下を歩くことはない。お前を狙うことも。だから安心するが良い」


 太后の処遇は、ファルカスとリカードとハルミンツ侯の間で早々に決着が着いた唯一の事柄だった。もちろん彼としてもリカードとしても息の根を止めてやりたいのは山々だが、仮にも先の王妃にたいしてそこまで強硬に出ることはできなかった。とはいえ実姉の言動をもてあましているのはハルミンツ侯としても同じだったようで、残りの一生を幽閉して過ごさせることに快く同意したのだ。


 これ以上太后が騒動を起こすようならあの女はハルミンツ侯爵家に対してすら害悪となる。一族の安寧のためにも、弟は絶対の監視をつけることだろう。


「はい。……でも、シャスティエ様が、私のせいで」


 だが、夫の言葉にもミーナの顔が明るくなることはなかった。憂いを拭い去ろうと、ファルカスは妻の頬に額に唇を落とした。


「あの娘のことも心配いらない。二度と危険がないように守ろう。このようなことがあった以上はもう誘い出そうなどとは考えないな?」

「はい。私がお招きしたせいで……本当に申し訳のないことでした」

「太后の企んだことだ。お前が気にすることではない」


 実のところ、妻の口から元王女の名を聞くのはアンドラーシの時とはまた違った苛立ちがあった。彼が守るなどと言うのも白々しい。ミーナを守ったのは人質に過ぎないはずのあの娘だった。元王女があの場にいなかったら。毒の存在に気付かなかったら。倒れていたのはミーナだったのだ。

 自分の妻さえ守れないところだった。その事実が彼の矜持をひどく傷つけ、恐怖に近い感情さえ覚えさせていた。


「……はい」


 納得しきっていない表情ではあったが、ミーナは一応は頷いた。やはり不安だったのだろうと思う。滞った政務のために、またしばらくは傍にいてやれないのが気掛かりだった。だが、少なくとも――


「今夜は一緒に過ごせるのだ。いつまでもそのような顔はするな」

「はい。――あの、ファルカス様」

「どうした?」


 いつになく真剣な表情の妻に彼は眉を寄せた。いつものように甘えるでも抱きつくでもなく、ミーナは涙を堪えるような眼差しで見上げてきていた。


「私は、今のままで良いのでしょうか」

「どういうことだ?」

「妻だというのにファルカス様のお役に立てておりません」


 ――一体何を言い出すのだ?


 当惑して言葉を失った夫に対し、ミーナは切々と訴える。


「シャスティエ様がお倒れになって、本当に恐ろしかったのです。そしてファルカス様にもお父様にも会えなくて……それで、何も知らず何もできないことに気がつきました。大好きな方々が大変な時に守られているだけだなんて。何か、私にできることはないのでしょうか。ただ待つだけというのはとても辛くて――」


 長々と続きそうな口上を、ファルカスは皆まで聞かずに遮った。


「お前に助けを求める気はない。お前はただ笑っていれば良い」

「でも」

「どうしてもと言うならマリカを健やかに育てるのが勤めだろう。母親なのだから」

「……はい」


 宥めるように妻の髪を背を愛撫しながら、ファルカスは改めて怒りを感じていた。妻にいらぬ不安を抱かせた太后に対してはもちろん、何よりもその事態を許した彼自身に対して。ミーナは他からの悪意や敵意に耐えられるような女ではないのに。


「お前が案じるようなことは何もない。妻子を守るのは俺の務めだ」


 あやすようにミーナを抱き、口付けながら、ファルカスは側妃を娶るにしても当分先のことになりそうだと思った。この様子では他の女に目を向けるなどできそうにない。

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